少しの嫉妬

 幼い頃から、たまに変なものが見えていた。霧みたいなもの、立体的だけど影のような塊。そのどれもが現実味を帯びていなくて、幼い頃の私は何が正常で何が異常か分からず、苦労したのを鮮明に覚えている。

 赤ん坊の頃はそういったものを見やすくて、幼稚園に入った辺りから見えなくなるという話はよく聞く、が、私の場合はその期間が長かったみたいで―――。

 それの御蔭で、色々なものを壊してしまった。

 まだ見えていた頃、それを言ってもいいのか理解しておらず、亀裂を生むことも多々あった。


「―――!――っ―――ぎ―」


 もうそんなことは殆ど無くなったが、こうしてカゲが傍にいるのには、それが少なからず関係してるんだろう。

 だろう、というのは、カゲ自身が特に自分の事を話さないからだ。何故私の近くにいてくれるのか、何故お世話をしてくれるのか、何者なのか、何故ここまで万能なのか。


「っ―――!!」


 ―――思えば何故、あの日、私の傍に現れてくれたのか。

 予想はいくつも立てたが、どれもどうもしっくりこない。それに考え始めるとキリが無いので、基本的に詮索は禁止事項としている。

 彼に何かがあるのは確実だ。

 でも、いつか自分から話してくれるような間柄になりたいな程度には思っているのも事実。

 今はまだ様子見。その辺も全て、流れに任せることにしていた。





「凪ッ!!」





 そこで一喝にも似た大声に、飛んでいた意識が現実へと引き戻された。

 慌てて声の主を探してみれば、目の前には見覚えのあるスカートが。

 さらに上を見てみれば、やはり見覚えのある顔。

「早くしないと時間無いよ」

 同クラスの友人が、そこにはいた。小脇には教科書と資料集、筆記用具を抱えている。

 いつもの癖で、何となしに周りを見渡すが、殆ど誰もいない。残っていた数人も、今まさに教室から出ようとしている。

「……他の…人は」

「移動教室」

 何事かと聞いてみたが、帰ってきた返答で、ああ、と納得した。

 既に私は一~三時限を終え、次は移動教室の時間だった。それはそうだ、殆ど人がいなくても可笑しく無い。

「ほら、急いでよ。時間、全然無いよ」

「…うん」

 急かす彼女は一旦置いておき、鞄の中から彼女と同様の物を引っ張り出す。

 素早く机上に積み重ね、それらを掴んで立ち上がった。この間、僅か数秒――――


「…あ、チャイム鳴った」


 結局チャイムが鳴った時点でアウトなんだけど。









「…最近、ボーっとしてばっかり。授業遅刻、今週で何度目なの」

「……ごめん…」

 四時限目終了後の昼休み。机同士を向かい合わせに、私達は昼食を取り囲んでいた。

 私はカゲの作ってくれた弁当箱を、友人は購買で買ってきたという飲み物とパンが二袋。

 頬のそばかすを指で掻きながら、溜め息をつかれる。

「凪、この二年でホント何あったの。いくら何でも、中学の頃はもっとマシだった」

 どうやら私は中学の頃もマシじゃなかったらしい。

「…そんなにヒドイ?」

「特に今日は朝からずっとそんな調子。日直日誌の記入し忘れ、黒板消し忘れ、それとさっきの教室の移動忘れ」

 エトセトラエトセトラ……どうも、結構な頻度で私は意識が飛んでいるらしい。自分の事だというのに、全く気付いていなかった。

 理由は…あれだ、カゲのことを考えていたからだ。

「…ちょっと、気になることとかあっただけ。だいじょぶ…」

 当然、私の同居人のことは誰にも話していない。私はもう慣れたが、最初は勿論、しばらくは彼の姿には慣れなかった。カゲには悪いけど、容姿が奇妙なのはどうしようもない。だから、人を家に招いたことも殆ど無い。

