三話 眠れる神の器
次に目を覚ますと、僕がいたのはベッドの上だった。
とはいえ、意識は微睡の中。
あんまり寝起きがよくない僕としては、このまま覚醒せずに十分以上ぼうっとしていることも珍しくない。
……でも、今回ばかりは話が別。
だって、あまりに自分の部屋とは異なりすぎたのだ。
全身を包み込むのはマシュマロのようにもっちりとした掛け布団。
絹で出来たシーツの肌触りは滑らかで、まるで素肌を優しく撫でられているよう。
一方、マットレスはどこまでも体重を柔らかく受け止め、身を任せていれば、どこまでも沈んで行ってしまいそうな錯覚すら感じてしまう。
悲しいかな。
あまり裕福ではない僕としては、このように上質な寝具に触れるなんて生まれて初めてのこと。
染みついた貧乏性により意識が急速に覚醒し、必死に記憶を手繰り寄せる。
確か、僕たちは女神様の前に呼び出されて、死んだと伝えられて――
――そうだ。
異世界へと転移したんだった。
転移する直前、女神様は言っていた。
僕たちが向かうのは『ルフェリア』なのだと。
『ルフェリア』。
それは、TRPG、『ブレード・ファンタジー』の舞台となる世界のはず。
……空想の世界が実在するなんて、本当なんだろうか。
少なくとも、ここがあの女神様のいた空間と違うのは間違いないようだけど。
むくりと起き上がり、周囲を窺ってみる。
生憎、ベッドにはシルクの天蓋が備え付けられていて、周りははうっすらとしか確認できなかった。
それでも、僕以外の人影はないのは確か。
……真一や真紀ちゃん、健斗くんといった、一緒にこの世界へと来たはずの友人たちもだ。
どうしたことだろう。
僕は、てっきり全員が同じ場所に飛ばされるものだと思い込んでいた。
何かあったのではないか。
少し、心配になる。
だけど、考えていても仕方ないのも事実だった。
もしかしたら彼らは別の部屋にいるのかもしれないし、そうでなくてもここの家主が何か知っている可能性もある。
情報が欲しいなら、自分から動くべきだ。
右も左もわからない状況で下手に動き回るのは得策とは言えないかもしれないけど……。
この場に限っては安心していいだろう。
根拠は、今、僕が身を置いているベッド。
見る限り、VIP待遇でさえあれど、敵意は感じられない。
ある程度の無礼は好意的に見てもらえるだろうし、情報を引き出すのは難しくないはずだった。
考えをまとめ、天蓋を抜け出る僕。
すると、その視界に、備え付けられた小さな手鏡が入ってきた。
……そういえば、現在の姿を確認しておくべきかもしれない。
あのとき、女神様は『あなた方の
どういう意味なのか。
それを確かめるためにも、僕は一瞬だけ視線をやって――
「え……?」
驚きのあまり足を止め、鏡に釘づけになっていた。
◆
……そこにいたのは、僕と同じ年ぐらいの一人の女の子だった。
特徴的なのは紅蓮の長髪か。
燃え盛るようなそれは、燭台の僅かばかりの明かりしかないこの部屋でも輝いている。
どうやら、彼女は寝起きらしい。
髪は乱雑に流されていて、ところどころ寝癖のまま。
でも、それが美しさを損なうことはない。
それどころか、少女の愛嬌を増す働きをしているようにすら感じられた。
視線を少し下に落とせば、そこには豊かな膨らみが。
恐らくは同年代の少女と比べてもかなり大きめだろう。
だというのに服装は薄い布きれのようなピンクのネグリジェ一枚。
少女ゆえのあどけなさと、女性特有の柔らかさ。
相反する要素を併せ持つ、淫靡ともいえる肢体に、思わず僕は見惚れてしまいそうになる。
慌てて振り向いた。
でも、誰もいない。
もう一度、視線を鏡へ。
すると、少女も同様にこちらを見やる。
金色の瞳が驚きに揺れていた。
「……この女の子って」
トドメを差したのは、涼やかなソプラノボイスだった。
少年のものより幾分高い、鈴の音のような少女の声。
それが僕の口から発せられたのだから、何よりも答えを物語っているのだろう。
「冗談……だよね……?」
縋るような、願い。
……多分、ただ女の子になってしまったというだけなら、ここまで驚いたりはしなかった。
だって、この姿なのは元の世界に戻るまでなのだから。
それまで我慢していればいい。
では、何故ここまで慄いているか。
それは、僕がこの少女の名前を知っているからだった。
イナンナ。
僕たちが死ぬ前にプレイしていたTRPGに登場した、依頼主のNPCの少女だ。
全ての身体的特徴が、キャラクターシートに書いておいたイラストと一致している。
小神を信仰する魔導剣士(ルーンナイト)の巫女――。
あの時、僕は真一にそう説明した。
だけど、ゲームマスターとしてシナリオを作り上げた僕だけが知っている。
――その姿は真一たち、プレイヤーを騙すためのものでしかないのだと。
彼女が所属している神殿が崇めているのは小神などではない。
もっと悍ましく、そして名状しがたき者。
イナンナの真の正体。
それは、生まれながらに邪神の一柱、 アスタロトをその身に宿した、人の姿をした『邪神の器』。
カンスト間際の友人たちに相応しい強敵として用意した、今回の連続シナリオのラスボスなのだった。
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