第2話 心の傷

 「はあ……たかし起きなさい、もう何時だと思っているのよ」

昔のように、注意の中にも暖かさはなく、諦めに近い、冷めた口調で淡淡と語りかける。

それを肌で感じた俺は、イラッとした感情が芽生えた。

「ちっ、うるせえよ! 何時だってもう構わねえだろ、もうニートなんだからよ」

ニートになってからのお決まりのセリフ、これを言うと、大概スムーズに進む。

「……ご飯作っときましたから、もう仕事に行きますね」

「……」

ガチャン

ドアを閉める音に、少し寂しさを感じた。

こんな態度をとる俺にも、その不条理さえも溶かす愛を万分の一の確立で起こしてくれる事を心の隅で願っているからだ。

 「……ったく、今何時だよ」

そう言って、時計を見ると、午前9時だった。

 「まだ9時じゃねえかよ」

昨日床に就いたのは、朝の3時だから、まだ6時間しか寝ていない。

まあ、文字で起こすと十分寝ているかもと思えるが、実際にその時間から寝ると辛いのだ。

 「あ~あ、もう1回寝よう」

そう捨て台詞を吐き、俺は深い深い眠りに落とした。




「……、……、うっ~」

暑く、寝返りを打っても中々、寝心地が良くならない。

「おい、たかし! 俺さあ、舞と付き合う事になった」

それを聞いて、一瞬頭をハンマーで叩かれたような衝撃を受けたが、なんとか平常心を保とうとした。

「……そっか、やったじゃん」

そう言うと、ニンマリした表情になった。

「だろ、たかしも作れよ!」

「おれ? 俺はいいよ」

そう咄嗟に否定する俺。

「何言ってんだよ、お前のお蔭で彼女が出来たんだからさあ、この幸せを……」

「いや、いいっつてんだろ!!!!!!」

激しい口調で言ってしまった。

その突然の変化に驚く表情になったが、平常心を保とうしているのが分かった。

「……そっか、まあ、たかしがそうならな。 でも、これだけは言わしてくれありがとう。 ほんまに感謝してる」

「おう」

俺はコクリと頷いた。

 



 「久しぶり、たかし俺さあ、一流会社とは言わないけど、無事内定GETしたぜ! たかしはもう貰ったか?」

「えっ……まあな、決まったよ」

「まじまじ、どこよ?」

「んーと、別に凄くないけど銘仙商事」

「おい、ほんとかよ、やっぱたかしは凄えな」

「いや凄くないって、受けたらひょいひょいっと、エレベーターでね」

「それを言うならエスカレーターだろ? ん? それも言わないか」

「ははは」

2人で笑いあうが、全くの嘘だ。

銘仙商事なんて志望すらしていないし、志望した会社は1次で「慎重なる選考を重ねましたところ、残念ながら、今回はご期待に添えない結果となりました」これだ。

本当は心が折れかけている所だ。

「じゃあ内定祝いに飲みに行こうよ」

「……わりいな、サークルの卒業旅行の為にバイトしてるんだわ。都合が合えばすぐ行くから、また都合の良い日な」

「たかし、まじで忙しいな。 でも分かった。色々話したい事もあるし。また今度な!」




 「たかし、俺さあ、舞と結婚する事を決めた。」

「えっ、まだ働いて2年……」

動揺する俺の精一杯の言葉を遮る様に言った。

「まあな、まだ2年しか経ってないけど、子供を作るのは早い方が良いって聞くし、それに、会社も、給料と福利厚生が意外としっかりしててな」

俺と同じ時間を歩んでいるはずなのに、想像もつかない世界観。

唖然としている俺に対し、充実感で満ち溢れている目の前の男に俺は、ご主人の前で股間を出してお手上げと言うポーズを見せる愛犬の様な状態になっていた。

「まあ、たかしほどじゃないよ。 たかしは仕事順調? 給料も良いって聞くし、女も選び放題だろ。 彼女ぐらいは……」

「やめろよ!!! 俺あまりプライベートを話すの苦手なんだよ」

また捨て台詞になってしまう。

嘘を言ったのは俺、原因は全て俺なのに、このどうしようもない劣等感と、逃げたくても逃げれない、この状態に、俺はただ下を向く事しか出来ない。

「そうだったな。 ごめん、ズバズバと」

すぐに謝る男は、精神的にも立派な大人だ。

「ただな、結婚式には出て欲しい。 これを伝えに来ようと思ったんだ」

下を向いてるだけでは、一生終わる事のないこの会話。

意を決して、笑顔をつくり目の前の男を見る。

「そっか、もちろん出るよ! 親友の頼みだからな」

これが俺の精一杯。

心の中では、着ていく服、祝儀が、とても買えない、払えないこんな事ばかりが渦巻いていた。

「ありがとう! 舞も喜ぶよ。 俺達を繋いでくれたのはお前だから」

……

……

……

「……お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、お前だから、」

……

……

……

「う、う、う、う、うわあああああああああああああああ」

様々な人生の苦い記憶が走馬灯の様に駆け巡り、深い眠りから、思わず跳び起きてしまった。

全身汗でびちゃびちゃで、服は水に浸したタオルのように、髪の毛は豪雨に濡れた時のようだった。

 「あ~あ、なんでこうなっちまったんだろうな」

気付けば、滝のように涙も流していたようだった。

 俺は今年で24歳、夢に出て来たのは、夢では曖昧だったが、中・高と同級生で親友だった。

奇しくも俺と同じ名前の高志だ。

 夢の通り、高志は凄い奴だ。

彼女も出来て、就職もして、そして結婚だなんて……

じゃあ、俺はって?

彼女も出来た事なんてなくて、銘仙商事だなんて、勿論嘘だ。

どこも落とされまくって、はい、ニートの出来上がり。

 夢に毎日出てくるんだから、本心は後悔ばかりなんだろう。

昔に戻れたらと思っているのかもしれない。

 「グウゥゥ」

お腹が鳴った。

時計を見ると、もう15時を過ぎていた。

「はあ、そう言えばご飯あるって言ってたな」

そう言うと、服を着替え、1階へと降りていく。

おりて、机を見ると、サランラップに包まれている、豚肉の生姜焼きがあった。

「んっ?」

さらに、よく見ると、料理の隣に白い紙と、3万円が置かれているのが分かった。

白い紙は、母親からの手紙だった。

夢に精神的に追い込まれた俺は、いつもは手紙なんか読む気がしないが、読む事をすんなりと受け入れた。

 「今日で24歳ですね。 私は、たかしを幸せにする事が出来たでしょうか?

今のたかしを見ていると、私には恐らく出来ていないようですね。

本当にごめんなさい。

でもね、ここにあるお金を使えば、たかしが少しでも幸せを感じる為のお手伝いをしてくれるかもしれない。 そう言う気持ちで、置いておきますね。

たかしの今と、これからの人生の為に使ってください。

少ししかなくてごめんね。 お誕生日おめでとう。 ママより」


 そこには、一切の濁りが無い、母親の本心と願いが書かれていた。

「こんな事まで書かせてしまうなんて、俺は本当の天才だな」

15時までの悪夢のような夢と、母親の手紙。

ニートの俺でも、現世での欲求も生活も幸せも一切を捨てて逃げて閉じこもったこの俺でも、このド級のサプライズの連続には答える。

 「はあ~」

厳かな表情をして、こちら見つめてくる3人の福沢諭吉を傍観する。

「自分の力を発揮できるところに、 運命は開ける。」

福沢諭吉が俺に語り掛けた様な気がした。

 俺の力を発揮できる所なんて、今は分からない。

ただ出来る事は1つだけある。

 「外に出よう!」

過去の自分と、過去の親友と、自分を一番に想ってくれる母、そして福沢諭吉先生

全ての想い、記憶が俺の心を突き動かす。

それが、外に出ると言う新たな一歩に、小さな勇気に繋がった。


「ガチャ、ギギギ」

俺の人生よりも、30年も多く生きている人生の先輩である俺の家。

その中の1つ、木造のドアが歴史のある心地よい音を上げる。

 ドアを開け、真っ先に視界に入った夕焼けは、俺の心をグッと掴んだ。

今までの人生何やっていたのか?

これからの人生どうするのか?

生きると言う事は?

様々な重い重い、人生のテーマが未熟で弱虫の俺に、歩み寄るのを肌で感じた。


でも、今の俺ならそれを背負える気がする。


ドアを閉め、鍵を掛け

「行ってきます、ありがとう」


そう一言いい、俺はいつぶりかの外の世界に踏み出した

 

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