第19話 熊の男

 公式戦デビューを果たした僕たちはさらに練習を積んで、今日は二回目の公式戦に挑もうとしていた。今回は割と近くで、学校から電車に乗って十五分。さらに歩いて十分ほどで見える建物の地下にあるクラブで行われる。


「き、緊張するな」

「前の公式戦は二回戦落ちだもの無理もないわね」


 二車線道路を挟んで向かいのカフェでご飯を食べていた僕たち Strange Ace は、前回の情けない結果を払拭出来ずにいた。今日はタックさんも付き添っていないので余計に緊張する。

 僕とマサヤくんは食べ物が喉を通らずコーヒーだけを頼んで少しずつ飲んでいるのに、一人だけ大盛りのピラフをぱくぱく食べているミナミさんが頼もしく見える。


「はぁ.....。ミナミさんは落ち着いてるね」

「.........んく。緊張はするわよ。ただ、うだうだ言ってても始まらないわ」

「なぁ、ちょっと早く行ってルーティーンの練習しねぇ?」


 目の前のコーヒーを口元に持っていっては飲まずに戻すを繰り返していたマサヤくんは、不安げな顔でミナミさんに提案した。


「ルーティーンが使えるのはベスト8からだよね? そこまで勝ち抜けるかなぁ.....」

「そんな後ろ向きだと勝てるものも勝てないでしょう。私は優勝する気なんだからもっとちゃんとしてよ」

「ご、ごめん.....」


 マサヤくんに釣られてさらにネガティブになっていた僕の発言に、ミナミさんは珍しく睨んできた。口調もいつもより尖っているので、やっぱり彼女なりに緊張はしているみたいだ。

 ミナミさんが食べ終わった時点で、クラブのオープン時間が目の前まで迫っていた。


「さて、そろそろ行きましょ。絶対勝つわよ!」

「お、おぅ」

「頑張ろうね」


 三人バラバラのテンションのまま席を立つ。本当に強くなっているのだろうか。今回も前半で負けるのではないか。そんな気持ちを奥底に押し込んで、僕たちは受付に向かって歩き出すことにした。




「今回はなんでクラブなんだろうね」

「公式って言ってもお堅いわけじゃないんだな。あ〜、余計に緊張してきた!」


 クラブの中は程よく暗めの照明に、ミラーボールが回っているのか小さな光の玉が床や壁をさ迷っている。ハードビートな洋楽リミックスが大きなスピーカーから爆音で鳴り響き、骨の芯まで響いてきた。一番奥にはDJブースがあって、キャップを被った男の人が身体を揺らしながら音楽を操っているのが格好よくてずっと見てしまう。

 僕たちがその雰囲気を楽しむように軽く踊っていると、始めは広かったスペースがどんどんダンサーで埋め尽くされ、いつの間にかブレイクが出来ないほどの人で溢れかえっていた。


「人、集まってきたね」

「流石に多いか。EランクとFランクのチームが合同のイベントだもんな」

「なにそれ?」

「レートとは別なのかしら?」


 僕とミナミさんは同時に首を傾げた。ランクという制度は聞いたことがない。

 その様子に、マサヤくんは思い出したかのように細かく説明してくれた。


「あ、そうか。前は受付に行ったの俺とタックさんだったもんな。ダンサー協会に登録していれば、チームにもランクが付くんだ。FランクからSランクまであって、メンバーのレートの平均値がそこに当てはめられるんだってさ。俺たちは平均が800だから、1000以下のFランクってわけだ」

「一番下だね」

「初心者チームはだいたいここらからスタートするみたいだから仕方ねぇよ」


 それなら安心だけど、それはマサヤくんは一つ上のランクに入るはずということだ。なんだか申し訳ない。

 興味深そうに話を聞いていたミナミさんが手を挙げて質問した。


「Sランクの上はないの?」

「『Masters』ってのがあるらしいぞ。レートはなんと10000以上! 憧れるよなぁ」


 正直なところ、憧れるより驚きの方が大きい。レートの上がり幅は相手とのレートの差で変わるが、めちゃくちゃ多くても一日500が限界と聞いている。それも、相手との差が2000や3000ある中で連勝するような話だ。バトルは一週間にいくつも無く、負ける事もあるのに、いったいそこまで行くのに何年かかるのだろう。


「リク、ちなみにMastersは日本で二チームだけで、その一つが『Strange Epic』らしいぞ」

「えっ!?」

「そりゃ日本代表になるわけだよな! 世界戦でもかなり上の方らしいから、追いかけるの厳しいぞ?」


 思わぬ情報に声を荒らげてしまった。あえてあのチームのことを調べないようにしていたが、まさか日本で二チーム。しかもレート10000以上の集まりだとは思わなかった。強い強いとは聞いていたが、世界でもトップランクだとは.....。