 でも、だからといってカゲが嫌いになったことは一度もない。



 考え方の問題、かもしれない。友人呼ぶなら外に行けばオーライのノリで今までやってきた感があったし、そもそも友人自体多くはないから、そもそも家に呼ぶこともしない。

 私の言葉を、完全に信用した訳ではないだろうけど、彼女は数秒怪しんだ目で見てから、ふぅ――と息をはく。

「…今は何でもいいけどさ。なんかあったら誰でもいいから言いなよ。凪、全然表情変わんないんだから」

 表情変わらない……気にしている所にズカズカと攻撃を加えられる。

 本当、遠慮のない人。

「……うん」

「私でもいいから、悩みとかあったら相談しなね。何でもいいんだから」

 悪い人では無いんだけど、ズカズカ物を言うのが悪い癖というか。もう一度言うが、悪い人では無い。

 それを皮切りに、友人はパンの袋を破り、食べ始める。

 私も目の前の弁当を開けることにした。昼休みは有効に活用すべきだろう。







 ――――――――――――― ――――――――――――― ―――――――――――――






 放課後、帰路についた私の足は、いつの間にか自然と急ぎ目になっていた。カゲに遅くならないなら寄り道をしてもいいとは言われたが、カゲは結構な心配性。出来るだけ早く帰り、安心させてあげたい。

 しかしカゲのことだ。このまま帰れば、『別に寄り道してもいいんだよ』なんて言うと思う。だが私にはそう言われても問題のない、大義名分がある。

 それは私の影に入っている"何か"についてだ。

 ズボンの裾から分離したらしいこの謎の影。確かにズボンから分離していたが、アレはカゲから分離したと考えるべきだろう。

 実はカゲ、着ている服の多くが黒いものばかりだが、それにはしっかりとした理由がある。


 それは、一度服を着ると、何色だろうと真っ黒にしてしまうことだ。

 墨汁を垂らしたように一気に黒くなるが、肌触りは全く変わらず、いくら洗っても元々その色だったかのように落ちない。

 上着も当然例外ではなく、全て黒くなる。本人曰く、二枚くらいまでなら自動的に黒くなり、三枚目からは任意で変更可らしい。朝のエプロンが黒に染まっていなかったのはそれが理由だ。

 勿論、これのメカニズムについては本人もあまり理解していない。ただ自然的なもの、そう捉えて欲しいと昔に言われた。

 しかも一度着るとカゲの奇妙な性質が移り、同じような性質を服自体が持つことになる。朝のズボンも普通の店で買ったものだが、カゲに似た不可解な現象を起こしていた。



 と、いう訳で、兎にも角にもカゲの一部が私の影に入っているなら、出来るだけ早めに返してあげたい。

 人間でいえば、自分の指を人に預けているようなものなのかもしれない。仮に私の推測が当たっていたとしたら、カゲにとってそれは不便なことだ。

 早足になりながらの思考だったので、思っていたよりも早めに自宅の姿が見えた。まだ遠くだが、自分の家だ。間違えようがない。

 家にはカゲがいる筈だ。仕事は終わって既に帰っている筈だし、居なかったとしても、私もカギをもっているから問題ない。



 が、自宅の前に、見慣れないモノが置かれているのが遠目に見えた。いや、語弊があった。置かれているというより、駐車している、だ。

 小走りで確認を急げば、バイクということが分かった。私自身、バイクには詳しくないので、種類までは分からない。

 軽く周りを一周してみたら、側面に英語で名前らしきものが立体的になって浮き出ていた。

(ブイ……マック、ス?)

 そっちの世界では有名な名前かもしれないが、残念ながら私には分からない。シルバーの文字がカッコいい、それだけは分かった。

 ナンバープレートも見てみたが、やっぱり知らない番号。


(……カゲのじゃない、よね……お客さん…?)

 八割方、客人が来ていると見るべきだ。カゲが私に黙ってバイクなんて買う訳ないし、そもそも免許自体持っているか怪しい。

(…多分…ね)

