plan.8
オレが三年生の先輩達と話していたのは見えていただろうに、どうしてこうもオレを悪者にしたがるのだろうか。
「悪かなった。ちょっと話し込んでた」
「見て分かったけど、藍さんも待たせてたのよ?」
「先輩はそんなでもなさそうだけどな」
「藍さんは……って言うか、先輩方は皆優しいから、何も言わないのよ。
ちょっとは気を遣いなさい」
「二人とも仲いいね」
「「良くないです」」
井原と言い争っていたら、様子を窺いっていた藍先輩が不本意な事を口にする。
それに対して一秒でも早く否定しようと思ったのが悪かったらしい。
井原と声が重なり、藍先輩の表情がいっそう優しいものに変わり、クスクスという微笑と共に「ほら」と返って来た。
急に居心地が悪くなり、一つ咳払いをして「待たせてすいません」と先輩に頭を下げる。
「井原さんに話を聞いていたから、そんなに待ってないよ。
やる曲はVS Aで良いんだよね?」
「そう……みたいですね」
嫌だと言うわけではないのだが、曲を知らない事と、話し合いに殆どは入れていなかった事で他人事のような答えになる。
藍先輩は一瞬不思議そうな顔をしたけれど、すぐに表情を戻して「どうしようか?」とオレ達一年生に投げかけた。
てっきり藍先輩に説明するものだと思っていたのだけれど、何をするのだろうか。
こういう時に朝はすぐに発言できるタイプではないし、必然的に井原が指揮を執る。
「ひとまず準備室に行きましょう。ここだと先輩方の邪魔になりますから。
他の二人もそれでいいわよね」
オレと朝が頷くのを確認した後、井原が先導して準備室に入っていく。
準備室はカーテンが閉められていて薄暗く、広さとしては音楽室の半分もない。ドラムセットが置かれているためか、余計に狭く感じられる。
藍先輩が入ってすぐの壁にあるスイッチを入れて電気をつけ、井原がカーテンと窓を開ける。籠った空気が外に逃げていくのを肌で感じる中、改めて部屋見まわした。
音楽室のドアがあるのは、部屋の角のところで、入って真っ直ぐ見た状態だと左に部屋が伸びている。ドラムセットは部屋の中央に置かれていて、窓は一か所だけ。
床は音楽室同様、カーペットのような材質で、棚が置かれていたのか壁際に四角い大きなくぼみのようなものがある。
部屋の一番奥には、窓も無いのにカーテンがあり、人が一人は入れるくらいのスペースを作っていた。
「奥のカーテン何なんですか?」
「簡易更衣室、かな。必要な人が居たから作ったらしいんだけど、その人が卒業した後も取り外すのも面倒なのと、意外と使うからそのままなんだよね」
「やっぱりスカートだと、演奏しにくい楽器とかってあるんですか?」
何気ないオレの疑問に、何故かその場が凍り付く。
理由が分からないオレに対して、井原がわざとらしい溜息を吐いた。
「何て言うか、校歌君にはデリカシーが無いのかしらね」
「いや、他に理由が思いつかないし、単なる疑問だろ?」
「そんなだから、デリカシーがないのよ。藍さんも困ってるじゃない」
「碧君ちょっと今のは……」
井原の言葉は納得できないが、朝に言われてしまったのなら引き下がるしかない。
女子の事情など把握しようがないし、変な疑問を持ったままになるかもしれないと言うのに、我儘なものだ。
しかし、助け舟は意外にも、藍先輩から出された。
「私としては、普通はそう考えるんだなって思っただけだから。確かにそうだよね」
「だ、そうだ」
これはオレは悪くないだろうと胸を張る。朝はもとより、井原も何か言いたそうな顔で黙ったので、何となく気分が良い。
邪魔者が何も言わないので、ついでに気になっていた事を訊いておこう。
「そう言えば、藍先輩達の入部テストって、どんな感じだったんですか?」
「それアタシも気になります」
井原がオレを押しのけるように前に出て来る。意気消沈していたと言うのに、現金なものだ。
藍先輩は「んー」と困ったような声を出した。
「私達そういうこと、やってないんだよね」
「やってないってズルくないですか?」
素直なオレの感想に対して、井原が人を殺せるのではないかと思うほど鋭い視線を向ける。しかし、すぐに先輩の方へと向き直った。
「ズルいとは言いませんが、何か理由があったんですか?」
「井原って調子いいよな」
「校歌君は黙ってて」
ドスの利いた井原の低い声に、自然と体が委縮する。自分も知りたかったことだろうに、何故こうも責められねばならないのか。
藍先輩は穏やかな顔でオレ達のやり取りを見ていたが、井原の迫力にオレが負けたのを認識したのか、話し出す。
「優と私は入学する前から、先輩達と交流があったんだよね。
クリスマスでは一緒に演奏もしたし、入学直前の春休みでは、優は当時の部長に、私はドラム担当の人にそれぞれ教えてもらっていたから、テストするまでもなく実力を知っていたって感じなのかな。
ちゃんと聞いたわけじゃないけど『軽音部として入部するならいいんじゃないかしら』って言われたからね」
入部前から育てられていたと言う事か。やっぱりオレ達とは扱いが違う気がするけれど、言葉にしたら今度こそ井原に殺されかねない。
井原の様子を窺いつつ、もう一つだけ尋ねてみる事にした。
「ななゆめに入れるレベルって、どれくらいなんですか?」
言葉の裏には先輩は入れなかったんですよね、という意味があるのだけど、気づいていないのか、それとも気づいたうえで何もいないのか、井原は何も行動を起こさない。
「とりあえず、私程度だとどれだけ頑張っても追いつけないレベルかな。
私達はななゆめに入るつもりはなかったから、別に構わないんだけどね」
