亜人狩り・群状金属・ロクサーヌ

本田百郎

紙谷春樹、化け物に一目惚れする

第1話「その化け物ってのはこんな奴だったかい? 」

「するとな、そこで女中が振り返ったんだよ。でもその顔には目も鼻も口もない、いわゆるノッペラボウだったんだ」


 昼休みはいつものように山城拓実劇場だった。奴は仕入れてきた怪談を、大げさな身振り手振りで俺とマヤに語った。


「男は驚いてギャーと声を上げた。そして一目散で紀国坂を駆け上った。電灯がない時代の話だから夜は本当に真っ暗で、1メートル先も見えなかった。男はその中を全速力で逃げに逃げた」


 マヤは真剣に聞いていた。

 弁当を食べる手が止まり文字通り固唾を飲んでいた。


 こいつくらい純粋に話を聞ければどれだけ楽しいことか。でも俺は話の元ネタを知っていたので少々退屈であった。


「屋台を出す蕎麦屋が見え、男は助かったとばかりにそこに逃げ込んだ。蕎麦屋が訊く。

『これ、これ。誰にやられたんだ? 盗賊か? 』

『盗賊ではない』男は答えた。

『私は見たのだ。女を見たのだ。豪の淵でその女が見せたのだ』

『へえ、その見せたものってのは……こんなものだったか? 』

蕎麦屋は自分の顔を撫でながら言った。

蕎麦屋の顔は卵のように目も口も鼻もなかった」


「えー、じゃあそのお蕎麦屋さんもノッペラボウだったの? 」

「そう。怖えーだろ? 」

「うん、怖い」

 マヤは素直に頷いた。

 素直にもほどがある。


「それでその後その人はどうなっちゃったの? 」

「それはやっぱりノッペラボウたちに食われたんじゃないのかな。人間汁とかにされてさ」

「なにそれ。すっごい不味そう。食べろって言われても絶対食べたくないな」

 マヤはそう言うと残りの弁当をパクパク食べた。


 俺の名は紙谷春樹。この北条高校の一年で山城拓実と早乙女マヤは同じクラスの友人だった。

 語れと言われれば語るだけの人生は送ってきたものの、それが面白いかどうかは別ものなので今は省きたい。

 俺の人生が他人に聞かせても飽きさせないものになるのは、まさにこの日からなんでね。


「あんまり受けなかったみたいだな」

 拓実は俺の顔を見て言った。


 山城拓実。北条高校一年生。楽しい奴だ。面白い奴だ。いい奴だ。


「小泉八雲の『ムジナ』だろ。知ってたからな」

「え、小泉って誰だそれ? この話は『ノッペラボウ』だろ。ムジナなんてどこにも出てこないじゃん」

「そのノッペラボウ自体、ムジナが化けてたんだよ」

「え、そうなのか? 」

 知らなかったのかよ。


「すごーい春樹。物知りね」

「褒めても舌しか出ないぞ」

「俺だって知ってたぞ。ただちょっとど忘れしてただけで」

「ど忘れでそこまで忘れちゃこの先心配だな」

「うるせー。俺だって心配だよ」


「なにはともあれ物知り博士さんにはご褒美ということで」

 そう言うとマヤは弁当箱の中からかまぼこを選んで差し出した。俺はパクリとそれに食らいつくとよく味わって食べた。

 マヤが嬉しそうな顔をしていた。


 早乙女マヤ。北条高校一年生。親が知り合い同士で長い付き合い。子供の頃からよくもてたが不思議と彼氏を作ったことはない。悩みは子供っぽく見られることだとか。よく愚痴を付き合わされる。