 思えば、私は彼の事をあまり知らないな、と気づく。結構長い間、一緒にいるが、どんな仕事かも経歴も聞いたことがない。

 信用されていないとか、そういう問題じゃないとは思う。ただ、それを聞くのは何となく少し憚れるので、自主的に聞かないようにはしていた。

 …その内、自分から話してくれるのを待とうと考えしばらく経つが、そろそろ自分から聞くべき時かもしれない。


 とりあえず今はただいまを言うのが先だと玄関のドアに手を掛ける。

 少し引いてみたら開いたので、既に帰ってきているようだ。

 玄関に入ってみれば、見慣れない靴が一。やはり客人らしかった。現に今、リビングからはカゲに加え、もう一つ声がする。


 靴を脱ぎ、リビングへと続くドアを開ける。

 しかし中にあるのはカゲの姿ただ一つ。


『あれ、早かったね。お帰り、凪ちゃん』

 私に気付き、カゲからのお帰りを貰う。


「…うん、ただいま、カ――――」


「あっ、ひさしぶり凪ちゃんー」



 ―――ん?と知らない声に周りを見渡す。

 すると私の隣のソファに見慣れない背広姿が一つ。それが、私に向けて手を振っていた。



 …一応念のために言っておくが、私がこう言ったのは別に間違っていない。今、ソファには"人が入っていないスーツ"が、一人でに動いている。

 ネクタイもベルト、革手袋までしっかり付けている。

 唯一足りないのは、そこにあるべきものが無い、という点だけか。

 そこで、来客の正体が掴めた。確かに久しぶりだ。最後に会ったのは半年も前だったか。

 中身のないスーツはテーブル上のカップを手に取ると、口と思わしき部分に当てた。

 ジョロジョロと宙に零れるように紅茶が流れるが、全て妙な軌跡を描きながらも、スーツの中へと吸い込まれていく。しかし、スーツが濡れた様子は微塵もない。ソファにもシミのようなものは当然無い。

「…あ、トメさん」

 愛称、トメさん。どこかで見たことあると思えば、カゲの友人だ。昔、何度も会っている。

「……あっ、てことは、今思い出したんだね…」

『良かったな。凪ちゃん覚えててくれたぞ』



 勘のいい人なら分かるだろうけど、このスーツ、中身が全て透明なのだ。

 透明人間、そう呼んだ方が、この場合は分かりやすいだろうか。

 ただ、この人の場合、全て見えていないだけだ。内臓器官は存在し、血液も出る。

 最後に会った時は、見えないことを解消する為、出歩くときは顔に包帯を巻いていた筈。実際、ソファには解かれた包帯が放置されている。


 余談だが、トメさん、というあだ名は、透明人間の略称だ。安直だが、昔の私がそう名付けてしまったらしい。





『…というか、用済んだならお前さっさと帰れ。もう俺に用は無いだろ』

 ――それにしても、カゲの毛嫌いが凄い。私と話すときと違い、明後日の方向を見てキツイ一言。

 これが、私が朝に似非紳士と言った理由だ。カゲは何故か一部の者に対しては…こう、一言一言に棘がある。棘は棘でも、植物に例えるなら薔薇のようなものでなく、茨レベル。一人称も態度も性質の悪いゴロツキみたいになる。

 ちなみに植物の例え、カゲ本人が言っていたものだ。どうやら自覚はあるらしい。


「いたらダメか?そんなに俺の事嫌なのか?」

 なぁなぁなぁ、と疑問をぶつけている。まるで、落ち着きのない子犬のよう。

 せがむ彼に対し、カゲが溜め息を一つ。

『…俺がお前嫌いな理由知ってるか』

「嫌いなのか」

『お前、二年前に凪ちゃんに手、出しそうになったろ』

「………そうだっけ?」

 私の方を向かれても返答に困るのだが……だがカゲもよく覚えているものだ。その通り、カゲの記憶は正しい。

 昔、ナンパ紛いのことをされかけたのは、カゲ同様、私も覚えてる。

(二年前は……中学生の頃だっけ……)


『はっきり覚えてるぞ。凪ちゃんが中学生の頃だ』

(カゲの方が覚えてた……)


 考え込む仕草を見せていたが、合点がいったようで、頷く。

「ああ……覚えてる覚えてる。…いや、でもアレは手違いっていうか……」

『俺のいない間に、凪ちゃんにお酒飲ませて猥談始めやがったろ。セクハラ同然。制裁する動機には十分だ』

 スパッと言い訳も切り捨てた。流石、容赦ない。



「…女子高生と同棲してるお前の方が、その内間違い犯しそうだけどな」

『下心無ければ問題なんて起こらない』

 んー、と首を傾げる。

「…どうだかねぇ……最近、こっちの業界じゃ出来婚多いからなぁ…」

『未成年に手を出すなんて大人のすることじゃあないだろう』

「それはごもっとも…」


 常に笑ってるカゲだが、今はその顔が非常に恐ろしい。

 彼もそれを感じたらしく、バツが悪そうに肩を竦めて見せた。

 そこで何かに気付いたのか、身を乗り出して聞いてくる。


「あ、でも凪ちゃんって十六歳過ぎてるじゃん。それなら――――

 ビッ、と指をさす。

『結婚できるからと言って、未成年には変わりないだろう…一応注意はしとくが、下手なことは吹き込むなよ。そんなことしたら俺の影で三日三晩追っかけ回してやる』

 言うと同時に、足元の影がうねり始めた。まるで意思を持ってるかのように、不自然な動きを繰り返している―――。


 その様子を見ながら、

「…あの影、むちゃくちゃ噛みついてくるんだよな……了解、何も吹き込まないよ」

 と言った。ケツ噛まれるのはゴメンだ―――とも言っている。

 気分転換の為か、カップに紅茶を注ぎ始めた。

 三日三晩と言った辺りは、冗談なのか本気なのか―――カゲの真意は基本、表情からは読み取れない。だから真意を汲み取れる彼は、大人しく、手を引いたのだ。カゲはどうやら、怒らせると怖いらしい。







