第3話 宵闇骨牌
マリアをどこに寝かすか、という話になった。育ち盛りだからきちんと横になって寝られるようにすべきだし、また寝ている間に転移魔法が働くかもしれないから見張りを置くのがよいし、何なら自分の部屋に持っていきますよ、と側近は言った。どういう風の吹き回しだか分からない。時価五億魔界円相当の魂云々とか言ったのもこの男だったはずだが、かくれんぼとかおにごっことか「ぐらしゃ・らぼらす太郎」読み聞かせとかしているうちにその気はなくなってきたらしい。幼女はすごい。逆に危ない。
「ねむたくないもん」
「いや健全な発育のために寝てもらうぞ」
「しかし見張ると言っても、お前も粗忽だし」
今日の魔王は辛辣だ。
「でも魔王さま、お疲れでしょう。後は風呂入って寝るだけって恰好ですよね」
言う通り普段は見せない肩まで出ている、要するにタンクトップ姿である。薄着になると、彼の肌には鱗が敷き詰められているのがよく分かる。毒棘の生えた太い尻尾もそのまま投げ出されている。これが身長二メートルほどで筋肉質で歯はギザギザで、幼女もよく泣かないものである。
「まさか一緒に寝るとか言わないですよね」
「その発想がなかった」
「いいよ!」
幼女は親指を立てて承諾したが、毒棘持ちなので添い寝をするのは危険だと思われる。それに下手すると寝返りで潰す。
「俺は夜も得意ですから、でも心配なら誰かと交代ではいかがでしょう」
「人間の子どもを取って食わない程度に忠実でうつつを抜かさない奴がいいな。アルメニに任せたいが」
「あいつは子どもが嫌いです」
「子どもも嫌いだろう」
ついでに言えば彼女は忠実だが積極的に魔王の首を狙っている。
「ああ、あいつらでいいじゃないか」
いたではないか、「俺もマリアちゃんと遊びたい」とか抜かしていた奴らが。
「どうもどうも、覚えていただき恐悦至極感激に堪えません」
「お話は伺っております、自分の宵っ張りぶりは書庫セクションいちとの呼び声高いですから安心なさってくださいませ」
部屋の前、控えの間に呼べば、驚くほどの速さで駆けつけてきた。期待していなかったが案外忠義に篤いのかもしれない。こいつらも相当粗忽そうだが、三人も集まれば何とかなるだろう。幼女の応急処置見張り役のふたりは、自分の職務をさぼりがちなことでは定評のある駄目悪魔筆頭である。「でも三人寄ればテスカトリポカの知恵って言うし」妥協であった。
短足な悪魔は名前をクリネラ・クリムゾン・スプラウト、もう片方はネベロ・ブラスマ・マーデウスと言う。クリネラは短足だが金髪碧眼の天使じみた端正な顔立ちの、生物研究者である。ネベロは中肉中背山羊角で、重たげな黒髪に眼鏡が特徴の書庫管理者である。ちなみにクリネラは「短足」と呼ばれがちで、ネベロは「メガネ」と呼ばれがちであり、ここで紹介した立派なフル・ネームはあまり出番がない。
魔王の私室は魔王城の奥に、鬼ごっこができるくらいの広い空間が採られ、続く控えの間では魔王直属の近衛兵たる狼獣人が番をしている。今は眼帯の「三番」が直立不動で目を光らせていた。マリアは側近に任せることに決め、魔王は「今日はもう休む」と告げると、狼は軽く頭を垂れた。その隙に幼女が後ろへ回り込んだ。
「しっぽふわふわー」
誰より狼が驚いた。例え幼女であれ後ろを取らせるつもりはなく、しかし動揺を噛み殺し無表情のまま尾を揺らしてやる。幼女の顔に当たり「きゃあ」と声を上げた。
「お前にもそういうことがあるか」
「さて。尾は勝手に揺れるもので」
狼とて魔王の前で体裁を繕うのは無意味だと分かっていたが、この場に居並ぶ能天気そうな若者たちには多少意味はある。
そのとき能天気な妖魔どもときたら(ふわふわいいなあ)と思っていた。特に短足悪魔は(あ、やっぱりふわふわだったのかあ、強面のガチムチおじさんなのに体毛ふわふわとかギャップ萌えなのかあ、シャンプー何使ってるのかなあ、尻尾洗う時ってボディソープなのかなあ)と個性的な感性が刺激されていたが三番狼は全身牛乳石鹸で洗っている。
「くすぐったいよう」
「……ガゼルロッサ、用心して怠らぬよう」
初めに考えていたよりも随分と厄介かもしれない。言外に匂わせて魔王は去った。
「まおうばいばーい」
さて、側近の私室も城内に設けられているが、ここ主塔ではなく西塔にある。
