第11話 ふたりの師匠

 夏休みでは、体育館は午前十時から使用出来る。午後九時まで続くダンス部は、ほとんどの部員は昼ご飯を済ませてから来るので朝は貸切状態だ。

 公園での敗北から一週間。僕は朝イチから一人で部活を始め、午後のショーケース組が集まると公園に行って練習をしていた。

 今日も同じく、広すぎる空間に音を響かせて柔軟をしていたのだが、この日、いつもと違う事が起きた。


「あっ」

「うっ......」


 昼まで誰もこないハズが、練習着に着替えたニシキ先輩がコンポを担いで入ってきた。

 ニシキ先輩に負けてから、何故か部活でも会うことがなかったのだ。


「お、おはようございます」

「あ、あぁ。おはよう」


 気まずい。どんな顔をすればいいのかわからない。

 それはニシキ先輩も同じらしく、短く挨拶を済ませたあとは口もきかず、お互い少し離れて準備をした。

 アイソレーションも終わり音取りを始めようと曲を代えていたところ、黙っていたニシキ先輩が話しかけてきた。


「リ、あ......なぁ」

「......何でしょうか」


あ、声が低すぎた。怒ってると思われたかも。

特に気にする素振りのないニシキ先輩は、真っ直ぐに僕の目を見た。


「その、この前のは悪かったな。あの後、泣いてたんだってな」

「っ!? 何でそれを!」


 は、恥ずかし過ぎる! あれだけボロボロに負けて、しかも泣いてしまったなんて格好悪いところを、まさかニシキ先輩本人にバレてるなんて! タックさんか! タックさんなのか!


「タックから聞いたんだ。お前は何も悪くないのに、俺が勝手にイライラして八つ当たって、しかも泣かせて、こんなの後輩にするこっちゃねぇよな。すまんかった!」


 潔く頭を下げたニシキ先輩に、僕はギョッとした。


「わわっ、やっやめてください! ニシキ先輩は悪くないですよ! 僕がタックさんにバトル練習がしたいっていつも言ってて、この前初めてやろうって言ってくれたのに、大きなこと言ったからニシキ先輩が呼ばれちゃったんです」

「お前が俺と戦いたかったのか?」

「いえ、そういうわけでは......。タックさんは僕にお灸を据えるためにニシキ先輩を選んだんだと思います。どちらかと言うとニシキ先輩は被害者なんです。突然呼ばれたのに、何も出来ない僕と本気で戦わされて、怒るのも当然なんです......ごめんなさい!」


 僕が悪かったのに、ちゃんと戦ってくれたのに、ニシキ先輩は一つも責めることなく謝ってくれる。気まずそうにしてたのは後輩を泣かせた罪悪感からだったのか。


「お前のせいで怒ってたわけじゃないんだけどな。とりあえずすまん!」

「だから違うんですってば!」


 ここからは謝り合戦だった。お互い疲れて、ニシキ先輩が外の自販機に飲み物を買いに行こうと言ってくれるまで。ちなみに僕の分のスポーツドリンクも買ってくれた。

 近くのベンチで座ると、ニシキ先輩はたくさん話しをしてくれた。高校三年でダンスを始め、最初はブレイカーだったこと。タックさんと出会った時のこと。夏のショーケースや冬のバトルのこと。


「それにしても、タックは相変わらずスパルタだな。リクが俺のことを苦手だって知ってて差し向けんだからよ」

「相変わらず?」

「そう、一緒に練習しても延々とハードな練習しててな。あんなんしてたらダンスが楽しくなくなっちまうよ。底無しの体力馬鹿なんだわ」

「ははっ、それはわかります」


 基本的に、タックさんは練習中でもほとんど休まない。確認をするように同じ技を繰り返し、やっと休憩したと思ったらすぐに戻って、その技から何にでも繋げられるようにバリエーションの練習をする。それを一日中繰り返すのだ。だからこそ、彼のダンスは安定していて、ミスをすることが少ない。