(それにしても……)

 ――それにしても、カゲの一言一言が珍しく荒れている。私の前では決して見せない、やさぐれカゲだ。

 たまに来客はあるけれど、遠慮が一切ないカゲは、この人がいる時にしか見られない。毒舌、というか、まるで毒そのもののような言葉の羅列を受け、へこたれないこの人は凄いと思う。

 でも、テーブルには紅茶とお菓子がそろってる。紅茶に至ってはお代わり用のポットまで。


 ―――何だかんだ言って、カゲも嬉しいのだろう。



「…お茶、お代わり淹れてくる…」

『あ、いいよいいよ、僕がやるから』

 そういって立ち上がろうとするカゲの肩に手を置く。

「いいから……お客さん、待たせちゃダメ…」

「そうだよー、俺、客人だよー」

『凪ちゃんに下世話なことした奴は客と認めたくない今の心境』

「ひでェ」

 楽し気なやり取りが微笑ましい。

 それを壊さない為にも、勝手にポットを回収して台所に向かう。やっぱり、中身はあまり残っていなかった。

 私を止めようとするカゲを、トメさんが宥めている。そしてまたさっきと似たやり取りの始まりだ。

 紅茶を作るというだけだが、久しぶりのカゲへの手助けが出来る。

 それだけで、私は私で嬉しさを感じていたのだった。

 リビングから聞こえる声を背景に、作業に取り掛かる。言葉は酷くても、楽し気なカゲの声は、聞いていて心地よかった。






 ――――――――――――― ――――――――――――― ―――――――――――――










「そういや最近、俺の持ち場で変なウワサ聞くんだよね」

「……あまりいい話じゃないと思うけど、何」

 いやー、と頭を掻くトメさん。カゲ同様、私も嫌な予感がする。

 邪魔になりそうだからと二階に居るつもりだったが、トメさんが居てもいいと言うので、お言葉に甘えることにした。

 場所は勿論、カゲの隣。

「透明人間がいるんじゃないかってウワサが流れてるんだよね」

「よぉ、ウワサの元凶」

 ボケとツッコミが調和している。やはり仲が良い。

「……それ多分、かなり前から都市伝説化してました、よ…」

 え、というように二人揃ってこちらを見てくる。顔は変わらないけど、カゲも何だか驚いているようだ。

『…どの辺で聞いたのかな…?』

「別の高校の知り合いから……夜遅く、独りでに歩くスーツとか、ゴミ収集所から聞こえる呻き声とか。あの辺、墓場も近いから噂立ちやすくて…」

「え、俺見られたん?誰に?」

『見られるとか以前に、お前の場合、普通に人から見えるだろ。出歩くときも、どうせ自前だろ?』

「当然。派遣スーツは格好悪い」

 これも自前、と手袋がスーツの襟を引っ張っている。



『ただ透明なだけなんだから見えない方が可笑しい。派遣スーツ着てれば見えなくなるけど、自前だったらそりゃ普通に見える」

 懐かしさと共に、余計なものまで思い出してきた。そういえばこの人、少し頭の回転が鈍かった。確か昔…一拍していったときだったか。カゲに米を研いでくれと言われ、砥石はどこかと聞いていた。…そんな人だった。

 カゲに理由を説明され、ポカンとしている…と思う。もしくは苦い顔をしているのではないだろうか。

「………カゲ、この場合は減給?」

『減給確定おめでとう』

 うわあー、とスーツが動きだす。悶絶しているらしいが、私の着目点は、そこには向いていない。


 カゲ。その一言に体がピクリと反応した。




(カゲって呼んだ……)