 でも、それだけ離れているからこそ、湧き上がるものがある。


「僕たちも負けてられないね」

「それでこそリクだ!」

《みなさん大変大変お待たせしましたー! それではイベントを開始しまーす!》


 MCがスタートを告げ、会場を埋めるダンサー達は大声で答えた。いよいよ始まる。今度は簡単に負けたくない。僕は拳を握りしめて受付前のトーナメント表を見に行った。





「きっつー! いまの危なかったぜ!」

「ま、負けたかと思ったわね」

「曲に助けられた〜。でもでも! 僕たちもあの時より強くなったよね!」


 全員がクラブの雰囲気で調子を上げていたおかげか、無事に勝ち星を稼いでいた。やれば出来るもんだ。

 ただ、先ほどのベスト16のバトルは本当に負けたかと思った。相手のヒップホップとロックで構成されたチームは、前半でミナミさんを完全に潰してしまい、マサヤくんが何とか反撃するも会場の空気は相手に傾いたままだった。最後の僕の番で運良く音ハメの多いブレイクビーツがかかってくれたおかげで相手のヒップホッパーはグダグダになり、僕は知っている曲なのでフルパワーで戦えた。三人のジャッジの判定は二対一。あまりにも危なっかしい試合だった。

 僕はブレイクビーツ以外が全然上手く踊れない。この浮き沈みは、Strange Aceの勝敗に大きく関わってしまうので早く直したい。相手のヒップホッパーがブレイクビーツに弱くて本当に助かった。

 クラブの入口付近で休んでいた僕たちは、走って出ていく数人の女の子たちに気づいた。なぜか、その女の子全員が目に涙を浮かべていた


「なんだ? 泣いてるやつ多くないか?」

「あ、あそこ」

「あれは、ケンカかしら?」


 不思議に思った三人は、奥のサークルで騒ぎが起きているのに気がついた。そこには背の高い男が一人と、少しガタイの良いバンダナの女の子が怒りながら何かを言い合っていた。


「いい加減にしなさいよ!! あそこまで言って悪いとは思わないわけ!?」

「ザコにザコって言って何が悪ぃんだ? 才能ねぇ奴は辞めればいいんだよ」


 背の高い男は吐き捨てるようにそう言い、バンダナの女の子がさらに顔を怒りの表情で固める。


「何様なのよアンタ。ちょっと上手いからって調子に乗らないで!!」

「じゃあお前がやんのか? かかって来いよ。もちろん勝てるんだろ? 負けたら土下座して詫びろよデブ」

「で.....っ! アンタねぇ、同じチームでしょ.....」

「だから何だよ。やんのか、やんねえのか?」

「うっ、何なのよ.....」


 背の高い男が近付くと、バンダナの女の子が涙目で声を震わせ始めた。

 これ以上はまずい。


「ちち、ちょっと待って! 喧嘩はよくないよ!」

「あ? なんだチビ邪魔すんのか?」


 気が付くと僕は、背の高い男から守るように女の子の前に立っていた。無意識のうちに動いてしまったのは驚いたが、それより、女の子にあまりにも酷いことを言う彼を見逃すことが出来ない。

 しかし、目の前にしてみるとホントに大きい。まるで野生の熊と対峙している感覚に陥る。手も腕も足も異様に大きく、ヤクザのような強面に剃りこみの入ったソフトモヒカンがさらに恐怖を助長させた。圧倒的強者の貫禄だ。

自然と震えてしまう身体を沈めようとするが、怖くて声も出ない。

 立ち尽くしていると、背の高い男は大きなため息を吐き出してくるりと後ろを向いた。


「シラけた。おい行くぞ。子供の相手してるほど暇じゃねぇんでな」

「こどっ!」


 彼が遠ざかることで、ようやく声が出た。僕の後ろにいた女の子は小さく「ごめんね」と言うと、身体を縮こませたまま彼の後を追っていった。


「何だよアイツ。リク、大丈夫か?」

「さっきのは格好よかったけど、もう無茶しないでよ。ひやひやしたじゃない」


 駆け寄った二人は安堵の声を漏らした。周りで強ばっていた人達も、騒ぎが収集したことでようやく笑顔が見え始める。

 僕の手はまだ震えている。もう踊るどころのテンションではない。


「大丈夫。でも酷いね。仲間にあんなこと言うなんて」

「関わらねぇほうがいいって。ほら、行こうぜ」

「.....うん」


 マサヤくんに肩を抱かれたところで、MCがバトルを再開する声を上げた。次はベスト8。ここを踏ん張って勝ち進めるかが大事なところだ。


 僕らは第一試合なので、すぐにサークルに入る。相手はブレイク、ロック、ハウスの三人。流れてきた曲は短調で遅めのヒップホップだ。

 相手の先攻はブレイカー。ロックやハウスはハイテンポの曲に強いため、ここは妥当だろう。同じような構成のうちのチームも、遅い曲は僕が出るしかない。


「リク。ブレイクビーツじゃないけど出られるか? 」

「もちろん!」


 顔を叩いて無理矢理気合いを入れる。これは公式戦だ。こんなことで負けてられない。

 相手のブレイカーは立ち踊りはそこまでではなかったが、フットワークに入ると別人のように鋭く、オリジナリティのある動きをした。基礎を踏まえてのオリジナルフットワーク。それに加え、ウインドミルの派生『ベビーウインドミル』まで使ってきた。母親のお腹の中にいる胎児と似た姿勢で回るこのウインドミルは、身体を縮めている分スピードが大幅に上がるインパクトの強い技だ。

