妙?
「……あ」
「どしたのさ」
帰宅路につく私だが、あるものが目に留まって立ち止まる。
数十メートル先に、やけに大きく、ぶかぶかのコートに帽子を被った男が一人、裾を地面に擦りながら歩いていた。手には大きなスーツケースを持っている。
私に見える類のものだが、関わらない方がいいタイプのようだ。
ずるずると歩く男の目的地は知らないが、装いからして旅行者にも見える。
「…凪、なんなの」
行き先を知ろうと目で追うが、どうにも足取りがゆっくり過ぎる。このままだと日が暮れそうだ。
―――念の為、判断材料として隣の友人に目を向ける。やはり、見えていないようだ。
首を横に振る。
「…なんでも、ない…帰ろ…」
不可思議、といった様子の友人を放り、そのまま歩き出す。
「あっ…待ってよ」
家に帰ったら、カゲに要相談だ。
――――――――――――― ――――――――――――― ―――――――――――――
『旅行者の人外…?』
「ん……多分、そう」
ソファに座り、テレビを見ていたところ、不意に思い出した。
洗い物途中のカゲが水を止め、私の近くに来る。
「帰る途中に、見かけて……」
『どんな感じ?』
「何だろ……足遅くて、ぶかぶかのコート着てて…帽子被ってた……あ、それとスーツケース持ってた…」
『旅行者タイプの人外か』
いつの間にか、カゲは一人用のソファに座っている。台所ではまだ音がしているので、影を操ってやらせているのだろう。
「…家事に影使うの…珍しいね」
『凪ちゃんとの話の方が大事だからね』
―――それを、心配以外の感情で出して欲しい―――そう思うのは、私の我が儘か。
詳しく話せば、感嘆の溜め息をついていた。
『へぇ……意外とレアなものもいるんだね』
「…レア……?」
珍しい単語に、訝し気に聞く。
『うん、レアな人外。旅行者の風貌で歩いてたんでしょ?』
「ん」
『そういうのって、目的意識が無いんだ』
「…??」
意味が分からない、といった顔をした私に、
『ずっと駅とかに居て、気が向いたら乗車する。で、終点までいくこともあれば、無人駅で降りることもある』
そんな感じに、目的意識がアヤフヤなの―――と言った。
疑問に思ったことを聞いてみる。
「…何でレア?」
『あんまり見かけないからってだけだよ。どこかのRPGに例えれば、経験値多く貰える訳でもない、鉄で出来たスライムってとこ』
分かる人には分かる説明だった。
「……アレは…何をしたいか自分でも分からないの…?」
『目的が無いからね。でも、何となくの本能で移動してるだけで、害は無いよ。それに、もうこの辺にはいないね』
「…いない?」
『月の折り返し辺りで、電車に乗る確率が高いんだ。今日が丁度折り返しの日だからね、きっともういないよ』
あれ、とカゲが疑問符のつく声を出す。
『もしかして興味あったかい?』
「正直…少しだけ……」
『興味を持つのは悪い事じゃないよ。凪ちゃんみたいに見える人には、ね。でも、近寄るのは止めようね』
―――苦い思い出を掘り起こしてくる。
「それは…もう、しない…痛い目見たもん…」
『なら良し』
本当に痛い目に遭った。以来、下手なことはしないと決めていた。
「そういえば―――――カゲは、どんな種類…?」
会話の繋ぎとして切り出す。このまま二人で雑談する手もあったが、折角の機会なので、聞いてみることにする。
『ん、僕かい?』
「トメさんは透明人間……カゲは…よく、分からない」
素直な疑問を出せば、意外にも軽く答えてくれる。
『僕は、身分的には影人間ってことにしてるけど、本当の所は知らないね』
「…知らないんだ」
『その方が一般的だよ。僕らみたいなものは全員揃って、いつ、どこで、何によって生まれたのか、知っている方が少ない。一部の奴らは大体でも予想できるけど』
そうだね…と間を置き、考え込む。例えを探しているらしかった。
『海外の作家の書く、吸血鬼とかいるよね。凪ちゃんの知っているのとは少し違うけど、確かに、本当に存在する』
