第5話 B-BOY TAC

 部活に入っておよそ三週間が過ぎようとしていた。相変わらず音取りに夢中になっていた僕のところに、珍しく堂守部長がやってきた。


「須藤。ちょっといいか」

「何ですか?」


 堂守部長は、いつものタンクトップでやってきた。今日は来たところなので汗をかいていない。


「お前、ブレイクダンスがやりたいんだったな? その気持ち、今も変わってないか?」

「何ですか急に。もちろん変わっていません。それだけのためにここにいるんですから」


 とはいえ、最近は音取りが楽しくて取り急ぎブレイクダンスを始めることも無いとおもっていた。だけど、南さんと大島くんはすでにジャンルの練習を始めていて、大島くんは一回生だけでショーケースをすると言ってユニットまで組んでしまっている。自分一人が出遅れていることに焦りは無くもない。


「そうか。突然で驚くかもしれないが、ウチのブレイカーを紹介しようと思ってたんだ」

「本当ですか!?」


  突然の朗報に、僕は身体に力が入る。やっと、やっとブレイクダンスが出来るのか。


「あぁ、実はウチの奴と約束があってな。半端なヤツを連れてくるなと言われてたんだ。お前はやりたい事が決まっているにも関わらず、一ヶ月近くもひたすら基礎練だけしてブレイクダンサーが来るのを待ってた。小さな見た目で侮っていたが、なかなかのガッツだと思う」

「ありがとうございます」

「そのガッツを見込んで、紹介をする事にした。悪いが今から向かってもらう場所がある」


 堂守部長は携帯を取り出し、目的地までの

行き方を教えてくれた。学校からそう遠くはないこの街の中央公園だ。ここからだと、だいたい自転車で三十分だろうか。


「ここに行ってくれ。そいつには俺から連絡しておくから、探してこい」

「はい! 行ってきます!」


 早速向かおうしたが、重要な事を聞き忘れていた。


「あ、ところでその方の名前は?」

「BBOY TAC」

「たっく? それ本名ですか?」


 十中八九あだ名だろう。出来れば本名を教えてほしいのだけれど。


「いや、ダンサーネームだ。知らないのか。ブレイカーは特に本名を使わない人が多いジャンルだからな」

「な、なるほど」


 なぜ本名を使わないのだろう。そういう文化でもあるのだろうか。ペンネームみたいなものだと思っておこう。


「それじゃあ、行ってこい」

「はい!」

「須藤!」

「は、はい?」


 せっかく飛び出す勢いだったのに、止められたから転びそうになった。堂守部長は迷うように言い淀んでいる。


「タックは変わったヤツだが、基本ストイックな人間だって事を忘れるなよ」

「はい......?」


 どういう事なのだろう。堂守部長はそれだけ言うと、練習している先輩グループの中へ入って言った。

 考えても仕方が無い。あまり時間があるわけでもないので目的地に急ぐことにした。




 自転車を飛ばして、予想通り三十分で到着した。中央公園は、恐ろしく広い公園で、外周を自転車で周っても一時間はかかってしまう。それだけの広さがあるからこそ、ストリートを冠するスポーツの多くがここで練習している。ストリートバスケ、ダンス、スケートボードなど、他にも様々な人達がいる。


「ここが中央公園か」


 手始めに、入口付近で練習しているダンサーに声をかける。ジャンルはわからない。まだブレイクダンス以外の見分けがつかないのだ。


「あの......」

「ん? なに?」


 凄いダメージのジーンズを履いた露出の多い女性に話しかけると、明らかに警戒したように一歩引かれた。怪しいやつに絡まれたと思われたようだ。こっちだって約束のために止むを得なく聞いているのだ。


「すみません。ここにタックっていうブレイクダンサーいませんか?」

「知らないな。でも、ブレイカーならもっと奥の所で練習してるよ。そこで聞いてみたら?」

「どうも」


 早々にここを立ち去る事にした。やはり女性は苦手だ。彼女から離れてからようやく呼吸が出来た気がする。

 道なりに真っ直ぐ進むと大きな塔が見えた。もう使われてないのか入口は封鎖され、広場にはダンサーが音楽に合わせて軽く身体を動かしていた。恐らくブレイクダンスだと思う。地面に長く手をつけたまま踊るのはブレイクダンスでしか見たことがない。

 その中の一人の男性に話しかけた。年上のようなどっしりした空気を感じる。社会人だろうか。


「すみません。ここにBBOY タックさんはいますか?」

「あ~、タックね。まだ来てないよ。何か用なの?」


 どうやら知っているようだ。練習場所はここで間違いない。


「はい、同じ部活の後輩です。今日ここで会うことになっているんです」

「そっか、たぶんそのうち来るから待ってなよ」

「はい。少し見ててもいいですか?」

「え? あぁ、ご自由に」


 男性に不思議な顔をされた。なにか引っかかるが、見ているだけなのだ。特に問題はないだろう。

 さっきの男性は軽く動いた後、少し休憩を挟んで肘と膝に何やら黒いパットを装着した。スピーカーから流れる音楽を変えると、軽やからなステップを踏む。勢いをつけると、そのまま背中から地面に滑り込んだ。


(危ない!)


 怪我をするかと思わせるような動きを見せると、手足を縮こませて背中で回り始めた。まるでコマのようにクルクルと周り、背中から身体の正面で地面を捉え、また背中を地面に落とした。それを繰り返し、リズム良く回転を続ける。


(これだ。たしかウインドミルという技。ブレイクダンスの象徴とされる技の一つ。まぁ、ウインドミルしか知らないけど)


 リアルなブレイクダンスは一年以上見ていなかったので、その力強さを改めて痛感した。徐々に身体の熱が上がるのを感じる。


「まだかな......」


 十分ほど見ていただろうか。僕は身体を動かしたくてそわそわしていた。そこへ、一台のマウンテンバイクに乗った男性が現れた。


「あ、タック! お前にお客さんがきてるよ!」


 この人がタックさん。黒のハイカットスニーカーにグレーのジーンズ。黒の長袖に黒のキャップを被っていた。暗めの雰囲気だが、幅のある胸板や首から下がるシルバーネックレスの存在感が、平均身長ほどの彼をより大きく見せていた。


「お前が部員の?」

「はい! 須藤 陸って言います!」

「なんで練習してないんだ?」

「え......?」


 タックさんの帽子から覗く眼光が、明らかに不機嫌を示していた。


「練習しに来たんだろ。アップもしてないよな。何しにきたんだ」

「あ......すみません」


 なぜ、なぜ僕は怒られているんだ。タックさんの声は落ち着いている。だからこそ、尚更怖かった。


「早く着替えて身体温めろ」

「......はい」


 僕は急いで鞄から練習着を取り出し、その場で着替えた。




 これが、僕とタックさんの初めての出会い。印象はお互い悪く。しばらくは怯えながら接することになる。

 いずれ、彼が僕の特別なダンサーになるのだが、それはまた先の話だ。

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