plan.2
*
入学初日、普通だったら新しい生活への期待や不安でいっぱいになっている事だろう。
だが今日のオレはそんな事は無かった。同じクラスに朝がいるから完全に孤立することがない事も理由だろうが、一秒でも早く軽音楽部に行きたかったのだ。
お蔭で、起きてはいたが入学式で何をしていたのかサッパリ覚えていないし、ホームルームの内容も「明日自己紹介するから何か考えて来い」とだけしか認識していない。
ようやく解放された時、自分の中では十何時間も拘束されていた印象だったのだけれど、まだ正午を少し回ったくらいだった。
さっそく軽音楽部に向かうべく、朝の姿を探す。朝は数人の女子と話していたけれど、視線に気が付いたのか、話すのを止めてオレのところまでやって来た。
「お待たせ、ごめんね」
「ああ、待った」
「碧君楽しみだったんだもんね。ごめんごめん」
こちらの軽口に対して、朝も冗談気味に返す。やり取りは適当だが、オレがどれだけ待ち望んでいたかは伝わっただろう。
伊達に一年間、毎日顔を合わせていない。一年一緒だったのに朝がギターを練習していた事はさっき知ったけれど。
何にせよ、朝は気の置けない友人であることに変わりはない。
「それじゃあ、行くか」とオレが先行して歩き出した時、朝の表情が緊張に染まったのだが、入学式の日から部活を見に行くって、そこまでだろうか。
普通じゃないだろうけれど、やっちゃいけないわけでもない……はず。ホームルームで禁止されていない限り。
だが、朝が禁止されていると言わないので、その点については問題ないだろう。
朝の緊張を解そうと適当に話を振りながら歩くこと暫く。オレは重大な事に気が付いて足を止めた。
オレの前に出た朝が、驚いたように「どうしたの?」と尋ねる。
「朝……部室知ってるか?」
「知らないよ、今日入学してきたんだもん。って言うか、碧君知らないで歩いてたの?」
朝が非難の色を滲ませて、オレを睨み付ける。朝が睨んだところで、大して怖くないのだけれど、困ったことになった。
一応責任も感じるので、誰かに訊こうと辺りをキョロキョロと見回す。
軽音楽部と言えば音楽室。音楽室と一般教室が同じ棟にはないだろうと、特別棟と書いてあるところまでは来た――全く何も考えずに歩いていたわけではない――のだけれど、そのせいか廊下に人影はない。
地学準備室や美術室とプレートが出ている教室では、何かしら活動をしているようなので、尋ねてみてもいいかもしれない。
どちらにするかと考え始めたところで、「君たちどうしたの?」と背後から女の子の声がした。学校に慣れたような落ち着いた声に、先輩だろうなと振り返ると、よく似た顔の二人の女子生徒が立っている。
恐らく双子なのだろうけれど、一人は髪を下ろしていて、もう一人は髪を一つに結んでいるので間違える事はなさそうだ。あと悔しい事に、オレよりも背が高い。
一つ結びの先輩が、意味深な笑みを湛えてオレ達に問いかける。
「一年生みたいだけど、こっちには下駄箱ないよ?」
「あの、一年なのはあっているんですけど、オレ達軽音楽部の部室に行きたいんです。場所分かりますか?」
せっかく声を掛けて貰ったのだ、一年生らしく先輩方に頼る事にする。
今まで温和な顔でこちらを見ていた、髪を下ろした先輩が嬉しそうに手を叩いた。
「そうなんだ。私た……」
「藍」
一つ結びの先輩の鋭い言葉に、藍と呼ばれた先輩が「優、どうしたの?」と首を傾げる。優と呼ばれた先輩は、悪戯っぽい表情でふふんと笑う事で返した。
急に蚊帳の外に放り出された気分ではあるが、あらためて見た二人の容姿に自分の事など、どうでもよくなった。
煌びやかと言うのだろうか、全校生徒の憧れの的と言っても過言ではない程に整っている。隣にいる朝と比べても一目瞭然。朝も可愛いとは思うけれど、先輩達のレベルが高すぎる。
華があるのに気取っておらず、自然体であるがゆえにさらに惹きつけられる。
入学初日からこの先輩方に声を掛けてもらえただけで、校内の勝ち組を名乗れるのではないだろうか。完璧計画から見ても幸先がいい。
このままお近づきになりたいが、計画を進めればいずれは深い仲になる事も夢ではない。将来に対する期待が増したところで、話が纏まったのか優先輩が口を開いた。
「軽音楽部はこの棟の最上階にある音楽室で活動しているみたいだから、行ってみたらいいよ」
「ありがとうございます」
「それじゃあね」
優先輩は手を振ってから、藍先輩の手を引いて階段を上って行った。藍先輩が一度こちらを見て何かを言いたげだったのだけれど、気のせいだろうか。
良い思いも出来た上に、目的地も分かったので、気を取り直して先を急ごうかと朝を見たら、惚けた顔をして階段の先を見つめていた。
「とーもー。先輩達がどうかしたのか?」
「あ、うん。えっと、碧君は知らないの?」
「知らないって、何を?」
「ううん、何でもない。さっきの先輩達、綺麗だったなって思って」
