第10話 初バトル(練習)
日差しが痛く感じるほどの炎天下の中、タックさんがいつもの公園で練習していたところに参加させてもらった僕は、恒例の休憩前腕立て伏せをしていた。
「じゅうはちぃ! じゅうくっ! んんんにじゅう!」
「よし、少し休憩にしよう」
「はぁ、はぁ、終わっ、た!」
真夏日の気温を体現するほど汗だくのタックさんは頭にタオルを乗せてストレッチをしている。
「リク。お前いつも腕立て二十回で死にそうな顔してるな。俺との練習では毎回やらせてるのに、相当筋肉が付きにくい身体みたいだ」
「自分でも……困りものです」
「肉食えよ」
「食べてますけど……」
毎日練習しているのに、全然筋力がつかない。僕の身体には筋肉というものが無いのだろうかと不安になる。
それでも、最近はタックさんの指示がなくても通して踊れるようになった。チェアだって流れから入れる確率は七割を越えているだろう。やっと成長が見えてきているのも事実だ。
「休憩が終わったらバトル練にするか。その前に座学をしよう」
「はい!」
練習を重ねてきて、この日始めてタックさんの口からバトル練習を聞けた。
ようやくだ。早く始めたくて休憩なんてしていられない。とはいえ、座学は大事なのでちゃんと聞こう。
「よし、前に俺と錦野がバトルしてるのを見てたよな。あれで何となく流れがわかったか?」
「そうですね。バトルの流れだけを見ると割と簡単なんですけど、細かくはなんとも……」
「堂守さんが言っていた、『一人何ムーブ』『何ムーブ何秒』はわかるか?」
堂守部長がバトル前に言っていたルールのことだ。聞いたことはなかったけど、だいたい想像がつく。
「はい。『一人何ムーブ』は、つまり攻撃できるターンですよね。ワンムーブなら一回。ツームーブなら二回踊れて、交互に出ます」
「なら何秒ってのもわかるよな。文字通り、一回に踊れる秒数だ。間違っても合計秒数だと思うなよ?」
「大丈夫です」
「チームバトルならまた別の決まりもあるんだが、それはお前がチームで踊る時に教えるからな」
「色々あるんですね。またお願いします」
「質問はあるか?」
この前のバトルを思い出す。そういえば、あのとき気になっていたけど、聞き忘れていたことがあった。
「一つだけいいですか? タックさんのバトルを見てて引っかかってたんですけど、始めのワンムーブでたぶん十五秒くらいしか踊ってなかったですよね。四十五秒もあったのに。あれはいいんですか?」
タックさんは驚いた表情をしたがそれは一瞬で、すぐに普段の不機嫌そうな顔に戻った。
「よく気付いたな。いい質問だ。ルール説明の時にだいたいのMCは『ワンムーブ何秒』と言い切るんだが、あれは『何秒以内』ということだ。様子見で短く終わりたいなら、最低限の流れを踊った上でなら十五秒でも問題ない。もちろん、歩いていってチェアだけして帰る何て馬鹿なことをすれば減点対象だ」
「何をしに出場したかわからないですもんね」
「逆に制限時間を越える場合だが、音に合わせて踊ってるんだ。タイミングがズレれば越える事なんてザラだ。気を付けるのは、交代する意思を見せること。交代しろと言われているのにそこから新たなコンビネーションを始めれば、これもまた減点」
短くても長くても減点。ふむ、意外に判定がシビアなのかもしれない。
「む、難しいですね。少し早めに交代するつもりでいいんですか?」
「それでいい。まぁ、お前はまだ三十秒フルに踊れないから気にすることは無い」
「お、踊れますよ!」
これには反論するしかない。僕だって男だ。練習してきた努力を軽く見られるのは嫌だった。
「無理だな」
「たった三十秒ですよね? 流石にそこまで体力無くはないですって」
「踊ってみたことは?」
「無いですが……でもいける気はします! 毎日何時間も練習しているんですから!」
「……わかった。なら少し早い気もするが、実践してみるか」
タックさんは携帯を取り出し、少し離れたところで電話を始めた。いったい誰と電話しているのだろう。
しばらくして、疲労も取れてきた頃だった。遠くから猛ダッシュで近付いてくる人が目に入った。細身で、背が高くて......あ、駄目だ。帰りたい。
「おい! いきなり『今から来い』なんて礼儀が足りないんじゃねぇかタック!」
「後でジュース奢るって言っただろ? 来てくれてありがとな」
