plan.7
こちらに気が付いた朝は驚いたのか「ひゃ」と短い悲鳴を上げる。
「生きてるか?」
「えっと、うん。生きてるよ。何がどうなったんだっけ?」
「朝がいじめられた」
端的に状況を説明したら、後ろから「いじめてはないです」と反論が来る。
言葉としては「いじめ」を使ったが、今回の場合朝の方に問題がありそうなのは確かなので、何も返す事はしない。
朝の声が緊張しっぱなしと言う事は、どうなったと言いつつも何もかも忘れたわけではないらしい。朝の肩を掴んで忠海先輩の所まで押していく。
「碧君なに? どうしたの?」となすがままだった朝は、オレの目的を知るや否や、足に力を入れて抵抗する。
入部する気ならいつまでもこのままでは駄目だろうし、何よりテストの時に緊張するだろうから、今のうちに荒療治でも慣れてもらわなくては。
いくら頑張ろうが、流石に朝程度の力ではオレを止めることは出来ずに、簡単に忠海先輩の前に辿り着いた。
「こここ、こんにちは」
「はい、真庭さんこんにちは。落ち着きましたか?」
「え、ええっと。すいません、何だか緊張してしまって」
さっきよりましだが、イエスかノーかの選択も出来ていないので大丈夫ではなさそう。
助けを求めてこちらを見ても、今は何もする気はない。朝も分かったらしく、恨めしそうに睨んでから、忠海先輩の方に視線を戻した。
「ずっとファンなんです。だから、こんなに近くに居るって思うだけで、自分でも何を言っているのか分からなくなるくらい、緊張しちゃって……」
「和気君を庇っていた時は、そう言う風に見えませんでしたけどね」
「あ、あの時は、必死で。でも、本当に碧君がもの知らずでごめんなさい」
何も知らなかったのは事実だが、何故いまこちらに飛び火したのか。
「もの知らずで責められるなら、ユメ先輩はいませんからね。
さて、ちゃんと桜の声も届いているようですし、落ち着きましたか?」
「は、はい。大丈夫です。落ち着きました」
「確かに桜達は大学生・高校生にしては有名かもしれません。ですから、桜達は学生ではなく『ななゆめ』として見られますし、そうあるように求められます。
それが仕方ないことはわかっているんですよ。これでも桜達はお金を貰っていますから。
でも、身近な人くらい同じ学生として扱って欲しいわけです。分かりますか?」
有名税という言葉を聞いたことがある。それに近いものを、忠海先輩達は感じているのかもしれない。
答えを求められた朝は、申し訳なさそうに「分かります」と返した。
「まあ、今日明日でどうにかしろとは言いませんので、ゆっくり慣れていってくれると嬉しいです。
桜は良いですけど、あんまり反応が大きいと、つつみんは驚いて泣いちゃいかねませんからね」
「いくらあたしでも泣かないよ。びっくりはするかもしれないけど」
忠海先輩の話に夢中になっていたせいか、初春先輩が音楽室に入ってくることに気が付かなかった。急な登場に朝が固まったのは良いとして、なんていいタイミングで入って来たのだろうか。
まるで忠海先輩が弄るのに合わせて入って来たような……と言うところで気が付いた。
扉に背を向けているオレ達と違い、忠海先輩には出入り口が見えていたはずだ。
つまり初春先輩が入って来たのを確認したうえで、あえて言葉にしたのだ。
食えない人だとは思っていたが、オレの想像以上に厄介な人物なのかもしれない。
「お疲れ様です、つつみん」
「桜ちゃんもお疲れ様。一年生の二人も」
「お疲れ様ですっ」
朝が初春先輩に頭を下げるけれど、「です」がほとんど「でしゅ」になっている。先ほどの言葉とは違い、初春先輩は驚くことも無く「いいんだよ」と微笑んだ。
見た目は年下のようだけれど、こういう立ち振る舞いは年上のそれで、このギャップはドキリとするところがある。
初春先輩もきたのに、肝心の一年生が揃っていない。と思っていたら、息を切らせて井原が音楽室に現れた。
「すいません。遅くなりました」
「別に遅くはないですよ。二年生組はまだ来てませんし。
何より基本的に平日は開始時間とかないですからね」
「でも後輩の方が後に来ると言うのは……」
「井原さんは、例えホームルームが一時間長引いても、最初に来れるんですか?」
