第8話 丘の見える部屋

 僕のアパートから丘が見える。

 奈美が病室からいつも眺めていた丘。

 雨の日も…晴れた日も…奈美は丘に行きたいと言っていたことを覚えている。


 違う土地に来ているのに、彼女にしてみれば田舎の病室から少し都会の病室への移動でしかなく、変わったのは窓から見える景色だけ…彼女は、この街を四角く縁どられた範囲でしか知らない。

 絵葉書のフォトに写された海外の景色を見ているのと変わらないのかもしれない。


 見えるけど…触れられない場所…歩けない場所。

 彼女にとって窓から見える、あの丘は特別な場所なのだろう。


 きっと、希望とか…あるいは絶望とか…憧れとか…現実とか…、そんな日々揺れ動く気持ちのすべてを、窓を通して、あの丘に……。


 アパートの窓から見える丘…月に照らされ、金緑に輝いて見える。

 丘を挟んで病院の反対側にある狭いアパートを借りた。

 奈美が見ていた丘の反対側。


 180度視点が変わっても何が変わるわけでもない…景色。


 奈美はあの丘に行ったのだろうか…。


 シャワーを浴び、コンビニの弁当を食べる。

 とくにやることも無く、ただ窓から月が照らす丘を見ていた。


 気づけば真夜中。

 僕は部屋を出て、階段を音を立てないように降りた。

 外の空気は夜特有の香りがする。

 真夜中の散歩には、いい空気だ。

 月に呼ばれるように、僕は丘に向かって歩いていた。


 丘の上に立って、自分の住んでるアパートを眺める。

 電気は付けっぱなしで出てきたみたいだ。

 そういえば、鍵はかけたかな?


 丘の上にあるベンチに腰かけて、病院を眺める。

 奈美が居た病室はあの部屋だったな……病室は消灯時間を過ぎて、暗くてよく解らないから多分だが。

 僕は、途中で買ったミネラルウォーターを一口飲んだ。

 誰もいない丘の上、奈美がどのあたりに住んでいるのかは知らないが…まばらに灯る、街の光のどこかに奈美がいる。


 僕は、ひとつずつ目で灯りを追う。

(奈美…キミはこの丘には登ったかい?)


 きっと奈美もここから、街を眺めたのだと思う。

 僕と同じように、ここに立って街を見渡して、僕のアパートも見たのだろう。


 僕が住んでることも知らず…いや、そもそも僕のことも知らず…。

 ミネラルウォーターを飲み干し、ゴミ箱へ捨てる。

 ゴミ箱には、商店街にある肉屋の紙袋が畳まれて捨ててあった。

(あ~あそこのコロッケ…食べたいな…)


 おやすみ…奈美。




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