第2話「そうじゃなくて、こいつ誰? 」
朝、自分の部屋で目を覚まして俺は改めて自分が生きていることを確認した。
自分が生きていることを確認するのはこれで三度目であった。屋台で目を覚ました時と家に辿り着いた時だ。
俺はあの後たった一人で目を覚ました。本当に周囲には誰一人いなく、まるで状況が理解できなかった。
静まり返った世界の中で、たった今産み落とされたばかりの赤ん坊のように不安で不安でしょうがなかった。何度も後ろを振り返りながら帰った。二度と誰かにすがる気にはなれなかった。
学校に着くと俺はすぐにマヤと拓実を探した。昨晩のことを話したくて仕方がなかった。
「でさー、俺はそこで言ってやったのよ。お前ら本当にステーキウィーク食べたことあんのかって」
その日も相変わらず拓実がバカ話をしていた。
「あ、おはよう春樹。例のあれ、期待しててね」
マヤが俺に気づいて手を振った。
「よう、どうした。なんか疲れた顔してんな。体調でも悪いのか? 」
「そんなことどうでもいいから」
「なんだよ。自分の体調の話だろ」
「それより俺、昨日やばいもん見ちまったんだよ。化け物が人を殺すところを見ちまった」
「はあ? なんだよ突然」
「昨日二人と別れた後、商店街の裏道で歩いている女を見たんだ。で、そいつの後をつけてみたら——」
「ちょっと待って。なんで後をつけるの」
「いや、ちょっと気になってな」
「なんで女の人が歩いてると気になんの。街中の女の人の後をつけてるの? 」
「虫の知らせって奴だよ。いいからそこは飲めよ。で、そいつの後をつけてたら、その女が前を歩く人を突然殺したんだよ」
「ウソー、なんで? 」
「知らんよ。いきなり腕で背中から串刺しにしたんだ」
「腕でって、どうやったら腕一本でそんなこと出来んだよ」
「だから知らねえって。ただ見たままを話してるだけなんだから」
「昨日この付近で殺人なんてあったっけ? 」
「知らないなあ。ニュースでもそんなこと言ってなかったけど」
「嘘だろ。俺は確かに見たんだぞ」
「でも……ねえ」
「なあ」
二人は何やら意味ありげに目配せし合った。
「いや、別に昨日の拓実の話に張り合ってるわけじゃないぞ。とにかく最後まで聞けよ。女がこちらを振り向いて目が合っちまったから俺は逃げた。とにかく滅茶苦茶走って、最後にラーメン屋の屋台に逃げ込んだんだ」
「どこかで聞いた話だぞ」
「いいから聞けって。それでラーメン屋のオヤジがどうしたって聞くから、化け物を見たって言った。そしたらオヤジが振り向いて、その化け物ってのはこういう顔をしてたかいって。オヤジの目が赤く光って、よく悪魔の絵とかで見るヤギの頭の化け物みたいな奴に変身していったんだよ」
「それは『ムジナ』ね」
「そうだな」
「そうよね。昨日春樹自身が教えてくれたのに」
「お前さ、人には偉そうにパクらず面白い話しろっていうくせに、自分は次の日にパクるのか? ちょっと人としてどうなんだよ」
「マヤ、こんな奴の為にお弁当作ってきたの? 」
「だってー、こんな人だと思わなかったから……」
「三人で食べましょ。彼にあげることないわよ」
「でもそれだと春樹が空腹で死んじゃうかも……」
「昼食抜いたくらいじゃ死なないわよ。ねえ、拓実くんも一緒に食べましょ」
「やったね。両手に花じゃん」
ちょっと待て。
「ちょっと待て! 」
「待てないね。お前は花壇でも掘り起こして球根食ってな」
「春樹。できたら百合の球根にしといてね。あれなら食用だからお腹壊さないし」
「そうじゃなくて、こいつ誰? っていうか、こいつこそ昨日の、今話した、その、女じゃん! 」
俺の横には昨晩の女がさも当たり前のように立っていた。
三人は、つまりこの女も含めて三人は、アッと小さく声を上げるとそれから押し黙って顔を見合わせた。からかうわけでも強く否定するわけでもなく、もっと大人がよくやるような「気を使う」表情をしていた。
「なんか言えよ」
「だってなあ」
女子二人に突っつかれて拓実が渋々口を開いた。
「何だよ。お前らのその目は」
「勘弁してくれよ」
「何がだよ。っていうかやばいだろこの状況」
俺は慌てて距離をとると、近くにあったモップに手を伸ばした。
「二人ともそいつらから離れろ! 」
「春樹、ちょっと落ち着いて」
マヤが心配そうな目をしていた。
「ロキシーちゃんは大丈夫だよ。全然危なくないし、その昨日春樹が会った女でもないよ。何より前からクラスメートで春樹だって知ってる人じゃない」
「何言ってんだ! 知らないぞこんな女」
「そんなー、いくらなんでもそれはひどいよ……」
「私ってそんなに影薄かったかしら」
「いやいや。そりゃ俺も男子の中にはたまに『こんな奴いたっけ? 』ってなる奴もいるよ。でもロキシーが目立たないなら、そこら辺の女子なんてヘチマみたいなもんだろ」
「ヘチマって、ふふ、相変わらず面白いこと言うわね」
「そう? いいねえロキシーは。俺のジョークにすぐ反応してくれて。もしかして俺たち相性ピッタシなんじゃない? 」
「バカ、調子に乗らないの」
なんだか知らないけど三人は勝手にいい雰囲気になっていた。俺は置いてけぼりにされたみたいで無性に腹が立った。
「信じろよ。そいつは俺が見た——」
「ハイハイ、信じるから」
とロキシーと呼ばれた女が面倒臭そうに言った。
「ねえ紙谷くん。言いにくいんだけど、これって記憶の混乱って奴じゃない? あなたが昨晩、化け物を見たという話はいいとして、その時に見た女の顔は実はそこまでハッキリと覚えていない。状況が状況だしね。ただ外国人風ということだけは覚えていて、近くの外国人である私の顔をすっぽりその記憶に当てはめちゃったとか」
「そんなわけ——」
「ないと言える? 」
ロキシーの落ち着いた話ぶりに俺は急速に自信を失っていった。マヤや拓実まで真顔なうえに、駄目押しとばかりにクラス全員どう見てもロキシーの方の味方だった。
俺はモップを手放すとおとなしく自分の席に戻った。間もなく担任の幸田が来て、これまた普通に授業を始め出した。
俺はその日一日を最悪な気分で過ごした。誰も俺に話しかけてこなかったし、俺も話しかけて欲しいとは思わなかった。
マヤの弁当も有耶無耶になった。俺も食欲がなかったのでそれで良かった。
時々女の方を見ると、彼女も気づいてこちらに小さく手を振り返してくれた。そのはにかんだ笑顔は確かに嘘偽りがないように見えた。少なくとも俺に敵意満々で隙を見ては殺してやろうと考える悪魔や化け物の類には見えなかった。
でも信じてくれ。俺は確かに彼女を見たんだ!
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