オレの皮肉にもとれる言葉に、特に気にした様子を見せなかった藍先輩だったが、まるでオレが考えていた事を分かっているかのような返答に、驚きを隠すので精いっぱいだった。
「今日和気君が副部長に出されたテストがあったよね」
「アレって出来る人いるんですか?」
先輩の方から話題の転換があったので、喜んで話に乗る。
まあ、入部テストの話なので、転換しきれてはいないのだろうけれど。
「過去に二人で来た人が居て、それくらいじゃないとななゆめにって言うのは難しいかな」
「出来る人っているもんなんですね」
なるほど、プロの世界は恐ろしい。だが、出来る人が居ると言う事は、いずれはオレも出来るようになると言うわけだ。
将来のオレに可能性を見出していたら、横から井原が割り込んでくる。オレが聞きたかったことは大体聞けたし、先輩の興味がオレから逸れてくれるのであればありがたいと、黙って身を引く。
「藍さん、いま二人って言いましたよね」
「うん。ユメさんとその前にもう一人いたんだよ。
二人の場合、課題として出されたわけじゃなくて、自分から三十分で大丈夫って言ったらしいんだけどね」
「ななゆめの今のボーカルは一人だけですよね?」
オレには藍先輩を待たせたとか、デリカシーが無いとか言っておきながら、井原だって先輩と会話する気がないのではないだろうか。
まあ、ここまで聞けばオレだって、井原の言いたいことはわかるけれど。
「ななゆめは入れ替わり制だって、有名な話だとは思っていたんだけど」
「それは知っていましたけど、ななゆめのボーカルが、昔は男性だったって噂は本当だったんだと思いまして」
「その辺の事情はちょっと複雑だから、説明は難しいかな。
入れ替わり制って言っても、今となってはななゆめとして培ってきたチームワークを凌駕出来るほどの何かが必要だから、実質固定だとは思うんだけどね」
今さらメンバーが変わりました、というのはファンとしても納得がいかないものがあるのだろう。しかし、オレには関係ないか。
オレの目的はななゆめに入る事ではなくて、完璧計画を完遂させる事なのだから。
当面は入部試験で、三年生の先輩……は無理でも、藍先輩や優希先輩に「カッコいい」と見直して貰う事が目標になるだろう。
二人は去年の美少女コンテストの優勝者なのだから、実質この学校のトップなのだ。
この二人に認められ、尊敬を受けたら周りから羨ましがられるに違いない。
「何気持ち悪い顔してるのよ、校歌君。話聞いてた?」
「喧嘩売ってんのか?」
「碧君楽しそうな顔してたけど、何かあったの?」
井原の声で我に返り、朝には「ちょっとな」とだけ返しておく。
そう言えば、井原が話とか言っていたような。
「話って何だ?」
「聞いてなかったのね」
頭を押さえた井原から、呆れた声が返ってくる。聞いていなかったことは事実だし、ここで意地を張っても藍先輩に子供っぽいと思われそうなので「悪かったよ」と素直に謝る。
こちらから謝る事で、逆に藍先輩からの好感度も上がった事だろう。先輩の表情は相変わらずだが。
「とりあえず、どれくらい演奏できるかやってみようって話よ」
「ちょっと待て。オレ全く歌えないからな? 大体曲すら聴いてねえよ」
何を急に言い出すんだ。昨日の今日で、何もやってないに決まっているだろう。
もしかして、オレ抜きで演奏してみるのかとも思ったが、井原の顔がみるみる怒りに染まっていくあたり違うらしい。
「はあ? 昨日曲決めたわよね? まだ歌えるレベルじゃないって言うなら分かるけど、聴いてないのは、話にならないわよ。
やる気あるのかしら」
「オレは素人だって、井原も重々承知だろ? 聴いておいてほしかったら、せめて曲の情報くらい教えとけって話だ。
こちとらネットで調べたらあるって、今朝知ったばかりなんだが?」
「あれだけ大口叩いたんだから、何とかしようと言う努力をしなさいよ。
アタシだって自分の事があるのよ? 校歌君の事情ばかり考えられるわけないじゃない。分からないなら、分からないなりに、誰かに聞く事も出来たでしょう?」
「今日やるって言うなら、先に言っておかないのが悪いと思うけどね。
オレ今の今まで、今日何するのか知らなかったんだけど」
有らん限りの皮肉と凄みを利かせた声がオレの喉を通っていく。
ここまで苛立ったのはいつ以来だろうか。朝と一緒にいる時には、まずこんな喧嘩にはならなかった。
きっと井原が男だったら手が出ていただろう。それに対して感謝すべきなのか、さらにいらだつべきなのかを判断するだけの冷静さは現在持ち合わせていない。
井原と出会って三日だが、言い争うには充分すぎるくらい、鬱憤はたまっていたのだ。
いっそここで全部ぶちまけるかとも思ったが、いきなり額に痛みが走った。
我に返ると同時に、何故気が付かなかったのだろうかと思うくらい至近距離まで藍先輩がやってきている。
顔の前で綺麗に伸びている指で、オレは先輩にでこピンされたのだと言う事に気が付いた。
先輩は呆けるオレに微笑みかけてから、今度は井原の額にダメージを当たる。
ハッとした後、ボーっと先輩を眺める井原と同じことをオレもしたのだろうか。
いや、オレはあそこまで阿呆っぽい顔はしていないはずだ。
「二人とも仲いいね」
「「良くないです」」
不本意な事を言う先輩に当然否定の言葉を返すわけだが、また井原と声が重なって、先輩に笑われる。
喧嘩するほど仲が良いとでも言いたいのだろうが、あいにくオレと井原はほとんど喧嘩しかしていない。
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