第6話 意地
「準備、出来ました」
着替えてから軽く柔軟を済ませ、まだ念入りに身体を伸ばしているタックさんの元に戻った。
「そうか。で、何を教えてほしいんだ?」
「えと、僕はブレイクダンスを一度しか見たことがなくて、知識もほとんどないです。出来れば基礎があればそれを教えていただきたいのですが......」
「ネットで調べればいくらでも出てくるだろ。 一度も調べなかったってことか?」
恐る恐る目を合わせると、やはり鋭く光っていた。
「い、あ......そ、その、ごめんなさい。でも、直接学びたくて......」
「謝るなよ。別に怒ってないんだから」
「ごめんなさい......」
完全に萎縮してしまった僕は、反射的に謝る人形のようになってしまっていた。
「だから......まぁいいか。とにかく、何一つわからないってわけか。そうなると何から教えればいいものか」
「......」
それから、どちらとも口を閉じていた。
あぁ、最悪の空気だ。何でこんな事になっているのだろう。僕はただ教えを乞うために来ただけなのにいきなり怒られるし、タックさんの機嫌も損ねた。何が悪かったのかわからない。
頭の中でネガティブランプがチカチカ点滅していたところで、タックさんは立ち上がった。
「逆立ち」
「え?」
「逆立ちは出来るか?」
いきなり過ぎて理解に少し時間がかかってしまった。逆立ち? あの逆立ちだろうか。
「......出来ません」
「じゃあ、そこからだな。逆立ちで歩いて、あの花壇からここまでこれたら次にすることを教える」
タックさんが指差したのは広場への入口だった。あそこからだと三十から四十メートルはある。
「無茶ですよ! 歩くどころか止まることすら出来ないのに」
「お前、やる前から諦めるのか? ならブレイクダンスは辞めといたほうがいいぞ。学校の体育館に戻って他のジャンルを習うといい」
この言い草に、僕の中で何かに亀裂が入ったように感じた。悔しさ、苛立ち、悲しみ、どれとも違うもっと根本的なものだと思う。
僕はタックさんに背中を向け、自転車を漕ぎ出していた。
その日、僕は部活にも戻らず家に帰宅した。
「なぁ、そろそろ部活こいよ。部長も心配してたんだからな。南さんだってアニメの話が出来ないって何故か俺が怒られんだからさ」
「あぁ、うん」
僕は一ヶ月も部活を休んでいた。もちろん、あの公園にも行っていない。大島くんとこうして話せているのも、彼とは講義が被っているからだ。
「な? サボってたのは俺も一緒に部長に謝るからさ。戻って一緒に練習しようぜ?」
「ん、ごめん。用事があるんだ」
「そりゃねえよ。リク~......」
ごめんね大島くん。本当に用事なんだ。それに、いまさら戻りにくいし。
僕は大島くんに頭を下げ、学校の駐輪場まで走っていった。向かうのは例の公園。タックさんのいるところだ。
「ん? なんだお前か。堂守さんから聞いてるぞ。部活にも行ってないそうじゃないか。ダンス、辞めたのか?」
呼吸も荒く、汗だくのシャツをパタパタさせていたタックさんは少しだけこちらを見た。
「タックさん!」
「なんだ」
「逆立ちやります!」
大きな声を出してしまったせいか、周りのダンサーもみんなこちらを見ている。気にするもんか。僕は入口の花壇の前に走っていき、上半身の関節を念入りにほぐす。
「ここから、そっちまで行ければいいんですよね?」
「......あぁ、やってみろ」
さぁ、いよいよだ。周りの人が注目しているせいで余計に緊張してきたが、大丈夫。大丈夫と自分に言い聞かせるんだ。
ゆっくりと地面に手を着き、片足ずつ足を上げた。しっかりと足を伸ばして固定。微調整は腰でする。
一歩。
ゆっくりでいい。しっかり身体の軸を意識して、ブレないように。
一歩。
歩を重ねる毎に周りの音が聞こえなくなる。
一歩。
まだ、まだ体力は......。い、今はどの辺りなんだ。
「あと半分」
声が聞こえた。そうか、あと半分。
腕が痺れる。肩が外れそうだ。ダメだ!弱気になると力が抜ける! 地面を掴むんだ!
また一歩。
地面しか見えない。でも、残り少しだ。少し。少し......なのに。
一......。
進まない。どころか、身体が傾く! 耐えろ! 耐えろ耐えろ!
......。
耐え......。
気が付くと、僕は空を見ていた。狭まっていた世界が開けたような気がした。しかし、わかっている。
「失敗、しちゃったのか」
残り半分の地点から何歩か進めた気がするが、間も無く背中から身体が崩れた。
足音が聞こえた。空だけが占めていた視界にタックさんが入り込む。相変わらずの鋭い眼差しが、今の僕にはよく刺さってしまう。
「タックさん、僕は......」
「おめでとう」
「......え?」
手を差し伸べてきたタックさんに、正直混乱していた。いったい何のことだ。挑戦なら失敗したはず。
「自分の目で見ろ。それが一番納得するだろう」
震える腕で身体を持ち上げ、自分の位置を確認する。なんと、タックさんの場所まで到達していた。
「な、なんで。半分からそう動いてないはずなのに」
「あぁ、半分って言ったのは嘘だからな。残り少しだと思うと、変に力が入ってペースが乱れるからな」
タックさんの手を掴み、僕はようやく立ち上がった。そうか、タックさんは全部わかっていたんだ。
「じゃあ、本当に出来ちゃったんだ」
「いい体幹だった。後は筋力だな」
「体幹?」
「ブレイクダンスはありえないような姿勢で止まることが多い。体幹を鍛えなければ話にならないんだ。逆立ちは体幹はもちろんブレイクダンスに必要な筋肉も効率良く付けられるからな。鍛えると怪我も少なくなるし、これからも続けて練習するといい」
始めは苛められているのかと思った。でも、先の事を考えて地盤作りをしてくれていたんだ。急に現れた素人の僕に、そこまで考えていてくれたんだ。
「は、はい!」
「さて、約束通りしっかり教えてやる。が、その前に学校に戻るぞ」
「え、何で急に」
「お前、部活サボってたのは逆立ちの練習ばっかりしてたからだろ。俺が堂守さんに言って戻りやすくしてやる。半分俺の責任だからな。だから部活には出ておけ」
眼光は相変わらず鋭いが、口調は柔らかくなっている気がする。もしかすると、始めから怒ってなどなかったのかも知れない。
「あ、ありがとうございます!」
「名前、もう一度聞いていいか?」
「須藤 陸です!」
「リクか。お前、不器用だな」
「え?」
笑われた気がしたのだがタックさんの顔は変わらず、不機嫌そうに目を鋭くさせていた。何を考えているのかわからない。でも、実は親身で優しかったり、本当に変わった人だ。
まだ、タックさんのダンスすら見ていないのに、堂々とした彼の背中を見ているだけで、この人について行くんだと決意させられてしまう。
「ほら、早くいくぞ」
「はい!」
初めての師匠と共に、僕は学校に向かった。
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