 彼の事をカゲという愛称で呼ぶのは、てっきり私だけかと思っていたのに、トメさんも同じ呼び方をしているみたいだ。

 ――当たり前かもしれない。ここまで仲が良いんだ。愛称で呼ぶのも普通だろう。普通普通、これは普通なこと、だ。

 だって私と会う前から、カゲはこの人とは知り合いなんだ。友人関係なんだ。私が彼の一番、なんて、有り得ない、こと、だ。





 ―――モヤが―――晴れない。




「減給処分……あと始末書か…カゲ、これってどうにかならんかい?」

『ならない。もう諦めて始末書書け。…しっかり書いておまけに反省文付ければ、二か月とか三か月で済むかもしれないけど、望み薄いからな』

「…うぇ……言うんじゃなかった…」




 二人の話が、まるで頭に入ってこない。まるで耳から耳へ抜けてるかのようだ。

 微笑ましいと思って聞いていた会話が、一転して耳障りに聞こえ始める。



 その後もカゲって聞く度、モヤは増えるばかり。同じく自分への嫌悪感も増えていく。





 ――カゲのスーツの端を掴む。

 カゲは気づいてないみたいだけど、そうでもしてないと心が落ち着かない。

 嫉妬だ。これは嫉妬だ。今までに何度も感じてきたその感情は、嫉妬以外の何者でもない。

 無理な話だけど、私の嫉妬心に気付いてほしいなんて思っていた。でも、気づかないでほしいとも思っている。それ等が混ぜこぜになって、いつの間にか、二人の会話は完全に聞こえなくなった。


(こんなことで…嫉妬したくない…)


 粘着質な自分が嫌になる。ここまで依存していたとは思わなかった。

 依存している汚い自分がいる。粘着質で汚い自分がいる。

 それを肯定したくなくて、自分の世界に入り込む。そうすれば、この場は耐えられそうだ。―――そうやって、今までもたくさん、抑えてきたんだ、から。




 「でもさー、やっぱ、り…………ぁー……」




『…何か?』



 「……いや、何でも無い。ただ、立派に親やってるんだな、お前」




『……?…』







 ――――――――――――― ――――――――――――― ―――――――――――――








「それじゃ、また今度な。次はどっか飲みにでも行こう」

『こっち来てる暇あるなら仕事したらどうだ。減給処分受けるんなら、実績出さないと危ないぞ』

「友人のありがたいお誘いを無下にする…それ、どうかと思う」

 そろそろ帰る、というから、二人で玄関にまで見送りに来ていた。

 さっきよりは落ち着いている。会話内容もはっきりと聞こえるし、精神的にも大丈夫だ。

 カゲとの距離が近い御蔭、かもしれない。



『忘れ物は無いよな』

「ちょいマテ、確認し直すから」

 鞄を開け、中身を下がっている。中からは大量のファイルが顔を覗かせているけど、私が着目したのはまたもやそこでは無い。

 右手で二の腕をきつく掴む。痕が残ろうが関係ない。今はこの感情を追い出すのが先決だ。

(もう――自分がヤダ――――)



