断水―demise―

 碧狼の下腹部のコックピットに乗り込んだリシティは、うなじにある神経接続口に座席から延びるコードを繋げる。リシティの精神は碧狼に溶けあい、碧色の狼の瞳は青から赤に変わった。

 リシティは哀れな化け物を見つめる。同情なんてしない。だがせめて、倒すその瞬間までは、この一人ぼっちの王の事に想いを抱く。


「同胞よ。君は、何をどうしてそう怒るのだ? 同胞であるならば、怒りなどの感情は不必要のはずだ」


 宣戦布告を聞いて先に攻撃を仕掛けてきたタコ――黒蛸コクショウというべきそれは、敵意をむき出しにするリシティにそう語りかける。


「確かに、機械であれば感情は不必要だろう。でも、人で在る限り、機械もまた感情を会得できるんだ!」


 白髪の下で虚ろな赤き瞳を鋭く歪ませる少年は、あらん限りの声を上げて反論する。それに呼応するように、碧狼の頭から生えている髪がバチバチっと放電を始める。

 両者ともに興奮が募る中、唯一その興奮に追いついていない少女が声を上げる。


「リシティ、視覚を共有して」

「……エメは、関係ないよ」

「関係ある。お願い」


 碧狼と繋がっているとエメの口調は滑らかになるのだが、今のエメの言葉遣いは普段のエメに近い物であった。淡々とした言葉遣い。それほど、今のリシティに怒りを感じているように思える。

 リシティにとってエメがこの戦いに意味はないのだ。しかし、彼女の冷たさの中にある熱情が耳に響く。


「……解った」

「理由は後で聞く。さぁ、戦おう」


 彼女の視覚が碧狼に融ける。たとえ碧狼という獣の姿をした器の中で精神が融けあっても、想いはお互いに繋がっているわけではない。エメがリシティの思惑が解らないのと同じように、リシティもエメの怒気の籠った声の真相は解らなかった。


「僕はお前だ」

「私はあなた」


 だから、自分達がもっと融け合えるようにそう暗示をかける。二人は碧狼というカップの中で混ざり合う砂糖とミルクなのだ。


「「我ら一心同体。求めるは遥かなる生存。一秒先の未来」」

「始めよう――」

「私達の生存闘争を」


 その声の終わりこそ機獣が、人が操る機械の獣となった瞬間であった。マシンヒューマンモンスター。人を自らの慰みのために変化させた目の前の化け物がなれたかもしれない、そんな一つの生命の在り方。

 その姿を見てか、黒蛸は気味が悪そうに狼男を睨みつけた。


「人の力を借りて生存する……その身に宿す事がいかに悪法かッ!?」

「お前が、言うなッ!」


 人に己が分身を宿らせた黒蛸への怒りが上回り、リシティは両手の先にあるレバーを握り、足場にあるペダルを踏みしめた。碧狼の全身にある噴出口スラスターから火が噴出される。それは推進力に変わり、眼前にいるタコへの殺意の表れだ。

 黒蛸の黒く丸い瞳が赤に輝く。瞬間、地にへばり付いていたタコモドキ達が一斉に碧狼に飛びついてきた。


「なにを――ッ?」


 それらは連携するようにペタリと碧狼の両腕にしがみつくと、一本の縄のように触腕を繋ぎ合わせて大地に繋ぎ止めたのだ。まるでタコの形をした錨だ。

 この程度、とリシティは振り切ろうとするがタコの吸盤の力強さは馬鹿にはできない。ましてや本来の生物よりも進化しているであろうそれは、二倍以上の大きさの狼男の動きを抑制するには十分だ。


「あれらは我が眷属だぞ? 造作も無い」

「……ならッ!」


 リシティはレバーにある引き金を指で引き続ける。元来は口から電撃の粒子砲を放つ引き金であるが、その電光エネルギーは工夫次第では全身を纏う事も可能だ。

 たてがみに走る電撃は碧色の装甲を伝って、張り付いた元人間へと到達する。たとえどんなに王の意志が絶対でも、生物にとって電気は天敵――ましてや機械となってしまった彼らにその一撃はあまりにも強力の一撃となる。


「光の爪だッ」


 引き剥がれた瞬間、レバーにある三つのスイッチを同時に押して、狼男の光の爪をおおっぴらに開放する。熱量を有したそれは、立ち塞がる黒蛸の数種に渡る触腕を鎔かし破壊していく。


