10月31日【特別な人】
ハロウィンの夜、リーリュはセシルと共に、まだ明かりが少ない夜の魔界の街を歩いていた。八時頃だろうか。時計を持っていないので分からない。しかし人々が帰ってきていないことを鑑みると、大体そのくらいの時間だろうと思った。
二人は、一切喋らずに静けさの中を歩く。風が肌寒い。
やがて沈黙に耐えられなくなり、リーリュが静寂を壊した。
「さっき敵と戦って、やっと死ねるかなーと思ったんだよ。でも、よく考えたら俺って死のうと思えば死ねるんだよね。なのにこうして生きてる。だったら、俺は本気で死にたいなんて思ってないのかもしれないね? どっちなんだろう」
たった数十分前のことであった。ルギアのことは伏せて、敵という風に言ってセシルに伝えていたので、この話は通じるはずだ。けれど、返ってきたのは沈黙。
控えめな視線で、女性のように綺麗な横顔を見上げた。
いつもなら輝いている紺青色の瞳に、感情は無かった。いや、感情が読み取れないだけか。こういう時のセシルがどんなものか、リーリュは身に染みて知っていた。自傷癖が初めて露見したあの日。
「……んー、怒ってます?」
あらゆる心情を封鎖した、わざとらしい声で言う。リーリュが立ち止まっても、セシルは歩みを止めなかった。気づいていないのかもしれないし、故意にやってるいるのかもしれない。そんなことはどうでも良くて。
セシルの腕を掴む。
「理由分かんないよ」
問いかけに反応して立ち止まったセシルが振り返る。彼は、今にも泣きそうな、崩れそうな、狂いそうな表情をしていた。脳内で考えて結論を出すよりも先に、やってしまった、とリーリュの心が叫ぶ。追いついた理性的な結論が、どうしてそう思ったのかを説明してくれた。
これは、あの日のシルだ。
「なんで?」
震える声が頭を殴る。
「なんで死にたいなんて言うの? 今までずっと言ってきたよね? 冗談でも本気でも、そんなこと言うの止めてって。もう数えきれないくらい一緒にいるのに、どうして分かってくれないの!?」
セシルは、泣いていた。涙を拭ってあげたい。けれどできない。
泣かせたのはリーリュで、その涙を拭う権利なんて持ってない。
「……だって、シルの思ってる事、俺分かんないもん」
それは事実であった。これまで何度となく言われて、その度に真意を探ろうとした。けれども、時間をかけてもかけても答えは出なかった。なにもこの時の話だけではなく、いつだってセシルの心の中は不透明である。
セシルは乱暴に涙を拭う。複雑に混じりあった感情が籠った目。
「僕にとって、リルが、リルだけが生きる意味なんだよ。ずっと隣にいたいって思ってるんだよ。これさ、言ったことあるよね?」
はっきりと区別できない映像が目の前に流れた。入り乱れている映像は、全てあの日の記憶だ。あぁ、思い出した。どうして忘れてたんだろう。これは、これだけは絶対に忘れちゃいけないことなのに!
「リルが死のうとしたあの日に、ちゃんと言ったよ?」
唇を噛む。何も、言えなかった。正論を突きつけられているから。
「リルにだけはいなくなってほしくないんだよ。誰も彼もが僕から離れていくけど、絶対に離れないからって約束してくれたじゃん」
全部、忘れていた。
「死にたいって言われる度に、やっぱりあれは嘘なんだって思っては嫌いになろうとした。でも! リルの隣にいない自分なんて生きる必要ないじゃんってなって。……結局嫌いになれないんだよ。そのくらい、依存しちゃったんだ」
リルと過ごした時間に。
最後にくっついた言葉が、どうしようもないほど苦しくさせる。
「ごめん。そんなこと思ってたなんて覚えてなかった。だって、一緒にいるのが当たり前になってた。そもそも、さっきの答えなんてとっくに出てたんだ。俺が気づかなかっただけで」
幸せでは幸せだと気づかない。日常から無くなった瞬間、初めて気づくように。
「あの時から、本気で死にたいなんて思ってない。シルの隣で笑ってることが俺の全てだから。今までの死にたがりは、全部全部、シルに求めてほしかったからなんだ。生きていてほしいと言われたかっただけだった」
誰かに望まれなくなった時点で、人は死ぬ。
いつかどこかで聞いた、誰かの言葉。
「死にたくないから、死にたがってたんだよ」
セシルの目が見開かれた。驚きで思考停止しているのが見え見えだ。
少しして、セシルが口を開いた。
「心配してほしかっただけ……ってこと?」
心配してほしい。そう表現されると、なんだか子供じみているようで情けない。でも、そういうことなのだ。要は、セシルに甘えていただけなのだ。
「あー、うん、そういうことかな?」
いよいよ本格的に情けなくなってくる。
なんて子供みたいなことを言ってるんだ、俺は。…………。
「ごめんやっぱなんでもない忘れてくださいー!!」
自己嫌悪と羞恥心でいっぱいになり、わーっと叫びながらしゃがみ込む。今絶対に顔見られたくない、見られたら死んでもいいと本気で思った。
世界一速い手のひら返し。
そんな、すぐにでも穴に埋まって命を絶ちそうなリーリュの頭に優しく手が置かれた。顔を覆う手の隙間から、小憎たらしいくらいに満面の笑みのセシルが見える。
「なーんだ、リルもちゃんとそういうとこあるんだね」
「子供っぽいって馬鹿にしたいならすればいいよもう!」
やけくそで叫ぶ。怒ってるんだか恥ずかしがってるんだか微妙なところ。
しかしセシルはそれでも嬉しそうに笑っている。
「違う違う。あのね、この際だから暴露しちゃうけど、この関係って僕の一方的なものなのかなって思うことがしょっちゅうあったんだよね」
「……そんなことない」
「うん、分かってるけど。でも心配になった。リルは何も言ってくれないし、何もしてくれないから」
まさに、虚を突かれた状態。
思い返せば、リーリュはあまりセシルに好意を示すようなことをしなかった。それは単に彼の性格的にできなかっただけなのだが。
「うーん、リルが自分をさらけ出すことが嫌いだっていうのも分かってるんだけどさぁ。なんだろね。やっぱり不安になるんだよね。一緒だね」
一緒だねと言われて、やっと顔を上げる。同じ思いをしていたんだと、ちょっとだけ気持ちが楽になった。あくまでちょっとだけ。
「本当に?」
「嘘はつかないよ」
「それが嘘でしょ」
「バレた」
可愛い子ぶって舌を出すセシル。あれ、なんか最近見たことある気がするぞ?
「シルさぁ、あいつに似てきたね。ルナに」
「え、それはやだ」
「ルナが聞いたら泣きそう」
「言わないで!」
「大丈夫、言わないから」
「リルのそういうところ好き」
「タッカと違って口に鍵穴があるからね」
セシルが笑いを堪えて言った。
「でも鍵が無い」
意味を理解すると、リーリュは問答無用で脇腹に拳を入れる。大げさに痛がるセシルが面白くなって、思いっきり笑った。セシルも釣られて笑い出す。笑いが止まらなくて死にそうになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます