第20話 踊るパン屋さんの疑問
ある日の日曜日のこと。
「陸くん。ベーコンエピ上がった?」
「ちょっと待ってくださいね。あっ、あと2分です」
「了解! それ焼けたら次はバケットね」
「はい!」
とうとう貯金が危うくなってきた僕は、家の近くにある河崎パンというパン屋さんでバイトを始めた。まだ働いて二週間くらいだけど、しっかりとしたマニュアルのおかげでメニューと焼き方はほとんど覚えられた。
こんがりと焼き上がる出来たてパンの香ばしい匂いに食欲をそそられるけど、ぐっと我慢して焼き続けるのがベーカリー担当の僕の仕事だ。
朝イチにほとんど焼き終えてしまえば、後は補充をしていくだけなのでちょこちょことした暇な時間が生まれる。そこで、何か仕事中でも出来ることはないかと模索していたのだけれど。
「Strange Aceだから、『S』と『A』か.....。こうかな?」
この前フライヤーを見て気付いた。うちのチームにはハンドサインがない。
ハンドサインというのはバトル中に良く使われる、人差し指を相手に向けて『早く出ろ』というサインや、自分の耳を指差して『音聞いてるのか?』のサイン。あとは、両腕を身体の前でトントンと合わせる『その技パクリだろ』というバイトサインなど、ホントに多くのハンドサインがある。
それ以外にも、指で自分のチームのアルファベットを象るチームサインがあって、よく優勝したチームが写真でそのポーズを取っている。優勝なんてまだ気が早いけど、写真に取られた時にパッとポーズを取れるように自分たちのサインは欲しかったのだ。
「あ、これなら作れるぞ!」
「何が作れたのかな?」
「わっ! 坂上さん! 何でもないです!」
やっと指で『S』と『A』が作れたところで、先輩の坂上さんに見つかってしまった。坂上さんは大学を卒業したところなのでそんなに歳も離れていないのだけれど、落ち着いた声にゆったりした動きが妙に大人っぽい。バイト歴もかなり長いらしく、頼れるお姉さんのような人だ。
「陸くんってたまに変なことしてるよね。身体揺すってるし、ステップ踏んでるし。もしかしてダンスやってるの?」
「わかるんですか!?」
「そりゃあね。もっと見えないようにしないと。店長に怒られちゃうよ?」
「すみません...」
そんなに動いてるのかな? もっと気をつけないといけないや。
坂上さんは厨房を出ていくと、レジに入ってお客さんの対応を始めた。見つかったのが彼女でよかった。店長は厳格なお父さんのような人なので、見られていたらしこたま怒られただろう。
それにしても、さっきどうやったかな? せっかくチームサインが出来たのに忘れてしまった。
僕はレジの方から見えないように指を組み合わせて、もう一度始めから作り直した。
やっとのことで休憩をもらえた僕は、事務所で焼きたてのパンを二つ食べることにした。いつもは補充用の冷めたパンをもらうのだけど、今日はお客さんも多く余りは出なかったのだ。
同じ時間に休憩を取っていた坂上さんは、口の中のものをお茶で流し込み、思い出したかのように話しかけてきた。
「陸くんはどんなダンスしてるの?」
「えっと、ブレイクダンスです」
「すごい! 頭で回るやつだよね! 大人しそうなのにクルクルしちゃうんだ!」
言われると思った。普通の人なら、ブレイクダンス=パワームーブと括り付ける。特に、ヘッドスピンが有名で、十人に聞けば八人は「くるくる」と言う。ブレイクダンスをやっている身からすれば、スタイラーなんてマニアックだったんだと気付かされるのだ。
「い、いえ! 僕はまだ回れなくて。フットワークっていう、地面に手をついてステップを踏む動きが多いんです」
「へ〜、よくわからないけど。ねぇ、やって見せてよ」
これもよく言われた。まずは家族に、あとは同じ講義の知り合いにも。このやって見せては実は、パワーが出来る出来ないに関わらず結構難しい問題なのだ。
「いや、無理ですよ。まず音がないですし、念入りに準備運動しないと怪我もしますし.....」
「え〜、ちょっとだけ。ほんのちょっと!」
「う〜ん.....」
手を合わせて首を捻る坂上さん。困ったぞ。フットワークを見せたところで、地面でバタバタしてるだけに見えるし、たぶん彼女の中のブレイクダンスのイメージとまるで違う。出来れば諦めて欲しいのだけど.....。
「やめないか坂上。無理強いは彼に失礼だ」
「あら、店長も休憩ですか?」
「そうだ」
「そっかー。なら仕方ないよね」
坂上さんは少し残念そうに笑って、大人しく引いてくれた。救世主のようなタイミングで現れた店長に感謝しなくちゃ。
店長は、店長席という名のデータ管理用パソコン机の椅子に腰掛け、コンビニ袋からおにぎりを取り出して頬張った。長くパン屋をしているとパンは食べなくなるらしい。新作の試食も多いので、たぶん飽きたのだろう。
「店長。ありがとうございます」
「あぁ、気持ちはわかるからな」
「店長も何かなされてるんですか?」
「少林寺拳法をな。型を見せろと言われて見せたところで、誰もが渋い顔をするだけだった。テレビでよく観る中国の少林拳とごっちゃにしてるんだ」
「そんなことが.....」
何か違うのかなと思ったけど、素人は黙ることにした。でもきっと、ブレイクダンスのパワーとスタイラーのようなギャップがあるのだろう。
店長は少しだけ黙ると、付け足すように言葉を続ける。
「一つ言うとだな」
「はい」
「釜の前で踊るのはもうやめとけ。酷い火傷になったら大変だぞ」
「え!?」
僕はくるっと坂上さんの方を見たが、彼女は真剣な顔で素早く首を横に振った。彼女が言ったのではないのか。だとしたら、いつからバレていたんだ。
「すみません.....」
「お前は真面目で覚えも早いからな。見逃してはいたんだが、最近はレジの外からでも良く見えてるぞ。激しい動きは危険だ。それに、一応客の目もあるからな。ダンスを真剣に取り組んでいるのはわかるが、仕事とプライベートを分けるのも大事なことだ」
「.....はい」
「なに、怒っているわけじゃない。一つのことに打ち込めるのはいいことだ。これから気をつければいい」
それだけを残して、店長は事務所から出ていった。店長はフォローしてくれたが、どうしても怒られた気持ちになって落ち込んでしまう。
坂上さんは店長が完全にいなくなったのを確認すると、僕の近くまできて小声で囁いた。
「大丈夫だよ。あの人、怒ってる時は絶対に怒鳴るから。きっと、ダンスに真剣な陸くんが自分と重なったんだよ。だから落ち込んじゃダメ」
「.....ありがとうございます」
坂上さんはウィンクをして元気付けてくれる。おかげで僕の気持ちも少しほぐれ、何とか笑うことで彼女に応えた。
「ダンスなんですけど、ここでは踊れませんが、動画を取ることがあれば見せますね」
「本当? やった!」
まるで小さな少女のように喜ぶ坂上さんは、やっぱり年上ではないのかもしれない。
そんな事を考えている間に、休憩時間も終わってしまい、僕は再び釜の前に戻るのだった。
一応チームサインも思い出したことだし、ここでは踊りのことは忘れないと。働いてる時はプロの気持ちで。初日に店長が言っていた言葉を思い出して、ひたすらにパンを焼いた。
朝からの勤務が終わると、夕方には家に帰れる。本当はマサヤくんやミナミさんと練習がしたいのだけれど、約束もしていないのでいきなり呼び出すわけにもいかず、大人しく家に帰った。
自室に入ると、服についたパンの匂いがよくわかる。着替えた方がいいのかもしれないが、いち早く調べ物がしたかったので今日は大目に見よう。
「えっと、ダンサー協会の.....あった! ランキングだ」
調べ物とは、僕の師匠タックさんのランキングだ。ずっと気になっていたのだけど、彼はレートすら教えてくれない。チームに入っているのかもわからないから実は謎だらけなのだ。