「マリア、ほら、行くぞ」
「おじちゃんばいばーい」
三番狼はこんな時にっこり笑うのが苦手だったので、無表情に手を振った。短足の個性的な感性に響いた。
「どこにいくの」
「俺の部屋」
「ガゼルのおへやにいくの?ふーん。ガゼルのおへやどんなおへやなの」
「魔王さまの部屋の四分の一くらいの部屋に必要最小限の家具を、白を基調として揃えている。ゴミが見やすいと評判だ」
「ふーん。だっこして」
ガゼルロッサは幼女を抱きかかえた。言うことを聞いたのではなくその方が早いからである。程なくしてマリアは大人しくなり、やがて眠りに落ちた。
「人間の五歳って」
広い城内、複雑な繋がりの城内を最短コースで行きながら、
「自分らで言えばいくつってことかな」
山羊角のネベロ。
「単純計算四十歳」
答えて短足のクリネラ。
「でも五年しか生きてないから、魔族の四十歳よりは絶対に幼い」
そうかそうかと頷くメガネ……ネベロ。
「絵本は気にいるかな」「好きだと思う。さっき魔王さまの部屋で読んでやった」「そうか、文字は読めないか」
側近がはた、と歩みを止める。悪魔たちがどうしたどうしたと振り返り。
「そもそも、言葉……」
言ったきり沈思する側近、しばらくして短足悪魔が察して言葉を継いだ。
「なるほど、魔族言語で会話できる人間、いるか。俺はいると思うけど5歳児ではありえないと思う。時々人間と会話する必要があれば俺たちの方が魔法なりで合わせてやってるでしょ。そもそも人間の言葉だっていっぱいあるしさあ、魔族の方も色々だし、そういう翻訳魔法とか使うの当たり前過ぎて逆に俺も気にせず遊んでたわけよ、でもよく考えたらそれ使ってなかったな。アルメニ殿が子供と話そうとするわけないじゃん。俺その魔法知らないし、メガネお前も知らないやろ」
「せやな」
全部言った。
「いやあ、しかし、俺たちしょうもない悪魔代表が気付かないのはまだしも、魔王様や側近殿がうっかりされるとはうっかりだな」
「魔王さまも変だ」
側近の呟きはいつもの悪い癖である。
「だって幼女に『何者だ』はない」
「あの時は幼女は見た目だけで、誰かが化けていると思われていたのでは」
マリアと地下牢で魔王自ら接見した時のことだとすぐに短足は気付き、また無意識に思考をだだ漏れさせていた側近はむしろ「よく分かったな」と驚いた。ただのサボり癖悪魔ではないようだ。さておき、
「確かに会う前から罠と疑っていたけど。こんな見た目に『何者だ』って言いづらいと思ってさ、余程確証を得ておられてなら別として」
「うん、でもそれは難癖の類だろう側近殿」
「言葉が通じていたから、魔性のものと確信なさったのか……俺にはひとこともなかったけど」
側近は確かならざる違和感を抱え、その根源は彼の腕の中で深い眠りの中だったが、
「『何者だ!』って言って、『フハハ!よくぞ見抜いたな!』って敵が正体を現すベタな演出、魔王様案外好きだと思う」
メガネの言うような真意ではあってほしくないものだ。
側近ガゼルロッサの部屋は簡素だった。魔王の部屋の四分の一はある部屋なのに、主だった家具が寝台と文机くらいしかない。
「お前さんよくこれで家具を揃えた、なんて言い回ししますね」
メガネが「食堂の椅子は今こそ必要だったのでは」と、食堂のものではないその辺の椅子を持ってきて何とか見張り番の居場所ができた。数少ない家具の寝台にマリアを横たえ、囲むように座る面々。
「吸血鬼の方々は貴族趣味というか、派手好みと聞きましたけど。そもそも白で揃える魔族ってあんまりいないですよね」
「確かに俺のは吸血鬼趣味じゃない、実家の感じ嫌いなんだ。魔王さまにお仕えしたのも実家嫌いだから」
見張ると言って黙っていては寝てしまう程度にやり慣れていないため、カードと会話をしながら、暢気である。「修学旅行みたいだねえ」と短足。
「そういえばメガネって名前何だ」
「ネベロです」
この失礼なやり取りも慣れているのが哀しい。
「歳、いくつ」
「にひゃく……」
「ああ、やっぱり。年上じゃないか。畏まらないでいいよ、そっちの短足みたいに」
ガゼルロッサは百八十四歳、魔族の年齢感覚は人間のそれとは当然違うのだが、具体的には城内では大方の魔族より年下になる。あまり敬意を払われるのもこそばゆいくらいであった。そして短足は、
