第15話 重度の軽傷

 弥生賞で怪我をしたタリスユーロスターは、救急車に運ばれ動物病院へ―


―栄動物病院到着。


「何だよ~すわっち~、急に馬連れて来て…。」と諏訪よりも歳を召しているさかえ 邦治くにはる獣医師が現れた。


「急患じゃ!治してやってくれ!」と諏訪は頭を下げ、それを見て山下も頭を下げた。


「こらバカ、頭下げるんじゃないよ…!とにかく中に入りな。」


 病院の中は犬や猫、インコや金魚までいて、馬のような大きい動物はいなかった。


「頼む!治してやってくれないか!」と諏訪は再び頭を下げた。


「…まぁ診るだけならいいが………。」と栄医師は気だるそうだ。


……………。

…………。

………。

……。

…。

「コズミだな…重症のほう。」と栄医師はそう診断し、「…なっ!!」と諏訪は驚きを隠せなかった。


「…えーっと……コズミってなんすか…?」と山下はおそるおそる聞いてみた。


「ふぁ!?コズミも知らんのか!お前よくこの業界にいれるな!」


「…うぐぅっ……。」


「コズミは競馬用語で筋肉痛のことだ。全治1か月といったところか。」


「1か月!?皐月賞って、いつだ!!……………っ!」とタリスは痛みをこらえながら言った。。


「皐月賞は6週間後じゃ……。」と諏訪が答えた。


「ふぅ~。なんだ、間に合うじゃん!」とタリスは安堵した。


「何言ってんだ!1か月だって言ってんの…!

 それに1か月で治っても2週間じゃあ調整しきれないだろ…?」と栄医師は言い、「皐月賞は諦めな。」ともう一言。


「……………っ!

 で、でもさぁ!数少ないGⅠレースなんだよ!チャンスを逃したくないんだよ!」とタリスは反抗したが、「皐月賞を回避する。」と諏訪は決意した。


「ふざけんなよ!!……っ!俺はさあ…!」


「まぁまぁ落ち着いてタリス。」と山下はなだめた。


「そうじゃ、落ち着け。全治1か月ならダービーに出走られるじゃろう…。

 お前さんの夢を叶える重要なレースじゃろう…?」


「……………。

 …そうだ……そうだよ…ダービーがあるじゃん!」


「…夢?

 確かにダービー制覇はすべてのホースマンの夢だが………何そのいやらしい顔…。」と栄医師は少し引いた。


「…っ!

 ダービーさえ勝てれば永久種付け権をゲットできんだよ!!」


「…永久……ん?なんだって?」栄医師は耳を疑った。


「永久種付け権だよ!!!

 他のGⅠは種付けできる数を増やせるけど、ダービーだけは永久に種付けできる権利を得られるんだよ!!!!!」


「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………(一時の間)。

…すわっち……こいつ何言ってんの…?」


「わしはもう慣れた。」と諏訪は表情を変えずに答え、栄医師は山下の方をチラッ見て、山下はコクコクとうなずいた。


「…ぷっははははは!

 バカだ!!バカがいるぞ!!!」


「な!?………っ!何がバカなんだよ!!」とタリスは怒った。


「いやぁ…バカだろ!そんな目的で競馬する奴いないだろ!

 仮にそうだったとしても、普通誰にも言わねぇだろ!!あはははは!!」栄医師の爆笑は止まらない。


「頼む!治してやってくれ!またダービーを一緒にとらんか…?!」と諏訪は頭を下げ、栄医師の笑いは止んだ。


?!」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


―35年前、諏訪すわ 隆博たかひろ、当時22歳。

 美浦トレーニングセンターの久保くぼ 義弘よしひろ厩舎に調教厩務員として所属。


「先生!ブリュウが…!『ブリュウファースト』がコズミを発症しちまった!!

 頼む…治してやってくれ!」と諏訪は栄医師に頭を下げた。


「はいはいお薬出しますねー。」


「そんな適当に流さんでくれ…!治してやってくれないか!」


―別の日。


「先生!ブリュウが鼻出血を発症しちょる!

 頼む…!!一刻も早く来て治してやってくれないか!!」と諏訪は電話越しに栄医師に頭を下げた。


 鼻出血びしゅっけつとは、鼻血のこと。

 馬は人間と違い、口呼吸ができず鼻呼吸しかできないので、鼻出血を発症すると充分に呼吸ができなくなる。


「電話越しに怒鳴りつけるな!!耳がキンキンするわ!!

 それと鼻出血ならティッシュでも突っ込んでおけ!」


「それで治らんから頼んどるんじゃ!

 頼む!治してやってくれないか!」


―さらに別の日。


「先生!ブリュウが発熱を起こして熱が全然下がらんのじゃ!

 早く来てくれないか!!」と諏訪は電話越しに栄医師に頭を下げた。


「…発熱って……何か悪いものでも食べたのか?」


「…いや、おそらく輸送熱じゃ。

 ただの輸送熱だと思うんじゃが…明日はダービーなんじゃ!少しでも不安要素を残したくないんじゃ。

 頼む…治してやって……くれないか………。」


―ダービー当日。


 ブリュウファーストだ!!!ブリュウファーストが先頭に立った!!!

――ゴールイン!!!!!

 ブリュウファーストです!!!皐月賞15着の大敗からの復活V!!!


「……………。

 たかが数日数週間の付き合いだろ……。

 何泣いているんだろ…俺。」

 栄医師はダービーをテレビ中継で見て、その結果に一粒の涙が落ちた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「…またって……俺は何もしてないよ。」と栄医師。


「いや…先生がいたからこそダービーをとれたんじゃ。

 また先生の力が必要なんじゃ。頼む…治してやって……くれないか………。」諏訪は頭を下げ続けた。


「たまたま俺が面倒を看たが…俺である必要がねぇだろ。」


「…そう……たまたまじゃ…。

 ダービーは『最も幸運に恵まれた馬が勝つ』といわれるレースじゃ。

 先生と巡り会えたのは幸運じゃった。

 それだけじゃない…ブリュウに会えたのは幸運じゃった。

 ブリュウを連れてきた武志(アブソリュートの馬主のたつみ 武志たけし氏)に出会えたのは幸運じゃった。

 久保元調教師はブリュウを受け入れ、わしを担当にしてくれたのは幸運じゃった。

 もし先生に出会えていなかったら、じゃろう。

 そして、小牧に出会い、山下に出会い、タリスに出会い、先生とまた巡り会えた。これらの出会いはすべて幸運なのじゃろう……。

 そしておそらく、わしが調ダービーに挑めるのはこれが最後かもしれん…。

 だから頼む!治してやってくれないか!!」


「…じーさん……。」とタリスは少し感動し、山下はブリュウファーストについて携帯で調べていた。


「はぁ~…俺は何もしねぇよ。

 ただ…目の前にいる患者を治すだけだよ……。ついて来な…!」と栄医師は奥へ連れていった。

 奥には馬が2頭は入るであろう大きなエレベーターがあった。

 陣営はそれに乗りこんだ。


「…え!?え!?何これ!?何これ!?

 何この地獄に落とされるような感じ!!やべぇよ!!やべぇよ!!」とタリスは初めてのエレベーターにビクビクしていた。


―地下1階に到着。


「ここだ…。」と栄医師言うと、陣営の目の前には近未来感がある機械マシンがずらっと並んでいた。


「「何だこりゃ!?!?」」とタリスと山下は驚きを表した。


「相変わらずすごいなぁ…。前より増築してないか…?」と諏訪はここに何度かきたことがあるのでそこまで驚かなかった。


「ああ…少しな…。

――さてタリスユーロスター。目の前にある機械を使って全治1か月のところ、1か月にしてやるよ!」と最初気だるげだった栄医師がやる気になっていた。


「…おう!!」




――翌日。小牧騎手が見舞い来た。


「……ぇっと………ぁの……大…丈夫……?」


「いや…まだ全然。」


「…だ、だよね……。こ……これ、お見舞い……。」と小牧が差し出したのは赤いリンゴだった。


「おお!リンゴじゃん!」とタリスはリンゴをむしゃむしゃと食べ始めた。


「…こ、これで許されると思っていないけど……ごめんなさい!」


「…!?

 何で謝ってるの?別にお前、悪いことしてねぇよな…?」


「…え!?だ、だって…今、タリス君がここにいるのは僕が鞭を入れたから……。」


「…だから別にお前のせいじゃねぇよ。俺が禁止にしている100%のコンスタントスピードを勝手に使ったからだよ。

 お前は悪くないよ。」


「……で……でもぉぉ…。」


「むしろ嬉しいよ。」


「…ふぇ…?」


「朝日杯の時は怒鳴りつけてやっと鞭を入れたけど、今回の弥生賞は俺が声掛けをしたら『…大丈夫。』って言って、鞭を入れたからさ…!

 …その……嬉しいんだよ。

 だから………次も頼むよ。」タリスは少し照れながらそう語った。


「…う、うん!」小牧も嬉しそうだ。




 タリスの傷はまだ深いが、タリスと小牧の絆は少し深まった―――。

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