カゲの話によると、存在はするけど私たちの知っているものとは、どこか必ず違うらしい。―――というか、今日まで全て正確に伝わることなんて、少し考えれば有り得ないことだ。どこぞの聖剣も、突き立てられてたんじゃなくて、本来は岩に挟まっていたらしいし。
『――で、そいつらも僕同様に出生年は知らないけど、大よそ調べることは出来る。吸血鬼伝説とかその辺りの話が浮上してきた日を調べれば、その辺で生まれたんだなーってわかる。そんな感じ」
「…結構適当」
『皆基本、適当だよ。君がトメって呼んでるアイツも、いつ、どうやって生まれたのかについては、興味すら無いからね。そこが、人との人生観の差、かな』
長年生きていれば細かいことはどうでもよくなる、とは聞いたことあるが、彼等の場合は適当過ぎる感がいがめない。
『―――人と違うから感情が薄い。Q&Aを知っていても、過程を考えることがとても苦手なんだ。本来は住む世界が違うんだから、当然と言えば当然なんだけどね……』
そこで話を切り、先をカゲは話そうとしなくなった。手元のリモコンで音量を上げ始めたのが、これ以上は話せない、という合図だと、数年前に私は知った。
―――――でも、
人外なんて嫌いだ
そんな寂しそうな声が聞こえたのは、果たして気のせいだったか。
――――――――――――― ――――――――――――― ―――――――――――――
洗い終わった皿を収納棚へ入れ、台所に汚れが無いかを確認する。
洗濯、風呂掃除、洗い物といった家事を終え、二階へと上がる。既に彼女は寝ているから、起こさないよう、注意を払う。
―――ぎしっ、と軋む階段を上がり終え、書斎に入る。ドアノブを捻り中へ入れば、パタンという音でドアが閉まっ―――――
『―――――…??』
―――ドアノブを握る手に、妙な違和感を感じた。
『?』
ガタガタと手全体が震え始めた。痙攣に似ているが、自分の意思では止められないほど、それは強い。
―――遂に手の形が保てなくなった。指が五本から六へ。六から四へ。四から五へ、と不規則に変化していき――――手の甲が潰れ、どろりと溶けて床へと落ちた。
『――――――ッ!』
グジャァという、水に似た音と共に、床へと倒れ込む。
(…っ……っっ…)
一瞬にして足が崩れた。周りの影を回収し、いくら念入りに構築し直しても、スライムのように、全く、形が定まらない。
壁のカレンダーに目をやる。―――そこで、身に起こっている"何らか"を理解した。
『……ゲボッ…』
発声器官にまで異常をきたしているのか、声が出なくなった。やはり、回復は追い付かない。
ドロドロと質量を持った影の塊が、全身から零れ落ち、水たまりを作っていく。
――………――――――――っ
震える手でドアノブを握り、どうにか立ち上がる―――筈が、片足が形を保てずにいるせいで、再び同じ展開を経験する破目になった。
巨大な水音が鳴り、体を床に打ち付ける。…もう片足も段々怪しさを増してきた。
状況確認のために周りに目を配れば、さらに濃い影が、追い詰めるようにジワジワ迫って来ていた。
『…―――――……!』
焦りを覚えつつも、どうにか手を伸ばし、鍵に触れる―――指先がどうにか触れ、中途半端だが、閉めることは出来た。
顔から床に落ち、そのまま、一切身動ぎせずに寝る。側頭部が痛むが、形振り構っていられる状況下では、無かった。
しばらくして部屋は―――――染まり終えた。
――――――――――――― ――――――――――――― ―――――――――――――
(やっぱりいない)
昨日と同じように帰路につく途中、そういえばとコートの人外を思い出し、私の足は自然と昨日の場所に向かっていた。
が、そこにあるのは一昨日までの殺風景な住宅街と道路だけ。他には何もいなかった。
友人は残念ながら今日が部活、ということで、私一人の帰路になっていた。
(もう、電車に乗ったのか、な…)
レアな奴、とのカゲの言葉もあったので、正直興味があった…のだが、もうここら一帯にはいないのだろう。定期的に移動する、ともカゲは言っていた。
――まぁ、それならそれで構わない。別に大した用があった訳でも無いのだから、当然、特に思いは無い。
