リカちゃん
「私リカちゃん。今、梅田にいるの」
そんな電話が掛かってきたのは暇を持て余した夜中だった。少女らしい相手はそれだけ言って通話を切った。非通知着信だった。
「梅田のリカちゃんがこんな時間に何の用だ……?」
皆目見当も付かなかった。梅田といえば大阪の梅田だろう。俺が住んでいるのは神戸市だ。隣の県とはいえ遠過ぎる。
いたずら電話だったのだろうか――そう思った時、再び着信音が鳴った。
「私リカちゃん。今、西宮北口にいるの」
背中に冷たいものが走った。
というのも、西宮北口は阪急の駅だ。さっきは梅田、今は西宮北口。特急でもこう早くは着かないはずなのだ。
しかし、冷静に考えてみれば梅田が嘘だった可能性もあるし、まだ西宮北口に着いていない可能性もある。友人との待ち合わせでちょっと早めに言ってしまうあれだ。
きっとそうだろう――そう考えていた時、またしても着信音が鳴った。
「私リカちゃん。今、川西能勢口にいるの」
「待ってくれ! そっちは――!」
伝える前に通話は切られてしまった。
川西能勢口も阪急沿線ではある。だが宝塚線だ。もし神戸に来ようとしているならかなり遠回りしている事になる。リカちゃんは気付いているのだろうか。そのまま乗っていればよかったのに、なぜ乗り換えてしまったのか――
衝撃が、走った。
普段乗らないものだから間違えていた。西宮北口から川西能勢口という事は、むしろ遠くへ行っている。本線に戻るのは十三、梅田から一駅のところだ。
「……私リカちゃん。今、十三にいるの」
「新開地行き特急に乗ったら乗り換えないで!」
不機嫌そうな声だったが、何とか伝える事には成功した。
心配でならない。もう夜も遅い。リカちゃんは終電までにうちへ辿り着けるのだろうか。
「私リカちゃん。今、新開地にいるの」
「よっしゃ!」
やっと神戸市内に入った。あとは俺の住む東須磨駅まで……。
ぞわり、と嫌な予感がした。
次の着信に出るのが恐ろしくなった。西宮北口からなぜか宝塚線に乗ってしまったリカちゃんだ、きっと、そうきっと――
「私リカちゃん。今、神鉄長田にいるの」
「新開地まで戻ってー!」
ああ! やはりやってしまった! どうしてこうもリカちゃんは乗り換えたがるのか!
新開地駅のホームは三田方面へ続く神鉄との乗り換え駅でもあったのだ。山手山手に行くばかりで東須磨からはどんどん遠ざかってしまう。
「……私リカちゃん。新開地にいるの」
「阪神か山陽のふつ――」
かなり機嫌を損ねた声だった、度重なる間違いに苛立っているのだろう。
それより伝えきれなかった事が悔やまれる。
これだけ乗り間違えるリカちゃんの事だ。もう分かっている。
俺は覚悟ができていた。
「……私リカちゃん。東須磨、通過したんだけど」
「もう月見山で降りて! 歩いてこれなくもないから!」
そう、東須磨は普通しか停まらない。通過、通過、からの当駅止まりなんてのもザラだ。ついでにいえばエレベーターもない。よく駅前でエレベーター敷設の運動をしている。
しかし隣駅、月見山からでも歩いてこれなくもない。直線距離でいえば東須磨からより近いぐらいだ。
ただ、問題があるといえば。
「私リカちゃん! 行き止まりばっかりなんだけど!」
「頑張って! 正解の道は必ずあるから!」
……月見山からうちまで来ようとすると、とにかく行き止まりが多い。俺も何度か道に迷ったし、いまだにどれが一番近道なのか分からないでいる。
「私リカちゃん! もう帰る!」
「迎えに行くから近くにあるもの――」
リカちゃんは激怒していた。気持ちは分かる。だが俺に当たられても困るというものだ。
それからリカちゃんからの着信はなかった。
果たして彼女は無事に月見山駅まで戻れたのか分からないが、何だか悪い事をしたような気分だった。
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