 交代の合図で前に出る僕は、相手の不足しているトップロックで攻め込む。これなら僕にもオリジナル技があるので少しは対抗出来たが、フットワークに入ると違和感を感じた。

 音が入ってこない。聞こえているのに、体力も十分残っているのに、身体が反応してくれない。

 無理矢理身体を動かし、手堅い足技を繋げ、最後はチェアのちょっとした変形『クローズチェア』で決めた。しかし.....。

 これではない。これじゃダメなのに。

 完全に向こうのブレイカーに潰されたことを悟った。


《勝者ー!! 『フローナックルズクルー』!!》


 後に続くマサヤくんとミナミさんは、全てを出し切るほど全力で動いてくれたが、結果は三対零。完敗だった。


「負けちまった.....。すまねぇ。俺最後ちょっとミスったかも」

「私も体力切れちゃってイマイチだった」

「僕.....何してたんだろ」


 足を引っ張ったのは明白。なのに、二人とも決して僕のせいにはしない。わかっていた。そういう優しい人達なのだから。

 だからこそ、僕は自分が情けなくなる。

 負けた僕たちは早々にクラブから出た。二人が提案してくれたのだ。たぶん、僕をあの空間にいさせてはいけないと思ったのだろう。

 しばらく三人で喋ることもなく入口で座っていると、中から僕たちに勝ったチームが出てきた。しかし、その表情は苦いものだった。


「あ〜あ、負けた負けた。あんなのに勝てるかよ」

「あと一勝だったのに、ちょっと規格外だよな。たぶんレート2000くらいあるぜアイツ」


 聞き耳を立てていると、どうやら負けてしまったようだ。全員が安定した強さを持っていたため、てっきり優勝したものだと思っていた。

 マサヤくんはすくっと立ち上がると、その人たちに話しかけた。


「すんません。決勝終わったんですか?」

「あぁ、俺たちの負けだよ。無名のチームに負けるなんてな.....特にあの巨人みたいなヤツ。アイツこのバトルのレベルじゃねぇだろ」

「巨人? 」

「ほら、喧嘩騒ぎ起こしてたヤツだよ。確か『ビッグベア』ってダンサーネームだったと思うぞ」


 頭の中に、対峙した時の彼の姿が浮かぶ。ずいぶん大きなことを言っていたが、冗談でも大袈裟でもなかった。この大会で飛び抜け強かったのだ。


「あの人.....か」

「さっき騒いでた人ね。まぁ、絡まれたくないし帰りましょ」

「そうだね」


 ミナミさんは立ち上がるや否や、まだ話しているマサヤくんを置いて歩いていってしまった。別に怒っているわけでもない。彼女はバトル後はすぐに練習したい性格なのだ。

 僕はマサヤくんに声をかけ、急いでミナミさんを追いかけて走った。




 電車の中。携帯を触っていたミナミさんが唐突に顔を上げた。どうしたんだろうと見ていると、わくわくする子供の笑顔でこちらを向いた。


「レート増えたのかしら!」


 あっ、と顔を見合わせる僕とマサヤくんは、急いで携帯でダンサー協会のホームページを開ける。ここのマイページから自分のレートを確認出来るのだ。


「俺は1030になってるぞ!」

「僕は570だね」

「私は930ね。リクっちだけ高いのははじめのレートが低かったからね。やっぱり上がり幅が大きいほどやる気出るかしら。リクっち本当は1000近くあるのにズルイわ」

「えぇ〜.....」


 ミナミさんの悪戯な笑みがくすぐったい。でもやっぱり、一人だけ離れているのは少し寂しいな。


「こうやって目に見えて強くなっていくともっと練習したくなるよな! さ、早く帰って練習しようぜ。今日は公園だったっけ?」

「うん! 鏡の前空いてるといいよね!」

「その前にコンビニ寄っていい? 私お腹空いちゃって」


 ミナミさんはタイミング良く小さくお腹を鳴らしてしまい、真顔のまま赤くなってしまった。小声で「ピラフ足りなかったな」と言ったお馬鹿なマサヤくんはお腹を殴られて口からグゥと鳴らしていた。


 思わぬアクシデントがあったけど、こうやって成長しているんだ。今日のことは綺麗に忘れてちゃんと集中して練習しよう。

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