思い残し無し、と再度帰路につく。家でカゲが待っている筈。これを話のタネに出来れば、それで私は満足だった。
空は何時の間にか、茜から紺へと染まりかけていた。
「ただ―――――い……ま………」
帰宅してきたばかりの私だが、中に入ってみて驚いた。
こんな時間だというのに、一切電気が灯っていない。誰かがいる気配も、無い。
一度振り返り、玄関から出て空を見る。空は殆どが紺と黒に染まり、茜は端へと追いやられていた。
(…外はもう…殆ど暗いのに…)
リビングに入ってみたが、誰もいない。電気も当然、点いていない。
電源を入れて灯りを点けたが、本当に誰の気配も感じない。
「……――――――」
台所に目を向ける。いつもならもう、カゲは台所で夕食の用意を始めている時間だ。が、今日は材料どころか、調理器具の一つも置かれていない。
(…どこ……行っ…て…)
風呂場やトイレに探しにいったが、どこにもいない。
―――不安が高まってきた。
早足どころか、小走りになって一階中を探し回る。一度見た場所ですら数度確認し、もしかして庭にいないかと、靴下のまま外に出た。
物干し竿にも洗濯物はかかっていなかった。
(…ぇ……どこ……カゲ……)
朝には確かに姿を見た。――――でも、今考えれば、何となく疲れた様子だった気もする。いつもは玄関まで見送りに来るのに、今日は台所から、声だけでの見送りだった。
少し急いでいたので、特に気にせず学校へと行ってしまった。
…動悸は激しくなっていた。思わず、廊下の壁にもたれ掛かる。―――体が支えられず、ずるずる下に落ちていく。
膝を落ちた衝撃で痛めたらしいが、痛みなど殆ど感じない。
(―――でも)
………―――まだ、二階がある。もしかしたらいつもの書斎にいるかもしれない。いつものようにランプを点け、いつものように仕事に励むカゲの姿が、そこにあるかもしれない。
そう考えれば……体の不調など、私には関係なかった。ゆっくりとだが立ち上がり――――――
――――――音が聞こえた。
反射的に音の方向を見る。その先には二階への階段だ。
「…カゲ……?」
ほっ、と緊張の糸が緩む。カゲが二階にいる―――と、そんな気がする。あくまで気がしただけなので、証明しろと言われればどうも出来ない。
とはいえ現実問題、何も行動を起こさなければ、どうにもならない。
階段を一段一段、ゆっくりと上がる。内心体を急かしたいと思うが、体調もあまり万全ではない。下手なことは止めるべきだと考える。
感じていた動悸は、自然と、収まってきていた。
――――書斎の前に立つ。おそらく、彼がいるとすれば、ここだ。逆にカゲはここ以外の部屋にはあまりいない。二階の部屋の内、寝室にいるのは就寝時だけ。私の部屋に来るのも、洗濯を終えた服や下着類を収納しに来る時くらいだ。
だからといって他の部屋にいない可能性も捨てきれないので、ここにいなければ他の部屋を探すつもりでいる。
動悸は階段を登り切る前には収まっていたが、今度は妙な緊迫感を覚えている。
"開けない方がいい"様な気もするし、"開けないといけない"気もする…と、矛盾が浮かんできた。―――最近、矛盾したことを多く感じる気がした。
念の為にノックを数回試してみたが、返事も何も、返っては来ない。
(……入ろ…)
もし中にいるとすれば、いつもは様々だが返事は必ず返って来る。カゲに無視を決め込まれた経験は、私には無かった。
警戒心も抱かず中に入る。カゲに対し、絶対ともいえる信用を、私が勝手に抱いているからだ。間違っても、何かしら危害を加えられるような事態は、今まで無かった。
立てつけが悪いのか、酷くドアが軋む。不快な音に、眉を少し顰める。
目線を真っ直ぐ、前を見る――――彼は、そこにいた。
影法師と女子高生 スド @sud
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。影法師と女子高生の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます