plan.3

     *



 とっさの事で、入学式の時に歌った校歌しか出てこなかった。アカペラで一人校歌を歌うのは恥ずかしいと言うレベルではない。

 だが声の調子は良くて、ここ最近の中でも上位に入るほど可愛い声を出すことが出来た。選曲は酷いものだが、誰でも分かる曲と言う意味では悪くない。


 要するに手ごたえはあった。しかし、先輩方の表情はオレが想像していたものとは全然違った。初春先輩と藍先輩は困ったように視線を落としていて、優希先輩は目を丸くしている。

 そして忠海先輩は今にも吹き出しそうに笑いを堪えていた。


「曲の指定はしませんでしたが、校歌は意表を突かれましたね。豪語するだけあって、確かに可愛い声してましたよ」


 とうとう吹き出した忠海先輩に可愛いとは言って貰えたが、やはり想像とは違うので「どうでしたか」と尋ねる。


「でも、可愛いだけですよね」


 可愛いなら良いのではないだろうか。両声類はいかに可愛い声を出すかが大切なのだから。とりあえず、歓迎されていないどころか、あまり良い印象を与えられなかったのは理解した。

 だがその手の有名人以上なのだから、何の文句があるんだと言いたいところではあるが。

 硬直した空気の中、おろおろとしていた朝が、珍しく大きな声を出す。


「ごめんなさい。碧君は音楽とかほとんど知らないんです」


「良いと思いますよ。ユメ先輩も音楽に関しては、驚くほどの素人でしたし」


「なあ、朝。なんで謝っているんだ?」


 受けは悪かったが、別に悪い事をしたわけではない。単純に先輩達の評価が不当に低いのだ。ネットを探したって、オレ以上に女声が上手い男はそうそういないのに。

 でも、ユメという名前には聞き覚えがある。しかし、珍しい名前でもないだろう。

 こちらを向いた朝が、怒った時のように強い口調で、オレを問い質す。


「碧君は“ななゆめ”って知ってる?」


「ドラマの主題歌も歌っていたし、流石にオレでも名前くらい聞いた事あるけど」


 ここ二年くらいで有名になったバンドで、ほとんどテレビに出ないって話だったと思うが、何故今そのグループの名前が出て来るのだろうか。

 尋ねる必要も無く、朝が答え合わせを始める。


「そのななゆめでギターとベースをやっているのが、初春先輩と忠海先輩なんだよ」


「……はあ?」


 いくらなんでも突飛すぎないだろうか。注目されつつある音楽グループのメンバーが、こんな所に居るわけがない。

 だが、朝がこの状況下で冗談を言うとも思えず、嫌な汗が背中を流れる。


「いやあ、照れますね」


 忠海先輩がわざとらしく応えるが、やはり朝の言葉を冗談だとは言わない。他の先輩も朝の言葉を否定する事はなく、挙句に名も知らぬ一年生が、強い口調で朝の話に付け加えた。


「しかも、忠海先輩は作曲家のSAKURAその人。そんな事も知らないでやって来ただけじゃなくて、歌も大した事ない。

 それに、歌ったのがよりにもよって校歌って……」


 背の高い一年生が、呆れと共に軽蔑の眼差しをこちらに向ける。

 SAKURAなる作曲家をオレは知らないが、問題はそこではない。話を総合すると、オレはプロ相手に大きな事を言ったうえ、自信満々で歌った歌は大したことないと評価されたと言う事か。


 なるほど、通りで朝が緊張していたわけだ。有名人に会いに来たわけだから。

 穴があったら入りたい。


「朝さん……でいいですか?」


「は、はいっ。真庭朝って言います」


 オレが存在しないかのように忠海先輩が朝に話しかける。こうやって見たら、朝の反応も分からなくはない。

 有名人ってだけではなく、憧れの存在なのだろうから。


「朝さんも入部希望なんですよね? 希望パートとかありますか?」


「はい、えっと。初春先輩に憧れてギターを……ちょこっとしか弾けないですけど……」


 朝の言葉を忠海先輩が、うんうんと頷く。

 それに対して、初春先輩が「変なこと考えてるよね?」と怪訝な目を向けた。「いいえ」と返す忠海先輩の表情には、言葉とは真逆と言わんばかりに、楽しそうな笑顔が浮かんでいる。