 ――彼の鞄の種類がカゲと同じことに気付いた。それでまた嫉妬したのだ。

 もう一人自分がいるなら、ここで私を引っぱたいて貰いたい。そうすれば、少しは目が覚めるだろう。――自分の抱いてる感情が、どれだけ客人に失礼なことなのか。


「えっとえぇっと…忘れ物は無いな……あ、でもよ。そういえば、確かこの間渡した資料、返却期間過ぎてるぞ」

 するとカゲは少し考え込む素振りを見せた。…また、二人にしか分からない、仕事の話だ。

『……ちょっと調べてくる』

「今返せそうか?無理ならまた明日寄らせて貰うけどさ」

『…いや、もうコピーはある。…凪ちゃん、ちょっと待っててね』

 踵を返し、急ぎ目に階段を駆け上がって行った。珍しく、影を渡っての移動はしないようだ。


 ――この人が、親友という奴だから、かもしれない。



 モヤモヤしたまま、二人その場に残されるが、何分、この人と二人きりは殆ど経験がないので、話題が見つかりそうにない。

「ああ、凪ちゃん。ちょっと聞いてもいいかな」

「――――ぇ――――ぁ……えと……はい…」

 まさかむこうから話を振ってくれるとは思わず、少し挙動不審になった。

 包帯を巻いた顔の口元辺りが動く。微かに笑ったらしい。





「あいつのこと、カゲって呼ばれるの凪ちゃん嫌だよね」








「…―――………っ…――」

 嫉妬に気づかれていたことに気付き、少し俯いた。――――恥ずかしい。

 顔も熱い。でも、容赦なくこの人は追撃を続ける。

「ごめんね最初に気付けなくって。あいつのことカゲって言われるの、ホントに嫌だもんね」


「……で、も……どこから…気づいて――」

 少しどもり掛けながらも質問する。


 私の反応を楽しんでいるのか、クスクスと笑い声が聞こえる。

「あいつのスーツの端、引っ張ってた辺りからかな。そこから何となーく」

「……………」

 へへ、と笑う声がする。カゲと違って、何とも鋭い人だ。――カゲが鈍いだけか。


「昔から凪ちゃん、アイツに引っ付いてたからさ…その内こんな日は来るかなーって思ってはいたんだよ」

「…どうし…て」

「どうしても何も、傍から見れば丸わかりだと思うけど」

 嫉妬も全部丸わかり、と追撃された。


 全部見透かされていたことに、気恥ずかしさ、嫉妬を見破られていたことに申し訳なさを覚える。

 何も言えなくなって、黙ってしまう。

「…………」

 私の沈黙が気分を害したと思ったのか、否定の意味でトメさんは手を横に振る。

「あ、別に凪ちゃんの思っていることは否定しないからね。アイツと凪ちゃん―――まぁ、親代わりではあるけど他人ではあるんだし、そういう感情自体は問題無いからね」

 それは確かにそうだ。こういった感情を抱く方としては、向こうがどう思っているかは兎も角、本当の親では無いことは救いだ。

「……うん…」

 こくりと頷く。

 彼の包帯の口元辺りが、また少し揺れた。


「アイツは人じゃないけど、そーゆー問題については色々解決方法あるから大丈夫。こっちにも前例だってあるんだ――――でも、イザって時の為、コレ、渡しとくよー」

 途中まで立派なことを言ってると思ったが、最後にあげる、と言われて差し出されたものに、私は目を丸くした。

「……?…名刺…」

 戸惑いながら受け取ったそれには、見たことのない字で名前らしきものが印刷されている。それでも、下の隅にある電話番号の御蔭で、辛うじて名刺と判断できた。

 辛うじて、というのは、名刺にしてはやけに目立つ配色だったからだ。ピンクの縁取りに水色の線。背景には女の人らしき影―――普通は有り得ない。

「……これトメさん、の、名刺…ですよね」

「うん?…うん、間違いなく、俺のオリジナル名刺ね~」


 間違いであって欲しかったけど、間違いじゃなかった。

 詳しくは知らないけど、キャバクラにありそうな名刺というか、何というか。トメさんらしいと言えば、トメさんらしいが――。

 名刺入れをポケットにしまいながら、

「ま、一応渡しておいたけど、連絡自体はしてもしなくてもいいからね。何かあったら連絡頂戴程度に考えて」

 と言った。何でもいいからね、と補足される。

 頷けば、満足そうに彼も頷いてくれた。





 ―――丁度、階段を駆け下りる音がする。


 少しして、カゲが再び姿を現した。右手には一つのファイル。

『確か、このファイルであってるよな。中身はさっき言った通りコピー済み』

 探すのに難儀したらしく、私達が話を終える程度には時間が掛かった。

 几帳面なカゲにしては、探し物に時間が掛かるのは珍しい。

 中身を調べること無く、鞄に無造作に入れる。あまり重要でないものなのだろうか。

『…念の為、中身確認しとけ』

「いや、表紙だけでも問題ない問題ない。今すぐ返せって言うようなもんでも無いし」

『本当か?』

「ホントホント。期限自体は先だけど、折角だから返して貰おうと思ってさ。それに、もうほぼほぼ解決したんだろ?」

 そこで気が付いた。トメさんの資料を返してというのは、重要とか大事とかでは無く、私に助言をくれる時間稼ぎのものだったのではないか。

 自意識過剰と言われてしまえばそれまでだが、意外と深いことを考えていそうな彼だ。可能性は、高い。

「――じゃ、俺は持ち場に戻るわ。確か今、変なのが湧く時期だろ。ヤバいのはそっち回すから宜しく」

『持ち場変わっても問題ないぞ。今のお前の持ち場、立地的に良くないだろ。あの辺は"アッチ側"の領分だ』

 彼が肩を竦めた。

「そんなこと言って…お前がここ離れたら凪ちゃんどうすんだよ』

『……………』

「大丈夫だって。腕っぷしだけが全ての仕事じゃないだろ」

 俺も対策はある、そう言い、玄関ドアに手を掛ける。

「それよりお前は凪ちゃん優先しろ。お前の場合、客人が特に多い時期だ。…凪ちゃんが呑まれないように、それだけに気を付けろ」

『―――何かあったらこっちにも連絡しとけ。それとも、影貸すか。居ないよりかはマシだ』

 手を横に振っている。

「いらんいらん。お前の影、半自立だろ。ソイツ、寝てる時くしゃみするから嫌なんだよ…」

 私の影に入っていたアレは、やはり、半生き物と言った存在らしい。人らしい反応を見せたのは、私にだけではないようだ。

 気持ち悪いとは思わない。私が気持ち悪いと思うのは、爬虫類・蜘蛛を見かけたときくらいだ。それ以外なら問題なし。私を守ってくれているのなら、傍に置いておいても良いレベル。