やはり女子から見ても綺麗なのか。オレと同じ感覚ならば、朝が惚けていたのも頷ける。だが、ここで立ち止まっていても仕方がないので、「行くか」と朝に声を掛けて歩き出す。
しかし、階段に足をかけたところで「碧君」と少し震える声で呼び止められた。
見ると、朝が不安そうに両手を胸あたりで遊ばせながら、こちらを見ている。
「やっぱり行くの止めにしない?」
「何を今さら。場所も分かったんだから、心配することも無いだろう?」
「入学式から行くって、やっぱり変だよ。すぐに正式な体験入部期間に入るんだから、それまで待ってからでもいいんじゃないかな」
「朝の気持ちも分からなくはないけど、オレは行くよ。一分一秒でも無駄にはしたくないし」
大人しい朝にしてみたら、今日のように先んじた行動をとる事自体が大変なことであるのは分かる。最後まで一緒に行けないのは残念だが、文句を言いつつもここまで来てくれたことは嬉しいので、無理強いはしたくない。
他の事だったら、朝に合わせてもいいのだけれど、今回に限っては溢れる衝動を抑えることが出来ないのだ。
そんなオレの決意なのかオーラなのかを感じ取ってくれたのか、朝が「わかった。わたしも行く」と重たい一歩を踏み出した。
階段を上がるにつれて、朝の緊張が増していくのが分かった。ずっと何かを考えているようで、話しかけても生返事しか返ってこない。
成績こそオレと変わらない朝だが、人並みに校則を破っていたオレとは違って、しっかりとルールを守る模範生でもあった。
だから緊張しているのかもしれないが、いまやっている事は校則違反ではないし、いろいろと差し引いたとしても、朝の緊張具合は異常に見える。
「有名人に会うわけじゃないんだから、落ち着きなよ。ほら、深呼吸」
「あ、えっと。うん……そうだね」
オレの言葉につられて深呼吸した朝が、ようやくオレと会話をする。
しかし、朝の視線は下を向きっぱなしで、何か不安な事があるのは確かなようだ。
訊いてもいいが、今まで黙っていたと言う事は、誤魔化されるだろう。
話すのを止めて三階まで上って来た。相変わらず廊下には人が居ないが、電気がついている教室も一つしかなく、見た目は二階と変わらないのに寂しげな雰囲気がする。
それともオレも緊張しているから、そんな風に見えるのだろうか。
首を振ってから最上階に当たる四階へ向かう。階段の踊り場から、廊下に入ったところで足を止め教室を書いたプレートを探したら、すぐに音楽室の文字が見えた。
扉の前に着たところで、朝が深呼吸をする音が聞こえる。
先輩とは言え、相手は同じ高校生なのだから、心配する事も無いと思うのだけれど。
朝を無視してはいるわけにはいかないので、「大丈夫か?」と声を掛ける。
「うん。大丈夫」
緊張が滲む声に大丈夫さは感じないのだけれど、本人が大丈夫と言うのであればこの時間を長引かせる意味はないだろう。音楽室のドアをノックする。
「いいですよ」と楽しげな返事が来たので、「失礼します」と言ってからドアを開けた。
「ようやく来ましたね。ようこそ軽音楽部へ」
中学校のそれとほとんど変わらない内装の音楽室で、オレ達を迎えてくれたのは、先ほどの先輩達と同じくらいの身長で、ふわふわセミロングの髪をした、猫っぽい笑顔の先輩だった。
こんにちはと挨拶をしようかと思ったのだけれど、気になる人物が居たので何も言えなくなってしまった。音楽室にはオレと朝を除いて五人の人間がいるのだけれど、うち二人をオレは知っている。
オレだけではなくて、朝も知っている。なんてことはない、さっき道を教えてくれた先輩達だ。優先輩の方がこちらに気が付いて、楽しそうに手を振る。
残りの二人は初めて見る人。一人は今いる中で最も背が低く幼い顔をした人で、どことなく朝に似た雰囲気をしている。
もう一人は気が強そうな目をしていて、この中で一番背が高い。しかし身長に反して胸はオレとそう変わらないように見える。
それぞれに魅力的で、校内のレベルの高い女子を集めてきましたと言われても驚かない。
むしろ、これだけそろって軽音楽部です、と紹介された方が目を疑う。
朝が彼女たちをどう見るのだろうかと様子を窺って見たのだけれど、何か言いたそうに口を中途半端に開いて黙っていた。
似たような反応をテレビで見たことがある。確か突然大好きな芸能人に出会ったら、みたいな企画だっただろうか。
「ところで、貴方達は何をしに来たんですか?」
「あの、体験入部と言うか、入部したくて来たんですけど」
出迎えてくれた先輩に尋ねられて我に返る。こちらの目的を伝えたら、先輩は何かを考えるように顎の下に手を持って行って「ふむ」と呟き、残りの四人がいる方を見た。
「今年の一年生は、皆気が早いみたいですね」
やれやれと言わんばかりの先輩の声は何処か、おもちゃを見つけた子供のような無邪気さを帯びている。
調子はいいけど接しやすそうな先輩だけれど、朝の緊張は無くなるそぶりを見せない。