「だろ~? 俺らが一年の頃は先輩にブレイカーがいなくてよ。経験者のタックは同期のみんなから教えてくれとせがまれたんだ。本当は男も多かったんだぜ? そいつら、タックの練習がキツすぎて全員辞めちまったんだ。あれは笑ったなぁ」

「は、はは......」


 それ、本人からしたらトラウマになりそうだ。


「先輩たちもタックの練習付いていけないもんだから、アイツはいつも一人で練習してたんだ。嫌われてるわけじゃねぇよ? ただ、練習では鬼だからな」

「.....」


 けらけら笑うニシキ先輩だけど、僕はちょっと気持ちがわかる気がする。同じ趣味の人が周りに多かったのに、ずっと一人きりだったのか。

 ニシキ先輩は笑いは徐々に小さくなり、少しだけ息を溜めて吐いた。


「そのうち用事がある時しか部活にも来なくなるしよ。何考えてんだか」

「でもきっと、誰かと練習しているのは好きなんだと思います」

「わぁってるよそんなこと。相手のことを考え過ぎて練習詰め込みまくっちまうような馬鹿だからな。だから、俺はあの不器用な馬鹿を見つけるとテンション上がっちまうんだなこれが!」


 先程より大きな声で笑うニシキ先輩はなんだか照れくさそうで、ぼくは嬉しくて一緒に笑った。

 いつも喧嘩腰でバトルして、それでも困ったら助け合って、相手をちゃんと理解している。

 これが『ライバル』ってヤツなのかな。


「今の話ナイショな?」

「はい! へへへっ」


 ニシキ先輩はこれ以上ないくらいの明るい笑顔で、僕の背中を叩いた。

 もう怖くない。だって、こんなに優しい人なんだから。




「ちげーって! 音を逃がす! 全部取ろうとするからステップがバラつくんだぞ!」

「ん......」


 体育館に戻った後は、少しだけ稽古をつけてくれた。タックさんは体づくりの為に筋トレにもなるメニューを組んでくれる。対してニシキ先輩は僕に少し踊らせたあと、ずっと音ハメの技術を教えてくれた。


「お、いいぞいいぞ! そうだ! お前は耳がいい。もっと聞き分けて自分だけの音ハメをするんだ! 集中集中!」

「仲良さそうだな。お前ら」


 扉の方から聞き慣れた声がする。


「んげぇっ! タック! お前いつの間に!」

「ついさっきな。リクに教えてくれてんのか?」

「た、たまたま早く来たからな!それよりお前、公園でマサヤの練習してくれるんじゃなかったのか? マサヤどうしたよ」


 扉に持たれかかっていたタック先輩は、顎をしゃくって踊り場へ出た。僕とニシキ先輩が付いていくと、そこには小鹿みたいに脚をぷるぷるさせたマサヤくんがゆっくり近付いてきていた。


「し、師匠~......」

「マサヤ!? どうしたんだよ!」

「錦野。雅也は音ハメのセンスもある。体力もなかなかだ。だけど根性が足りない。午前中でギブアップだ」

「はぁ、はぁ、リク.....。お前毎日こんなハードなのしてんのか? 頭.....おかしくなっちまうよ」


 倒れるように僕にもたれ掛かってきたマサヤくんを受け止め、ひとまず壁に背を預けさせる。


「マ、マサヤくん! いま水持ってくるから!」


 急いで飲み物を買ってきてマサヤくんに渡し、少しずつ飲ませた。なぜか目が半分しか開いていないぞ。


「タック。お前また馬鹿なスケジュールを.....」

「リクがいつもやってるやつだ。それよりどうだ? リクは上達してたか?」

「......ちょっとだけな。前にバトルした時に感じた違和感。やっとわかったよ」

「気付いたか?」

「あぁ。それにタックに付いていく根性があるとなると、アイツ......化けるな」

「化けさせるさ。あいつの『二つの武器』。腐らせるわけにはいかないからな」

「あぁ! マサヤくん! しっかり!」


 先輩たちが何か真剣な話をしていたような気がしたが、それどころではない!

 燃え尽きるように地面に倒れたマサヤくんは、どこか幸せそうな顔をして気絶した。

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