「しかもアレ、腹減り過ぎると何でも喰うようになるじゃん。前貸して貰ったとき、髪の毛喰われたぞ。あの影、何モチーフにして分離させてんの?」

『クモ』



 早急にカゲに返却したくなった。










 ――――――――――――― ――――――――――――― ―――――――――――――



「それじゃ、また来るわ。次会うのは…またの招集の時ってことで」

 バイクに跨って、エンジンを鳴らす。ドッドッドッ、という重低音が渋い。

『分かった。その時は、時間空けといてやる』

「…何が?」

『飲みに行くとか言ってたろ。こっちの都合も良ければ、付き合ってやる』

「…なんか……妙に優しいなぁ」

『減給されたことへの慈悲だ』

「…最後の最後まで人の願いを壊すスタイル……ま、いいや。凪ちゃんの顔も見れたことだし結果オーライさね―――いいこと分かったし」

 ヘルメットで良く見えないが、こっちを見て、ニヤリと笑った気がした。――やはり確信犯だ。資料云々はフェイクだったらしい。


 ―――でも、アドバイスに感謝してる私がいた。


「――――ありがと――ござ、い、ます…」

 エンジン音とヘルメットで聞こえなかったかもしれないが、感謝の心は伝えたかった。

「どーいたしまして凪ちゃんー」

 シシっ、と笑う声が聞こえた。隣のカゲは、いきなりの笑いと言葉に訝しげな様子。


 ――どうやら彼は地獄耳のようだ。人の思考だけでなく、聴覚も鋭いらしい。


 再びバイクの音が煩くなると、ゆっくりと動き始めた。これでしばらくはさようなら、ということになる。


(…最後にお礼が言えてよかった)