「俺は五歳かな」
「訊いてない」
「合わせても三十二歳だ」
魔界には大きく分けて二種類の悪魔がいる。生まれながらに悪魔である生粋の魔族と、転生し魔族と成った者。ふたつをあえて隔てず「悪魔」と呼ぶのは、彼らの価値観に強く根を張る実力主義からであろう。その価値観は悪魔のみならず、魔界のあらゆる場所で年齢をあってないものにする。とはいえあまり生意気な態度をとっていると無能な年長者が手段を選ばず貶めにかかる、魔界は闇深い場所なのである。
「では遠慮なく、側近殿」
「もう」
名前が呼ばれない点では皆似た者同士だ。
「修学旅行と言えば恋バナなんだよ!」
「どうした藪から棒に、マリアちゃん起きちゃうだろ」
短足が声を上げる、これは手札が酷すぎてゲームを放棄する構えだ。
「俺は三番狼さんが好きだ」
「誰だよ」
「さっきのひと」
眼帯の狼獣人。
「男じゃないか」
「おっさんじゃん。狼じゃん」
「魔界じゃ、そういうの、関係ないって、聞きました」
「好きなだけなら勝手だろうけど」
魔界の恋愛観もまた人間には理解しがたいところがあるが、悪魔の青年が狼獣人の男に恋慕するのは魔界基準でも「好き者」扱いではある。もっとも、同性であろうと異種であろうと禁忌ではなく、色欲に貪欲に溺れる姿はむしろ悪魔らしさとして歓迎されることでもある。相手に受け入れられるかはまた別の問題だ。
「側近殿が言えることか」
「勝手だろ、好きなだけなら」
少し目を逸して側近、枕カバーのことは後ろめたい。いやむしろ、魔王の寛大な処置が恐ろしい。無関心は愛情から沸騰海を隔ててかけ離れた距離にあり、我欲のまま生きる魔族も(だからこそ)愛情が欲しくない訳ではない。
「好きなだけでよいというのは、魔族らしくないね。側近殿はやっぱり変わっている」
「どうだろう」
「最終的には奪い取るのが悪魔の持つべき欲だ」
メガネに見合わず過激とも言える持論に一同は驚いた。とはいえ驚く方が奇妙なことであるのかもしれない、魔の中の魔、魔王の臣下である。むしろ修学旅行の恋バナやろうとしている妖魔の方がマイルドに過ぎていた。
「相手が魔王陛下であろうと、優秀な側近殿ならいずれ力で捻じ伏せるも、無謀な野望ではあるまいに」
「お前の素ってそんな喋り方なんだ」
「優秀とはまた買われたものだなメガネ殿」
「煽るねお前も」
ガゼルロッサの脳裏にはアルメニが浮かんでいた。同じく側近と呼ばれる女悪魔、誰が言い始めたか誰も知らぬが、「魔王の首を狙う方の側近」のアルメニ。彼女はただただ、力で捻じ伏せるために魔法を磨いてきた。絶対に魔王になると心に決めているのだ。「隠そうともしないのか」訊けば、「小細工や闇討ちが通用する相手じゃあない。それに運だけではいけない。魔王っていうのは、圧倒的な、力の支配だから」魔王はその力の傲慢と矜持でアルメニを飼い殺している。ガゼルロッサは揶揄して「魔王の尻を狙う方の」と言われているが、この状況を放置しているのは魔王の怠惰かもしれない。
「生憎、力で手に入るのは玉座、魔王さまじゃないのだ」
側近は宣言した。
「ウノ!」
「なんだとお、ストレートフラッシュじゃないか」
魔族なのでどういうルールのゲームであるかは人知の及ぶところではない。詳しい説明は割愛する。
「うわあ二千文じゃないか」
「おい、メガネ誰が好きか言ってない」
「君ってばまだそれやるの」
「どうせ役がカスなんだろ」
カス札十枚で一文ぽっきりということだった。
「じゃあ負けた順に寝ることにしよ」
「それは狡いんじゃないか」
「お褒めにあずかり光栄、後か先かで損得はないはずだろ、とにかく順番さえ決まれば」
じゃあ、と言って短足は寝た。椅子の上での仮眠は手慣れた様子である。
「あいつ勤務中に技を鍛えたらしい」
「なるほど。研究室長にチクらなければ」
墓穴を掘った。しかし当の本人は寝入っている。
「やれやれ、ババでも抜くかねメガネさん」
「おい、側近、見ろ」
ネベロは慌ててガゼルロッサの顔をカードから上げさせた。それは穏やかに寝息をたてる幼女の上、空気の揺らぎ、ガゼルロッサが一度は見逃した魔法の予兆だった。
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