第12話 コンクールの覇者

 真理絵の言葉に、少女たち全員が顔を見合わせた。


「……え?」


「あの……5年に1度のコンクールで、美弦くんをくだした?」


 数秒間の沈黙。


「あやねっ、なんで憶えてないの! あんた、姉でしょ!」

 美月のチョップが炸裂した。

 頭を両手で押さえた綺音が、涙目で抗議する。

「だってぇ。そのコンクール、わたし、熱が出て、応援に行けなかったもん」


「それでも普通は初めて弟を負かした相手の名前なら覚えてるでしょーっ」


「憶えてなかったんだから、仕方ない──スミマセン」


 ぐおっと迫力の顔で見つめられて、綺音は思わず謝った。

 わずかな静けさに、晶人の穏やかな声が割りこむ。


「──みつる?」


 奏は苦笑した。


「ああ……。3年前に、きみが優勝したピアノコンクールで2位だった榊原 美弦は、綺音の弟なんだよ」

「奏ちゃん! 知ってたの」

 がばっと綺音が奏を見やる。


「いや、綺音も憶えてるとばかり」


 綺音が両手をずるずると伸ばす。


「ずるいぃ~」


 その手から逃れて、

「知るか! 記憶してない、綺音が悪い」

「だって、美弦ってば、全然、気にしてなかったぁ。だから、わたしも気にしないようにしてるうちに、忘れちゃったんだもん」


 咲子と真理絵が苦笑いを見かわした。


「そっか。可愛い弟のために、2位をなかったことにしてたのね。綺音ってば」

「でも、美弦くんなら本気で気に病んでないかも」


「そうかなぁ。彼は1人で泣くタイプだと見た」


 少女たちの会話に、綺音はダメージを受けて身を伏せる。

 3年前。

 誰にも言わないが、たしかに美弦は綺音の胸で泣いたのだ。2位のトロフィーを窓辺に置いて。


「ひとりでじゃないもん」


 呟くが、誰の耳にも、それは届かなかった。


「……とにかく、美弦くん級のピアノの腕の持ち主! 伴奏者には勿体ないくらいの逸材よ、綺音!」

 美月が立ちあがった。

 燃えている。


「あんた、今年の『若草祭わかくささい』で伴奏してくれる相手を探してたんでしょ。お願いしたら!?」


 この学校は、すこし変わっている。

 新入生の部活勧誘を4月の2週間で行い、その集大成として5月半ばに部活動勧誘発表会を開くのだ。その後に新入生は希望する部活動に所属する。新入部員獲得は、この発表会の成否にかかっているといってもいい。その部活動勧誘発表会は、9月の文化祭である『薔薇祭そうびさい』に対して、『若草祭』と銘打たれているのである。


 綺音の所属する音楽愛好部は、演奏だけでなく、鑑賞も自由だ。楽器のできない部員もいる。そして、綺音自身は幽霊部員である。なにしろ毎日、家でレッスンが待っているのだ。学校で活動している暇はない。そのかわり、『若草祭』と『薔薇祭』では、演奏を求められる。そもそも、音楽愛好部自体が、綺音のために創られた部であるといってもよい。毎日、終業後にさっさと帰宅する綺音の所属できる部活動として。


 咲子が小さな声で、怪訝げな晶人に説明をした。ここにいる全員が部員であることも。


 その横で、美月が両手を握り、力をこめた。


「去年の『薔薇祭』ではバッハの無伴奏パルティータだったでしょ。でも、ひとりでも多くの部員獲得のためには、もっと派手にやらなきゃ」


 美月が鼻息荒く宣言する。

 たしかに、見目麗しい少年と少女のデュオは派手だろう。


「そうよ! 今年はモーツァルトでいきましょう! 華々しく、優雅に!」


 バロック礼賛家の綺音は、

「えー、バッハがいいー。ちょうどいま、ソナタやってるしー」

 異議を唱えたが、

「我儘いわないの! 毎回バッハじゃあ、レパートリーを疑われるわよっ。サラサーテでもいいけど」

 勢いよく美月に叩き落されてしまった。


「……僕、まだ弾くとは言ってないけど」

 箸をケースにしまいながら言った晶人に、全員の視線が集中する。

「そもそも、僕は、その音楽愛好部に入ってもいないし」

 たしかに、そうだった。


「でも、わたし、晶人くんと演奏してみたい」


 最後のミートボールを口に放り込んで、綺音が言う。


「美弦に勝ったピアノ、聴かせてよ」


 興奮冷めやらない美月が後を追う。

「そうよ! 絶対、ふたりの演奏なら目立つわ! お願い、協力して! 入部してくれなくてもいいから!」


 咲子が真理絵と奏に呟く。

「できれば入部してほしいけどね」

 ふたりは笑った。


 しかし、綺音と美月は真剣な表情で晶人を見つめている。


 奏が小さく言った。

「この学校、ピアノ関係の部活は、これしかないよ。あとは吹奏楽部しかないから」


 はあ、と晶人がため息をついた。

「わかった。でも、無条件では弾かない」

 両目を閉じて、そう言った晶人が、すっと目を開き、綺音をじっと見る。


 綺音の頬がかすかに染まった。


 まさか、と奏は危惧する。


 しかし、彼が口にしたのは、奏の不安とは別の方向のものだった。


「オーディション」


「へっ?」

 晶人は真剣な表情のまま、言った。


「僕が伴奏するに相応しい独奏者ソリストだと認められたら、『若草祭』で伴奏するよ。それが、ひとつめの条件」


 全員が、暫く沈黙した。

「えっ! 条件って、ひとつじゃないの!?」

「なにそれ、なにそれ」

 騒がしい外野を一瞥で黙らせて、晶人がさらに言う。


「それと、ふたつめの条件。きみに、のめる?」


「……聞かせて」


 綺音の表情も真剣になった。

 奏は、わがことのように緊張した。


「オーディションの曲は、僕が決める」

「……いいわ」

「それも、1曲じゃないよ?」

「わかった」


「あと、みっつめの条件」


 綺音の緊張が高まる。

 衆目の前で弾けと言われても引き受けてやる、と思いつつ。


「オーディションは、きみの家で。きみの家族の前で執り行うこと」


「へっ?」

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