「なぜだ……なぜ怒る? なぜ同胞を殺す事ができる!」

「…………」

「なぜ? 私は確かに遺伝子に沿って己が本能に従っただけだ。それこそが間違いではないと、そうであるであろう、同胞!? 私は、間違ってなどいないはずだ!!」


 黒蛸は破壊されていく自らの腕を見つめながら、接近してくる同じMエムHエチMエムである碧狼にそう嘆く。

 リシティは想う。確かに、このタコの遺伝子を受け継いだ黒きMHMは間違ってなどいない。彼はあくまで、自分の中にあった生物的本能に従っただけなのだから。人間が、道具を使って、動植物を喰らって、水を飲んで生きるように――この黒蛸も、自分の住まう世界を構築するためにこの惨劇を行ったに過ぎない。

 この行動を咎められる者はいない。世界はかつての姿ではないのだ。とっくの昔に人間は捕食される側であり、当然の帰結なのだ。


「だけど――」


 リシティは苦虫を噛むように唇を歪ませて想うのだ。それでも、知能を有さない人間は様々な文化を生み出したのだ。それを喰らう物を許すわけにはいかない。

 だが、このタコは知能を有していた。彼が同情を覚えたのは、それゆえだ。黒蛸もまた、知能を持ってしまったがためにその命題にぶつかる――なぜ、同胞に殺されないといけないのか。


「もう、世界は変わるんだからッ!!」


 リシティの激昂に合わせてエメは黒蛸へ飛びかかる。タコは攻撃を受け止めようとするが、動かせられる腕はもはや満足な長さを持っておらず攻撃を妨げる事はできない。

 碧狼の爪が簡単に黒蛸の巨大な胴体を貫く。黒い破片が飛び散る。中身は酷く色んな物が詰まっていたが、それらは生物のそれではなかった。彼は――機械であった。


「――放射ッ!」


 全身に纏った電光エネルギーが放たれる。腕を伝って爪に伝うそれは、MHMにとっては天敵であり、それが内部から広がるのだから堪ったものではない。

 事実、言葉が解り話す事も出来るタコにとってそれは、終わりを意味する。


「ガガガガガガガガガガッガガッ――コ、コトバッ、キエ――ジジジジジヂヂヂヂ」


 その断末魔がリシティにはとても辛い物であり、無意識のうちに肉体のある操縦席の彼は荒い息を吐き始めていた。目の前で大事な誰かを殺しているような、もしくは未来の可能性の一つ貶めているような――自分の中にあった大切な何かを明確な形で壊しているような気がして。


「リシティ、解除するね」


 エメが、そんな彼を気遣ってか、彼の聴覚と視覚、触覚さえも碧狼から解放した。リシティは嗚咽を漏らしながら、光を取り戻した瞳を閉じた。

 男の絶叫がコックピットの中で叫び響いた。



――――――――Next――――――――



 全てが終わった後、碧色の狼男は封じられた水源にある石を排除した。

 湧き出すのは黒色のタコモドキ。地下水すら汚染されたのか、それとも水などもはやないのか――リシティはこれからの事を考えて、それら全てを電撃で排除する。国中にいる全てのタコモドキもそうだ。もう、彼らの王はおらず、眷属であった彼らに未来はない。

 長く続いた命を、真実も知らずに殺す。それが一番、良いと感じたのだから。


「なんで、リシティは一人で戦おうとしたの?」


 国を去る中、エメの質問が僕の耳に響いた。碧狼に繋がっており、未だにいつもの自由奔放さを取り戻していない。リシティの意見をどうしても聞きたいのだろう。

 リシティは三角座りをしながら、俯いて呟く。


「……それが僕の役目だから。エメの手は汚したくない。エメは、あんな事に関わってはいけない」

「それは……我儘だよ」

「かもね。僕のエゴだ」


 エメが悲しくリシティの本質を言い当てる。リシティと言う存在を見てきた彼女にとって、リシティは自分を過剰に護る性格だと言うのは理解している。でも、彼女もまたリシティの力になりたいと思うのだ。


「リシティも、私に頼って。私は、リシティと同じ旅をしたいの。リシティも、私と同じだから」


 その告白に、リシティは答えを返す事はできない。

 それを答えるだけの答えを持っていない。自分の中で曖昧になっていた旅の目的。それを、あの黒蛸を見て想い起されてしまったのだから。

 だが、それも全て彼女のため――この世に生を受けた彼女のためなのだから。そう、自分の心の中で何度も呟いた。




―――――――Next Destination―――――――




「お、お腹が……お腹がァ……」


「くぅ……くぅ……へにょーん」


「どうぞ。コーヒーは大好物なのですよ」


「生きるためだろ。大丈夫、コーヒーの代金分は戦うさ」



     外人―Weirdo Android―



「それじゃ、私達はここで生きていきますので」

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