息を切らしながらタックさんに怒鳴ってきたのは、キレの良いロックを使いこなし、いつもキレているニシキ先輩だった。今日は部活もあったので学校で練習していたはずなのに、ここまで走ってきたのだ。
これから何をするのかわかる。わかるから、止めてほしい。この人のダンスは好きだけど、彼ははいま一番恐れている人なのだ。
「ま、まぁそれならいいんだけどな。で、俺は何しに来たんだ? つまんねぇ用事なら帰るぞ」
「リクとバトルしてくれ。本気でな」
「は?」
ニシキ先輩は血管がピキピキ盛り上がるほど不機嫌そうに僕を睨んだ。
「帰るわ」
「おい待てよ」
「冗談が過ぎるぞ。俺に後輩をイジメろってか? 悪いが俺のダンス道に反する。他をあたれ」
ほら、無理ですよ。お願いですから引いてください。
僕の願いも届かず、タックさんは頭を下げた。
「コイツを対抗戦の選抜で優勝させたいんだ。頼む」
「何だと!? それなら尚更ごめんだね! 選抜で勝ち抜くのはウチのマサヤだ! 敵に塩を送るわけねぇだろ!」
「お前が教えたくらいで雅也ってのは負けちまうのか? なら始めから見込みは無いな」
へりくだるかと思いきや突然煽りだしたタックさんに、ニシキ先輩は真顔になった。いや、これは本気で怒っているのだ。
「タック、喧嘩売ってんのか?」
「売ってない。それだけリクはヘボだからな」
ニシキ先輩は真顔のまま僕とタックさんを交互に見た。大きな溜息をついて僕から目を逸らす。
「ちっ、仕方ねぇ。一回だけだからな。お前も雅也に教えてやれよ。それが条件だ」
「一回だけな」
「おい、お前リクって言ったな」
「は、はい!!」
いつものキレている状態に戻った。堂守部長は楽しいヤツと言っていたが、僕は怒っているところしか見たことがない。
「............(なんでお前ばっかりが......)」
「え?」
小声で聞こえなかった。ニシキ先輩は何を言ったのだろう。
「何でもねぇよ! それよりリク! 全力で来い! ちょっとでも手を抜くような腑抜けなら腹パンだからな!」
「ひぃっ! はい! よろしくお願いします!」
僕の初バトル。記念すべき初バトルは、いま最も恐ろしい人との対決になった。今の時点で確信している。僕は今後、このバトルを忘れることがないだろう。
「一人ツームーブ。ワンムーブ四十五秒。先行は錦野だ」
「え? 先行後攻は決めないんじゃ......」
「それは絶対のルールじゃない。どのイベントでも、予選はほとんど決まってるんだ」
では、本戦でようやく先手を決めずに踊るのか。それも絶対ではないのだろうけど、基本はそのパターンだと思っておこう。
「なるほど」
「そんなことも教えてねぇのかよ」
「教えるためにお前を呼んだんだ。悪いが付き合ってくれ」
「ふん!」
なんですぐに怒るの? 僕が何かしたのだろうか。これはニシキ先輩のダンス道に反していないのかな。
「ごめんなさい......」
「もういいよ」
「うっ......」
「始めるぞ。バトルスタート」
まだ気持ちの整理も出来ていないのに、タックさんは早々にバトルを開始した。
先に出たニシキ先輩は、一切リズムを取ることなくゆっくり近いてきた。どんどん大きくなるその身体に、僕は飲まれそうになる。
目の前で立ち止まって、ずっと見下しながら睨んでくるニシキ先輩。嫌だ。怖い。怖い。
「な、なんですか?」
「おいリク。バトル中に相手に話しかけるな」
恐怖に耐え切れず話しかけてしまった僕に、タックさんは注意の声をあげた。
あれ? ダメだったのか......。
「え、あっはい」
僕が黙ったと同時に、ニシキ先輩は大きく後ろに飛んだ。飛んだ勢いでそのまま地面に座り込むように姿勢を落とした。まるでブレイクのドロップだ。
ポイント、クラップ、ターン、ロック。タックさんとのバトルでは見せた技。コンビネーションの連打。知識のない僕にはもう何をしているのか思考がついていかない。速い。
「三、二、一、交代」
交代の合図だ。ニシキ先輩は引いた。次は僕の番だ。
恐怖と緊張で震える手を見ないようにして、出られる音を待った。4、5、6、7......次の1で入れる。
「リク。早く出ろ」
「っ!!」
タイミングがズレた。なんだ? タックさんはなんて言った? 遅い、遅かったのか?
