第22話 治したはず…

 同級生の母親が数年前から入院していた。

 知ってはいたのだが、まぁ興味も無かった。


 だが…6年生に進級して間もなく、その母親の容体が良くならないことを聞いたのだ。

 誰に言われたわけでもない…僕に、そんなことを言うヤツはいない。

 能力を、ひけらかさなくなった今でも、僕のことを異質な存在として本能的な怖れている同級生がほとんどだ。

 本当の秘密というものは、他人に軽々しく話せるものではないらしい。


 そんな、ある日…。

 その同級生が授業中に教務員室に呼ばれた。

 みんな、解っていた。

 おそらく母親が……。


 その日、同級生は先生の車で病院に連れて行かれたようだった。


 僕は、放課後その病院へ向かった。

 正義感ではない…ただ…席を離れていくときの同級生の表情が、僕を突き動かしたのだ。

 僕は自分の母親でも同じことをしただろうか?


 病室は?

 看護婦さんに聞いても教えてくれない……。

 僕は、病院中を走り回った、同級生を探して、病室も1室ずつ名札を確認して回る。

 とにかく焦る…焦っていた。


 汗が額から廊下へ零れるころ、同級生を見つけた…。

「おい…大丈夫なのか?」

 同級生は無言で首を横に振った。

 なぜ?僕が病院にいることについては聞かなかった。

 ポツリ…ポツリ…と母親の容体を話し始める同級生。


 もう…長くはないみたいだ…。

 医者が彼に言うとは思えない…おそらく、父親が、彼にそう告げたのだ…覚悟を促したということだと思う。

 小学校6年生に…覚悟を促すほど、状況は悪いということだ。

 彼には、まだ幼い妹がいる。

 彼の母親は、その子を産んでから、体調を崩したのだそうだ。


 そんな話が途切れて…床を見ていた僕が、彼の方を見ると、彼は涙を浮かべて、僕に言ったんだ。

「助けてくれよ…お前なら出来るんだろ?」

 そう言って、彼は泣きだした………。


 僕は、黙って集中治療室に入った。


 治療器具が取り付けられた彼の母親…生きているというか…死なせないだけというか。

 僕には、生きているように思えなかった。

 この世と、あの世を機械で繋ぐ不自然さを感じた。


 僕は、やせ細り何本ものチューブが突き刺さっている青白い手をそっと握った。

 この手はうつわ…魂を一時的に入れておくだけの容器。

 そんな気がした…マネキンに触れているような錯覚に陥る。


 小学生だった僕にも解る。

 命が抜けていく寸前の身体、それは言葉を知らなかった当時の僕が感じた感覚。

 迫りくる死神の感触。


 僕は、祈る様に…連れ去られようとしている魂を引き留めるように手を握った。


 そして…………。


 彼の母親は、数か月後に退院した。


 若返って…病魔に侵されて30代には見えない程、やつれていた母親は、20代前半と見間違えるほどに若返っていた。


 問題は、記憶だ。


 母親は、自分の息子を認識できなかった。

 娘など産んだ覚えもないと言い張った。


 自分の旦那ですら、急激に老けたと嘆いた。


 病魔に侵される前まで戻したのだ…実際、彼女の記憶の中では息子は、まだ幼稚園の園児だったようだ。


 見知らぬ小学生が自分を母親だと言う。

 産んだ覚えのない子供にお母さんと呼ばれる。

 旦那は突然、一回りも年上のように老けている。


『記憶障害』


 実は違う…彼女の時間は失われたのだ。

 記憶は経験の残像だ。

 経験していないことは記憶に残らない。

 当然だ。


 彼の家族は、あっという間に崩壊した。


 母親は、実家に戻ったまま帰ってこなかった。


 母親の入院費・住宅ローンで借金が膨らんでいたようだが、彼の父親は、その後、酒に女にと、お決まりの様に堕落して、街を離れた。


 彼は、転校していった。

 最後に、彼は僕に

「ありがとう」

 と言った。


 たとえ自分を息子だと認識できなくても…彼にとって母親が生きている。

 そのことが大事だったのだろうか。


 しばらくして、彼の家の事情を知った。

 そのことを知ってから、初めて気づいたのだ。

 僕の能力は、『治す』のではない。

『戻す』のだと…。

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