「それは無理ですけど……」
「まあ、気にしない事ですよ」
「そうそう。あたし達が最後なわけだし、気にしても仕方ないよ」
井原と忠海先輩の会話に別の声が割って入る。
「優はもう少し気にした方が良いと思うけどな。
お疲れさまです。遅くなりました」
「これで皆揃いましたね」
優希先輩と藍先輩も揃って、タイルカーペットの音楽室の床の上に、それぞれパイプ椅子を持ってくる。どこから持ってくるのだろうか、手伝うべきだろうかと思っている間に一年生の分まで並べられていた。
分かったのは、椅子は部屋の後方の準備室と書かれた部屋から持って来たらしいことだけ。「ほら座って」と先輩に言われても、今から何が始まるのか分からなかった。
前方の、教壇のように高くなったところに三年生二人が座って、向かい合うように残りが座る。
部長である初春さんが少し後ろに居て、忠海先輩が教壇の中央で話し出した。
「さて、ミーティングを始めますが、今のところ全体に言うべき予定はないんですよね。
何か言っておきたいことがある人っていますか?」
「今年って、春の校内ライブしないんですか?」
こちら側に問いかけた忠海先輩に、手を挙げた優希先輩が答える。
春のって事は、一年生が入部して早々ライブをしていたのだろうか。まさか、右も左もわからない一年生がいきなりライブに駆り出されることも無いだろうから、先輩が一年生にライブがどういうものか見せるためだろう。
もしくは、入部試験をライブと称しているのか。あるいは身内だけで行う小規模なものか。
「やってもいいんですけど、アレって基本的に新入生のお披露目ライブですからね。
この子たちが入部できるかどうかに始まり、やる気があるかどうかで決まります」
「アタシと藍との時は選択肢なかったですけど」
「文句は稜子先輩に言ってください。何より稜子先輩が入部を許可した理由を考えればこそです」
「その春の校内ライブって、いつ、どういう事するんですか?」
まるでさっきのオレの思考を全否定するかのような内容に、先輩達の話に割り込む。
「いつって言うと決まっていないんですが、桜達が一年の時には六月の終わりから七月の頭くらいでしたかね。去年は五月のうちにしてしまいましたが。
やった事と言えば、音楽室でのミニライブに加えて、放送部に協力して貰って各教室のテレビに生中継です」
「それに一年生が出るって事は……」
「もちろん、お披露目ライブですからね」
「いきなりそんな事するんですね」
「去年まではいきなりそんなことが出来る人しか、この部に入部出来なかったんですよ」
忠海先輩は何気なく言うが、つまりそれはオレ達のレベルが低いと言う事ではないだろうか。全くもって否定できないが。
続いて「春のライブの説明はこんな所で良いですか?」と先輩が尋ねるので、短く「はい」と返事をする。
「とりあえず、確定している次のライブは、夏休みに行うライブハウスでの演奏ですね。
先輩達はいませんが、今年も誘っていただけました」
「じゃあ、一年生の話に移ろっか」
逸れていた忠海先輩の話を、初春先輩の言葉が修正する。
「まずは基本的な話になりますが、音楽室が使えるのは二日に一回だけです。詳しくは別途プリントを配布しますから、それを見てください。
急きょ変更があった場合、つつみんから連絡が行きますから、連絡先知らない人は後で訊いておいてくださいね。
一年生はまだ正式に部員ってわけじゃないですから、鍵を借りられません。ですから開いていなかったら上級生が来るのを待つか適当に時間を潰しておいてください。
同じく返しにも行けませんので、上級生が居る間に帰ってもらう事になります。
狭いかもしれませんが、後ろの準備室も使えますので、使いたかったら使ってください。
最期に藍さんを一年生のお世話係に頼みたいんですけど、良いですか?」
「大丈夫ですよ」
「お世話係と言っても、一年生が主動しないと意味無いので、頼まれた時に手伝うくらいでお願いします。
何か話し忘れた事はないですよね?」
「仮入部期間が終わるのが五月九日だから、五月七日までに一曲演奏できるようにしておいてね」
忠海先輩の確認に、初春先輩が付け加える。頷いた忠海先輩が、こちらを見て「質問はないですか?」と問いかけた。