「別に変なことじゃないですよ。折角面白い子達が来ましたし、三人プラスアルファでバンドを組ませようくらいにしか」


「ちょっと待ってください。アタシは嫌ですよ」


「じゃあ、入部を諦めますか? あまり部員を増やせませんから、どうしても三人は同じバンドにならざるを得ませんよ」


「確かにそうですけど……でもっ」


「そうですね。一応入部テストって事にします。仮入部期間の間に、三人で何か一曲演奏出来るようになってください。

 もちろん、相応の理由なく誰かが抜けた場合は、その時点でアウト……って事でつつみんどうでしょう」


「あたしは良いと思いますよ、部長」


 初春先輩への問いかけに、何故か優希先輩が答える。他人事のように聞いていたが、オレも巻き込まれている事に気が付いた。

 共に雰囲気の似ている初春先輩ならば、この意見を退けてくれるだろうと期待を込めて視線を向ける。


「ちょっと強引だけど、自分たちでやってもらえる子じゃないとこの先大変なのは確かだから……仕方ないかな」


 しかし祈りは届かなかったらしい。この瞬間、オレの高校生活は自分でもよくわからない方向へと転がり出した。



     *



 昨日はあの後すぐに解散になったのだが、どうやって家に帰ったのか覚えていない。なんだか全てが夢で、今日が入学式のような気すらする。

 しかし携帯に映し出される日付は、、昨日が入学式だったことを物語っていて、ベッドの上で朝から溜息をついた。


「ほら、碧人。いつまで寝ているの。入学したばかりでしょ、シャキッとしなさい」


 母さんの声に気だるい身体を起こそうかと思ったけれど、学校に行く気になれなかった。理由は言わずもがな。ともにどんな顔をして会えばいいかも分からない。


「朝ちゃんが待ってるんだから、早く起きなさい」


 仮病が頭をよぎったが、次なる母さんの声に慌てて起きる。

 なんだって朝が家に来るんだろう。家が遠いわけでもなければ、休みの日には一緒に勉強をしたから家くらい知っているだろうが、こんな事は今までなかった。


 身支度や朝食をそこそこに家を飛び出すと、確かに朝が家の前で待っている。

 オレに気が付いた朝が、笑顔で手を振った。


「あ、碧君。おはよう。髪跳ねてるよ?」


「急に朝が来るからだろ」


「ごめんね。こうでもしないと、碧君今日休んじゃうかと思って」


「流石に無いよ」


 大当たり。朝がいつも通りで安心したけれど、余計な心配をさせないために本音を隠す。

 会話もそこそこに、流れのままに歩き出す。朝を見つけたら、そのまま一緒に学校に行くことが多いので、隣を歩くこと自体には抵抗はないけれど、今日はとても居心地が悪い。

 二人とも何も言わないまま、道を歩く。原因は分かっているけれど。


 まだ同じ制服を着た生徒を見かけない頃、隣から沈んだ朝の声がした。


「碧君、昨日はごめんね」


「何で朝が謝るんだよ」


「碧君が軽音楽部がどういうところかを知らないのに気づいていたのに、黙ってたから」


 朝の視線が落ちていく。確かに朝に前もって教えてもらっていたら、もう少し違う対応は出来ていただろう。

 しかし考えてみたら、何度もオレを止めようとはしていた。それに昨日の朝はオレに付き合っていただけなのだ。


「朝が申し訳なく思う必要はないよ。まあ、オレの完璧計画パーフェクトプランは水泡に帰したけど」


 中三の時の努力が、一瞬で消え去った気分だ。朝が「ぱーふぇくと……ぷらん?」と繰り返すまで口を滑らせたことに気が付きもしなかった。

 今となっては意味のない計画だから別にいいのだけれど。


「昨日碧君が言っていた、部を有名にするってやつだよね」


「笑いたかったら笑ってくれよ」


 有名にするも何も、既にオレの想像をはるかに超えるほど、有名だったのだからさぞ面白かろう。

 しかし、朝は笑うどころか真剣な顔でオレを見ていた。


「笑わないよ。どっちかって言うと、凄いなって思うよ。

