第9話 Wrist watch 

 いつからだろう…私は腕時計を持ち歩いている。

 男性ものの腕時計。

 BVONOヴィボーノ…シルバーとブラックのシンプルな時計。

 どこかで見たことがあるようなデザイン。


 高そうにも見えるが…そんな高価な腕時計を持っているわけがない。


 その時計は、病室の枕元に置かれていた、いつのまにか……。


 パパのかと思っていたが違うらしい。

 お見舞いに来た誰かが忘れていったんじゃないか…。

 パパは、そんなことを言っていたが…思い当たる男性はいない。

 そもそも、病室で時計を外すって…どんな状況なのだろう?


 それに…訳も無く、この時計を見ていると安心する。

 落ち着くと言ったほうがいい。


 この時計は退院してからも鞄に入れて持ち歩いている。

 結局、誰も取りに来なかったし……。


 だから、この街に来た時も、ことあるごとに握っていたのだ。

 ポケットに入れて。


 幾度か落っことして、傷を付けてしまったけど……今はキレイに戻っている。

 不思議な青年だった。

 確かに壊れたはずなのに……。

 奈美は時計の表面を指でスッと撫でる。

 BVONOの文字が刻印された銀の表面を幾度が押すようにグリグリといじる。


 どういう意味なんだろ?


 スマホでBVONOで検索してみると、この時計のブランド情報が並ぶ。

 続けて、意味とワードを追加すると、イタリア語で『素晴らしい』という意味だと解る。

 読み方も『ヴィボーノ』ではなく『ボーノ』だと知り、ちょっと恥ずかしくなる。


『素晴らしい』


 クスッと笑って、時計をはめてみる…少しゆるい、手首でクルクルと回ってしまう。

(誰の時計だったんだろう)

 自分の腕には大きいサイズの時計だ、でも、持ち主も男にしては細い手首。

 あるいは女性、と思ってしまうくらいバンドは詰められている。


 そういえば、あの青年も細い手をしていたな……。

 白くて、細くて、長い指。


 そして…時計を両手で包んだときにぼんやりと光った……。

 あの暖かい光を知ってる…。

(時計を貰った時も…見ていたはずよ…)


 病室で…貰った…時計…素晴らしいという名の腕時計………。

 アタシの時計…大事な時計…。


(誰の時計………だったの……)


 奈美の心の奥がトクンと動いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る