音楽経験のないオレにしてみたら、約一か月で演奏できるかどうかも分からない。
ただ、出来れば早く入部を決めたいので、駄目もとで尋ねてみる事にした。
「今すぐ入部できる方法ってないんですか?」
「そうですね……未発表の曲を今から三十分以内に、ほぼ完ぺきに演奏出来たら良いですよ」
「無理です」
「でしょうね」
音楽に詳しくないので分からないが、プロであっても初めて聞く曲を三十分以内というのは、難しいのではないだろうか。
仮にこれがプロの標準レベルだとしたら、いずれはオレもその境地に辿り着けるだろうが、今日ここで出来るようになるわけでもなし、遠回しに今は入部を認めないと言われただけか。
「では、これでミーティングを終わります。藍さんは今日から、一年生と一緒ですかね」
「そうですね。何かあれば優に言っておいてください」
ミーティングが終わり、藍先輩が一年生が集まっている所にやってくる。
まず何から始めていいか分からないオレ達に対して先輩は「和気君と真庭さんは連絡先交換してないだろうから、部長のところに行っておいで」と指示を出した。
少し迷ったような感じだったのは、先ほど手伝いに徹するように言われたからか。
緊張の抜けない朝の背中を押して、初春先輩のところに向かう。
「初春先輩。連絡先教えてくれませんか?」
「うん。連絡用にってアプリを使っているんだけど、二人はどっちか使ってるかな?」
準備していたのか、初春先輩からはすぐに返事が返って来て、携帯の画面を見せられる。
「どちらか」と言っていた通り二つのアプリのアイコンがあって、一つは世に広く広まっているもの。きっと名前を聞いた事ないと言う人が居たら、天然記念物として扱われるだろう。
もう一つは、見たことも無いアプリ。
「これってどう違うんですか?」
「使ってみた感じ違いはないんだけど、桜ちゃんが新入生との連絡用に有名なのを入れておいて方が良いって言うから、インストールしたんだよ」
「じゃあ、そっちで良いですか? 朝も大丈夫だよな?」
違いがないなら、わざわざ新しくインストールする意味も無い。朝とも簡単な連絡で使ったり、チャット代わりにしたりしていたので、頷いた朝も含めて滞りなく連絡先の交換が終わる。
お礼を言って、井原のところに戻ろうかと思ったが、気になった事があって先輩に向き直った。
「初春先輩が入部するときって、どんなテストをしたんですか?」
「先輩達の前で何曲か有名な曲を演奏して、いっぱいダメ出しをされたかな。
はじめは落ちたかなって、気が気じゃなかったんだけど、ギリギリ合格って事で入部する事になったんだよね。
桜ちゃんはすんなりだったけど」
「つつみんは、あの日まで緊張でガッチガチでしたもんね」
「それまで、人前で演奏する事ってなかったんだもん」
いつの間にか忠海先輩が会話に加わっていて、初春先輩が見た目に即した拗ね方をする。
初春先輩も緊張するとなると、ななゆめの名前はそれほどまでに重たいものなのか。
最近の朝のような感じだったのかなと想像してみるけれど、確か先輩方が入学した時には、まだななゆめはなくて今ほど有名でもなかったような。
「初春先輩って、そんなに緊張に弱かったんですか?
今ではそんな事ないように見えるんですけど」
「そうだね。緊張に弱かったし、今でも緊張する事ばかりだよ」
「ライブの時とかですか?」
「ライブの時も、他の事でも。今は一年生の時ほどじゃないし、緊張も楽しめるようにはなって来たんだけど、緊張しないって事はないかな」
オレでも名前を聞いたことがあるくらい有名なバンドのメンバーでも、緊張する事があると言うのは何だか意外だった。
それから「藍ちゃん待ってるから、戻った方が良いんじゃない?」と促されたので、頭を下げて藍先輩の方を向く。
先輩はオレに気が付いて微笑んだのだけれど、井原の方は思いっきり睨んでいた。待っていたのは先輩ではなく井原だったらしい。
広いとはいえ、しょせんは同じ教室。十歩も歩かないうちに戻って来たが、「遅い」と井原が腕を組んでイライラしていた。
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