 わたしはただ、鼓さんと同じ部活なりたいなって思っていただけで、具体的な目標がなかったから」


「でも朝も無理だって思っただろ?」


「きっとね、碧君ぐらいの意気込みがないと駄目だと思うんだ。だってプロの後輩になるんだから。

 鼓さん達が恥ずかしくない後輩を目指さないといけないよね?」


 最後に語尾が疑問形になって、自信がなさそうなところが朝らしい。でも朝が、俺に愛想をつかしていなかったと分かって元気は出た。

 朝が一緒なら出来る気がするのだ。高校受験だって上手くいったのだから、部活でも大丈夫。持つべきものは友達というわけだ。


 それに入部を断られたわけではない。仮入部期間の間に、先輩達を見返せばいいだけなのだ。

 まだ完璧計画は終わっていない。最高の高校生活は、取り戻せる。


 だいぶ学校に近づいて、同じ制服の人が増えてきた。女子と二人で歩いているのはちょっと、目立つかなと思ったけれど、オレ達だけではなさそうなので気にしないことにする。

 昨日の事を思い出して、思いっきり背伸びをした。


「それにしても、駄目だったら入部できないって言うのも酷い話だよな」


「酷くないわよ、校歌君」


 一瞬、朝かと思ったが、全然違う。朝はこんな風には喋らない。

 いったい誰が話に割り込んできたのかと思ったら、昨日の一年生が恨めしそうな顔でこちらを見ていた。


「えっと、君は……」


「井原麗華よ。あんたには自己紹介していないとはいえ、入学式で何をしていたのかしら」


 入学式、入学式。ああ、新入生代表挨拶をしていた子か。通りで見覚えがあったわけだ。

 昨日好き勝手に言われた事を水に流して、初対面のように接してやろうと思ったのに、何でこんなに高圧的なのだろうか。

 そう言う性格なのかもしれないが、とりあえず一つはっきりさせておかないといけない。


「何だよ、校歌君って」


「あんたを称するのにピッタリな名前だと思うんだけど」


 発想が中学生の男子と一緒だと思う。しかし、この間まで中学生男子をやっていた身としては、言い返す言葉も無い。

 立場が逆なら、オレも「校歌さん」と呼んでいただろう。だから話を変える事にする。


「何だって話しかけてきたんだ?」


「誰かさんのせいで、入部が危ぶまれてるからよ。文句ある?」


「先輩の言葉だと、オレが居なくても入部テストしそうな感じだったけどな」


 勢いで言ってみたが、案外的を射ていたらしく、井原が何か言いたそうな顔をして黙り込む。しかし、すぐに「とにかく」と開き直った。


「運命共同体にされたんだから、ちゃんと働いて貰うわよ。今日の放課後、三人で話し合いするから、勝手に帰らないでよね」


 フン、と鼻を鳴らした井原が、大股で学校まで歩いていく。井原の姿が小さくなったところで、朝がオレの袖を引っ張った。朝のほうを見ると困った顔で小さく首を左右に振っていた。


「喧嘩しちゃ駄目だよ?」


「喧嘩を売って来たのはあっちだろ?」


「確かにそうなんだけど……」


「大丈夫、話し合いには出るよ。先輩達を見返さないといけないからな」


「うん、その意気だよ」


 朝らしい屈託のない笑顔を受けて、井原に引き止められてから止まっていた足を動かす。

 しかし、すぐに一つの疑問が生まれた。


「訊きたいことがあるんだけど」


「何かわから無い事あったかな?」


「今日って学校いつ終わるんだ?」


「お昼までだけど、碧君昨日聞いてなかったの?」


「自己紹介する事だけ覚えてる」


「分かった。昨日のホームルームで言っていた事、話すからちゃんと聞いててね」


 朝が隣で今日と明日の予定を話し出す。朝がいてくれて助かるなと思うと同時に、先ほど一悶着あったのに全く動じていない学友達の対応力の高さに驚いていた。

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