 初っ端はノロノロとしていたが、数メートルを過ぎた辺りから加速していき、数秒後には遥か遠くに背中が見えていた。

 見えなくなるまで送り届けると、カゲが私の手を取り、

『ごめんね凪ちゃん…慌ただしくなっちゃって…疲れたでしょ』

 と言った。


 首を横に振って答える。

「……ううん。…楽しそうなカゲ見れたから…楽しかったよ」

 素直に言えば、何故か唸り始めた。

『……んー…』


 なんて返そうか、迷ってる様子。仲が悪いとは言いたくもないが、仲が良いとも素直に言えない。そんな感じだ。

 微笑ましい様子だけど、今は助け船を出す。もう夜も近い。夕ご飯の用意が今は先決だ。

「…カゲ、中入ろ?…もう、夜になっちゃう」

 夕暮れは既に青に染まりかけていることもあり、少し肌寒くなってきた。

『そうだね…少し肌寒いし、入ろっか。あ、ご飯は出来てるから安心してねー』

 うん、と頷く。

 空の変化に気づき、家の中へと入れば、やっぱり秋の到来を感じた。家の中が暖かいと思うのは、季節の変わり目という証拠だろう。


 リビングに入れば、早速ティーセットとお菓子の片づけを始めたので、それを止めた。

「カゲ…私、やるから……台所、行っていいよ…」

『いいのいいの、僕がやるから。凪ちゃんは楽にして―――』

 ガシッ、とカゲの腕をつかんだ。

「私、やる」

『え』

「わたし、やる」

 珍しく折れない私に戸惑って、カゲが停止する。その隙に、持とうとしていたティーセットを先に取った。奪い取るような形になってしまったが、そこは許して貰いたい。

「私……もう、高校生だから……これくらい、するから…」

 上手い言葉が見つからなかったが、伝わりは辛うじてしただろう。

 いつも子供の用に甘やかしてくれるので、完全に娘のような扱いになっているかもと危惧はしていた。――女として、見てくれない。それは、非常大きな一大事だ。

 折角、トメさんが力になってくれると言っているのだ。次会う時までに、今の関係を改善しておきたい。

『…えと……じゃあ、今日はお願いするね』

 まだ戸惑いながらも、強気な私に押されたのか、素直に引き下がってくれた。


 千里の道も一歩から、と言う。まずは甘やかされるのを食い止めなくては―――。


 決意と共にお盆にティーセットを乗せようとしたところで、カゲに呼び止められた。

『…あ、凪ちゃん凪ちゃん』

「?」

 腰のあたりを指さしてきた。

『ポケットポケット』

「…?……あ…」

 気付かなかったが、右のポケットに紙が差し込まれている。手紙を細長く折った感じだ。

 一度お盆を置き、手紙と思わしきものを広げる。すると、開いたと同時に、ポトンと何かが落ちていった。

 ヘロヘロと落ちていったのは写真らしい。

 何だろうと思い、手紙を走り読みする。









「っ――――?!―――」

 手紙をぐしゃりと握りしめ、その場から退散する。覗き込んできたカゲが驚いていたが、構ってる余裕は無かった。

 階段を途中まで駆け上ったところで、カゲに一言。


「…ご、めん……カゲ…」

『…?』

「やっぱり、お片付け、お願い……っ」


 そこまで言い、素早く駆け上がった。お盆とか片付けとか、それどころじゃない―――。


 









『……まぁ…いいや』

 二階のドアが閉まる音がする。

 その場に一人残されたカゲは、黙々と片づけを再開した。

『何が入ってたのかな…』

 ボソリと呟いたその声は、宙に拡散し、そして消える。

 しかし、片付けの中、凪の落としていった何かについて不意に思い出した。

『そういえば…確かこの下に――――』

 屈み込んでテーブルの下を見れば、紙切れのようなものを見つけた。

 拾い上げれば、どうやらこれが裏面らしいことに気付き、さらりと表に返す。


『…………何?これ』






 ――――――――――――― ――――――――――――― ―――――――――――――







 丸くなった布団の中に、真っ赤になった私が一人。

 グシャグシャとなった手紙をさらに握りしめながら、トメさんを恨む私が一人。

「…トメさんの……バカ…」

 ぐしゃぐしゃになった手紙を乱暴に放り投げる。

 空気に乗って机に落下したそれは、上手い具合に開いてしまい、中の文字が露わとなった。

 手紙の内容の内、本文自体は大きな問題では無かった。綺麗な字だったし、内容自体もカゲのことをフォローしたいという気持ちが、よく伝わってくるものだった。



 ――――問題は、追伸の部分。



 傍から見ればセクハラに思えるけど、追伸の件は完全に私が気づいていなかったので、感謝一割・羞恥心七割・後悔二割といった想いになった。

 そのせいで思わず逃げるようにこうして二階に来てしまった。


(~~~~~――――ッ)




 足をバタバタさせて暴れる。布団を被っていたので周りが見えず、右足が机にぶつかり、悶絶する。

 私が悶絶し始めると同時に、机上の手紙がはらりと宙を舞い、私の目の前に偶然着地した。



 ―――見間違いは無いかと、淡い期待を抱きながら再度黙読する。














【 凪ちゃんへ




 凪ちゃん、アイツのことをお願いね。アイツ、鈍感でイライラするかもしれないけど、絶対に凪ちゃんを困らせようとか、そういう気持ちは絶対に無いからね。ただ鈍いだけなんだ、ホント。

 何でもできる癖に、色恋沙汰には疎いんだ。だから、アプローチは続けてあげて欲しい。そうすれば、あの石頭でも、その内理解すると思うから。

 でも、例え全く気付かなくても、それはただ鈍感なだけで、良いヤツには変わりないから。そこだけは覚えといてね。勿論、それは凪ちゃんが一番よく分かってることだと思うけど。





 朴念仁で鈍感で似非紳士、そんなヤツだけど、これからも宜しくね。










 追伸



 最近、夜遅くに名前を何度か呼ばれてる気がするそうです。一人でする時は、周りに十分気をつけてね。聞こえてたら一大事だよー。

 代わりに、アイツの写真同封します。夜のお共に是非どうぞ。



  トメさんより 】










 ――――――――――――― ――――――――――――― ―――――――――――――











「凪ちゃん、あの手紙呼んでくれたかな~」

 道路を風を切ってバイクで進む能天気が一人。






「~~~…ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

 見間違いでないことを再認識し、呻き声を出す少女が一人。







『………何で僕の写真…』

 そしてどこで撮られたかも不明な写真を手に、一人は途方に暮れるのだった。



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