上手くステップで入れなかった僕は、ひとまずトップロックを踏みながらビートを探した。……7、8、ここだ。
掴んだリズムを聞き逃さないように集中する。トップロック、ドロップ、フットワーク。頭の中にあるフットワークの基礎を組み合わせ、いつもより多くステップを踏んだ。
緊張で消耗した体力が大きい、いつものように踏めない。苦しい、息が続かない。
そろそろ交代だろう。練習したチェアに入るため、僕は六歩を大きく踏んだ。
「十五秒」
「えっ!」
十五秒。十五秒だって!? 僕は出し切ってすでにフリーズの流れにきているのに!
身体は止まらず、気が付けば僕はチェアをしていた。上手く乗った。でも、そうじゃないんだ。
フリーズのあとはもう何も出来ない。僕は後ろにさがった。
「交代」
タック先輩の合図。何でだ。何でまだ十五秒なんだ。疲れて頭が回らない。
曲が代わりツームーブ目。速い曲。得意な曲調のはずなのに、ニシキ先輩は堅実にステップを踏んだ。スピードを上げず、慎重に、確実に、音との一体化を示した。
「三、二、一、交代」
も、もう交代か。さっきは遅かった。なのに、今度は恐ろしく早い。まだ体力は回復していないのに。
出なければいけない。重くて感覚がない脚を無理矢理動かす。トップロック……違う。何で、音が聞こえない!
いつの間にかドロップしていた僕は、もう一度チェアをする。しかし、滑り落ちて思い切り地面に頭を打った。
「……終了」
タックさんの声も遠く感じる。フットワーク踏んだのか? ドロップから後を覚えていない。
肩で息をしても酸素が足りない。くらくらする頭を押さえ、何度も深呼吸をした。
「はぁ、はぁ、きっ、きつい。ぜ、全然っ。踊れなかった。はぁ……」
「なぁタック。いくら何でもコイツ体力無さすぎじゃないか?」
「こんなもんだ。ありがとな。ジュース買いに行こう」
「おぅ! 次はお前がマサヤとバトルしろよ? アイツは強ぇぞ。筋がいいからな」
「わかってる」
二人は自販機に向かって歩き出した。霞む視界に映ったのは地面だけだった。
「これでわかったか?」
戻ってきたのはタックさん一人。ニシキ先輩は帰ってしまった。
その間に落ち着いた僕は、身体中を重く、暗い霧に包まれたような感覚になった。
「……はい」
「ブレイクで全力で踊るってのは半端な体力じゃ駄目だ。三十秒間全力で踊り続ければ俺だって次のムーブに影響する。今後、体力強化もしておけよ」
「はい」
「で、アイツと戦った感想は?」
思い出す。さっきの事なのに、まるで数日前のような気がした。
「怖かったです。目の前で睨まれた時は帰りたくなりました。本当に怖くて、それでいて……」
言葉が続かない。強かった。そう思ったのだが、何も、何も出来なかった僕がそれを言うことは出来ない。一度も張り合ってない。バトルになっていない。良いところなんて一つもなかった。
「バトルで足りないモノ。自分でわかったか?」
いっぱいある。でも、きっとタックさんにぶつける言葉ではない。なので、具体的なことだけを言う。
「まず体力。ツームーブ目はほとんど何も出来ませんでした。それとワンムーブ目、出るのが遅かったんですね。あと会話は無しなの初めて知りました」
「概ね、そんなとこだろう。技術面は仕方ないにしても、いまお前が足りない、違うと思ったところを意識して練習しろ。俺からはそれだけだ。今日はもう帰って休め」
「……ありがとうございました」
いつもなら帰る時間をすでに過ぎていた。僕はタックさんに背を向け、帰路に着こうとした。
「リク」
「……」
振り向けない。
「今はまだ弱い。それは仕方ないことだ。ブレイクどころかダンス初心者だからな。だが、練習を重ねればその分強くなれる。俺が強くしてやる。だから、これからも頑張れよ」
「…………はっ、……はぃ」
限界だった。
この時、僕は泣いた。
生まれて初めて。悔しくて泣いた。
あれだけ啖呵を切ったのに、何も出来なくて。自分が情けなくて。
咽び泣く僕の涙が乾くまでそばにいてくれたタックさんは、まだ練習があるのに駅まで送り届けてくれた。
強く、強くなりたい。
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