ニシキ先輩も口止めされているみたいで、何を聞いても「すまん!」としか答えてくれない。そこまでされると逆に気になって仕方がない。
「ニシキ先輩のレートが4000台だから、タックさんはもっと上かな」
ニシキ先輩のレート4000。これは、めちゃくちゃ上の方なのだ。地区予選の出場資格が2000。ダンスレッスンを始める資格が3000。そう、先生になる資格を持っているわけだ。そして、チームランクで言えばBランク。日本代表と戦える一歩手前まで来ている。
堂守部長からこの話を聞いた時に、その場にいた僕とマサヤくんは目が飛び出そうになった。学生の域を越えている。高校三年生からダンスを初めてここまで到達した彼は、ロック界では有名なホープなのだ。
なら、それを軽々とあしらうタックさんはどうなるのだ。期待は高まり、こうして調べてしまうのも仕方がないと言ったところだろう。
「うわっ、4000以上の人でも300人以上いるのか。これは探すのが大変だ」
ランキングには、名前、ジャンル、チーム、レート、ランク、簡単な功績。それだけでも見ていくのは大変だ。
手早く名前だけでも確認してドンドンスクロールさせていく。Bランク、Aランクとまだタックさんの名前は出てこない。
「どれだけ強いんだあの人.....」
Sランク。ここまでくると、調べるのが怖くなってくる。Sランクは日本代表クラスで、レート8000から9000。もう有名な人しか出てこない。
個人の功績も優勝、準優勝ばかりで、説明欄も幅を取り始めた。そこで、よく見知ったチーム名を発見する。
「Strange Epic.....BBOY ノーカ」
憧れの、そして、始まりのチームのメンバー。あの時にもいた。彼は陽気な性格の髭のカッコイイお兄さんだ。縦系という逆立ちで踊るのパワフルな人で、実家が農家だと言ってたっけな。
一番始めに見つけたということは、一番レートが低いということ。このレベルまでくるとレートは関係ないと言われているから、実際一番弱いわけではない。それでも、他のメンバーはもっと上なのか。わかっていたけど、やっぱりあのチームはおかしい。
EpicをSランクで数人確認 して、とうとうMastersに入る。もうあと15人しかいない。
「BBOY アキノリ。BGIRL ライチ。B.....」
見つけたのは、僕をダンスの世界に連れ込んだ張本人。strange epicのリーダー。レート11200。ランキング.....三位。
そっか。やっぱり強いなこの人。
身内だから、なんだか感傷に浸ってしまう。あの時からもうすぐ二年。順調に世界を取りにいってるんだな。
あと二人。ここで、目的の人を思い出した。
鼓動が高まる。まさか、そんなこと.....あるのか? タックさんはもしかして、日本人最強の一人なのか。
指が震え、それでも少しずつ、上にスクロールさせていく。
第二位。ヒップホップ、リクドウ。
第一位.....。
「ポップ.....カイジョウ?」
ん? あれ?
「待って、タックさんどこ?」
さっきまでのドキドキはどこへやら、僕は急いで下の方へスクロールさせていく。
Sランク、Aランク、Bランク。ない。ない。
とうとうDランクまで掘り下げてしまった。しかし、尊敬する師匠の名前が何度探してもない。ニシキ先輩がBランクなのに、Eランクを調べてもいるわけないし。どういうことだろう。
僕の中で疑問の吹き出しが連発した。
「タックさんどこなのー??」
結局この日、彼を見つけることは出来なかった。もしかしたら、彼はダンサー協会に登録していないのかもしれない。有り得る。別に登録しなくてもバトルには出られるし、彼の性格から考えて面倒な登録をするより練習している方が有意義だ。なんて言いそうだ。
期待が膨れ上がった分、肩透かしをくらってしまった。タックさんの本当の実力は、しばらくわかりそうもない。
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