「あー、いいなー」

「欲しけりゃパクリじゃなくオリジナルで勝負しな」

「じゃあ拓実には努力賞ということで」

 マヤはグリンピースを拓実に手渡した。

 拓実はそれを電灯の前にかざすと残念そうに食べた。


 ◇ ◇ ◇


 帰り道はいつも三人だった。俺の家は反対方向だったがいつの間にかそれが習慣となっていた。


「さっきの話さあ、香澄にもしたんだけどてんで受けなかったんだよ。あいつこういう話好きじゃないのかな」

「今度は香澄を狙ってるのか? 」

「そんなんじゃねえよ。面白い話しろって言うからしてやったんだけど『つまらない』って言われてそれで終わり。どんな話すりゃ満足なんだよ」

「だからもっと面白い、つまり笑える話ってことだろ。夏だからって怪談話ばかりじゃそりゃ白けもするさ」

「香澄ちゃんだったらね、お料理の話するといいよ。最近挑戦してるらしいからね」


 二人の提案が出揃ったところで拓実が選択する番となった。

 拓実はしばし悩むと

「料理の本でも買って帰るか」

と言った。


「バカだろお前」

「だって笑える話なんてそう簡単にはできないだろ。ましてやあっちもこっちも身構えている状態じゃさ」

「お料理だって難しいわよ」

 マヤが頬を膨らませた。

「そこを男子は分かってないのよね」

 俺はソッポを向き拓実は頭を掻いていた。


 拓実と別れると俺たちは二人きりで駅を目指した。

「ねえ、今日のかまぼこ美味しかった? 」

「中々だったよ」

「今度春樹の分のお弁当作ってきてあげようか」

「え? 」

「いらないんだったらいいんだけどさ。私ね、自分でお弁当作ってるの。お母さんが作るよりも美味しくできるからね」

「うん、作って欲しい。すごく食べてみたい」

「本当? じゃあ絶対作ってくるね。何がいい? 和風、洋風、それとも中華? 」

「何でもいいよ。好き嫌いないし何でも食べるから」

「そういや小さい頃から好き嫌いなかったよね」

 昔を思い出してマヤが微笑んだ。


 ◇ ◇ ◇


 マヤの乗った電車を見送ると、俺は曲がれ右をして家路についた。夕日が落ち辺りは次第に暗くなっていった。とはいえムジナの時代と違い今は街灯も整備されているし、何より商店街から漏れるネオンや店の明かりもある。


 ノッペラボウもムジナももう絶滅しているか、いたとしても山の奥まで逃げ込んでいることだろう。


 もしくは……。

 俺は店と店の隙間、路地裏を見た。そこは光も届かずゴミと飲食店から漏れる臭いが充満していて、わざわざ通ろうとする人間は少なかった。


 その路地裏に一人の少女が見えた。後ろ姿だったが俺と同じ年くらいだろうか。チラリと見えた横顔で彼女が日本人ではないことが分かった。


 そして彼女の前を歩く男が一人。知り合いというには会話もなく、他人というには距離が近すぎる。とにかく違和感を覚える光景だった。


 こっちの方が近いしな。

 そんな気まぐれが俺を路地裏へと誘った。言い訳しているが、要するに彼女が気になったことは否めない。


 先頭を歩く男が角を曲がろうとした瞬間、後ろを歩く少女の歩調が早まった。ササッと不自然に近づいて男の背中に手を重ねた。


 何をする気だ?

 と、次の瞬間彼女は男の体を一息で貫いた。嘘偽りでなく、文字通り串刺しにしたのだ。


 男の胸から腕が生えてポタリポタリと指先から血が滴り落ちた。光を反射してメタリックに輝いてすら見えた。何もかもがおかしな状況だった。


 俺は悲鳴をあげなかった。肝っ玉がデカいといえば聞こえはいいが、これまた要するに女の容姿に気を取られていたからだった。


 ゾクッとする美人だった。美しい髪の奥にビー玉のような瞳が輝いていた。

 彼女は一度フゥと吐息を漏らした。


 女が腕を抜くと血を吹き出しながら男の体が崩れ落ちた。少しも受け身を取らないので、死んでいるのは間違いなかった。頭が建物の角にぶつかりグシャリと音を立てた。ひどくグロテスクな光景だった。


 ここで女がそのまま前に進んでくれれば、俺の話もここで終わるはずだった。殺人の現場を目撃したとは言え、その後も何事もなく平穏無事に暮らせるはずだった。だが運命は女を振り向かせることを選んだ。


 女は俺に気がつくと一瞬驚いた様子を見せた。

 

 それから……微笑んだ。


 もちろん俺は逃げ出した。流石にそこで足を止めているほどバカではないよ。


 ◇ ◇ ◇


 商店街を駆け回って、どっちに逃げたらいいのか分からなかったが、とにかく大雑把に反対方向へと走った。


 たくさんの看板や街灯が過ぎ去り、また現れた。


 いつしか光の数も減ってゆき、気づいた時には公園の中にいた。

 俺は周りを見渡して女がいないことを確認すると、近くにあったラーメンの屋台へ駆け込んだ。


「ヘイ、らっしゃい」

 店主が背中越しに俺に声をかけた。

「どうしやしたか? そんなに息を切らして」

「おじさん。警察に連絡して。早く、今すぐ! 」

「物取りですかい? それとも事故? 」

「あっちで人が死んでる。化け物が、化け物が人を殺してるのを見ちまった! 」

「へえ……化け物ですか。もしかしてその化け物ってのは」

 店主がクルリと振り向いた。

「こんな奴だったかい? 」

 男の瞳は赤く輝いていた。


 そしておののく俺の目の前で、唇から牙が突き出し体がはち切れて巨大化していった。


 俺はそこで気絶した。後のことは全く覚えていない。でもこれだけ頑張ったんだから、もういいだろ?

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