先輩の言葉から察するに、オレ達の他にも一年生はいるようで、無難に一番背の低い子かなと推測する。
しかし「桜ちゃんも大して変わらなかったと思うよ」と先輩に対してため口を話しているところを見ると、予想は外れたらしい。
だとしたら消去法的に、一番背が高い子が一年生になるのか。何だろう、世の中の不条理を感じる。
百七十センチはあるだろう。五センチくらいくれないだろうか。
「すみません……いてもたってもいられなくって……」
と申し訳なさそうに謝るので、一年生で間違いないだろう。こちらまで来ている、桜と呼ばれた先輩が、振り返って気にしていない声を出した。
「良いんですよ。ですが、さっきも言いましたけど、桜達はあまり相手してあげられないですよ?」
「それは承知の上です。むしろアタシ達に構って、本業をおろそかにされた方が困ります。
たとえ月に数回でも、相手して貰えるだけで十分すぎますから」
この同級生も先輩相手にかしこまり過ぎではないだろうか。必死が何というか、先輩後輩ではなく師匠と弟子のような関係にも見えた。
そう言えば、この一年生には見覚えがある気がする。
話に区切りがついたところで、一番背の低い先輩がこちらにやって来た。
「ごめんね。こっちだけで話しちゃって、」
「そ、そんな事ないです」
ようやく朝が声を出したけれど、やっぱり少しでも嫌われたくないと言う必死が滲む。先輩は見た目に反して柔らかく微笑んだ。
「あたしが部長で、ギターを担当している初春はつはる鼓つつみです。それから」
初春先輩が軽く自己紹介をした後で、桜先輩を示した。続けて桜先輩が自己紹介をする。
「副部長の忠海ただみ桜さくらです。楽器は大体何でもできますが、メインはベースですね。誤解がないように言っておきますが、つつみんは三年生ですよ」
「桜ちゃん」
初春先輩が鋭く忠海先輩の名前を呼ぶ。きっと睨んでいるのだろうけれど、朝以上に迫力はない。むしろ、可愛らしい。
まあ、忠海先輩と親しげに話していたし、三年生だとは分かっていたけれど。でも、外見情報だけでは、中学生と言われても違和感がないのは確かだ。
忠海先輩は、反省した様子も無く話を続ける。
「桜達三年生は学外のバンドにも参加しているので、基本的にはそちらの活動を優先します。月に一回程度だとは思いますが、頭に入れておいてください」
学外のバンドと言うのもあるのか。さっきあまり相手できないかもしれないと言っていたのもこれが理由だろう。
自己紹介は双子の先輩へと移り、最初に名乗ったのは優先輩。
「二年の三原みばる優希ゆうき。担当はギター兼ボーカル。そんなに難しくはなかったと思うんだけど、大丈夫? 迷わなかった?」
「大丈夫です。迷いませんでした」
「それなら良かった」
ニッと笑う優希先輩の隣、藍先輩が話し出す。
「同じく二年の三原みばる藍あいです。担当はドラム兼ボーカルです。優とは双子だけど、多分どっちがどっちかは分かるよね」
「髪型が変わらなければ」
正直に答えたオレに、藍先輩は「じゃあ、大丈夫だね」と微笑む。
先輩方の自己紹介が終わり、次はオレの番だろうかと思ったので、一度唇を舐める。
「今日入学してきました、一年の和気碧人です。ボーカルをやりたくて来ました」
「音楽経験はあるんですか?」
忠海先輩が何気なく尋ねる。部として活動する以上、新入部員のレベルを知っておくことは大事なのだろう。正直に「ないです」と答えた。
忠海先輩はとたんに表情を曇らせて、何かを考えたかと思うと、次の質問を投げかける。
「軽音楽部で何をしたいのか、具体的に考えてます?」
「オレの歌でこの部を全国的に有名なものにしてみせます。オレ、声には自信がありますから」
それはもう自信たっぷりに言ったら、忠海先輩が耐えられないとばかりに噴出した。他の先輩も困惑したり、笑ったりしているが、これは仕方がないと思う。
どう聞いても夢物語で、身の程を知らない一年生が大きな事を言ったようにしか見えないから。朝にも話さなかったのは、これが理由でもある。
しかし、謙遜していてはオレのやる気を見せられないし、何よりすぐに誤った評価だったと認識してくれるから、今は笑い者でも構わない。
先輩達とは別に、朝がオレの腕にしがみついて何かを言おうとしたのだが、まだ笑いの収まっていない忠海先輩が先んじて話し出した。
「そこまで言い切ると言う事は、よっぽど自信があるんですね」
「もちろんです。こう見えて、あの初代ドリムよりも可愛い声を出せますから」
もう少し勿体つけたかったのだけれど、ここで言わなければさっきのただの狂言になる。
忠海先輩を始め、先輩方のオレを見る目が真剣なものに変わった。なるほど、少なくともオレの言葉を信じてくれる気になったのか。
「そう言う事なら、何か一曲適歌って貰っていいですか?」
忠海先輩からの問いかけに、オレは「何でもいいんですね」と返した。
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