亡霊は魔王の娘に真実を告げる
ベラナベル様は、魔王の娘としては優しすぎる。
当然である。ベラナベル様は、そもそも魔王の娘ではないのだから。
「今まで、騙しててごめんなさい」
ベラナベル様は、ささくれ立った船の足場に座し、額をつけられた。土下座、即ち服従の姿勢である。
しかし、我には理由が思い当たらぬ。ベラナベル様は、何に怯えておられるのか?
「わたしは死んでも構わない。わたしにできることなら、なんだってする! だから、だからっ!!」
魔王の娘らしからぬ、いや、亜人として最低限の尊厳さえも投げ打った、なりふり構わぬ振る舞いである。
魔王の娘らしくはないだろう。
しかし、実にベラナベル様らしい。
時に己を犠牲にしてでも、他を優先するベラナベル様のお姿は、常に美しい。
「お願い……あの子達には、手を出さないで……」
なるほど。つまりは、こういうことだ。
ベラナベル様はこうお考えになった。ご自身が魔王の娘でないことを告げれば、我が忠義を尽くす必要もなくなる。勇者に対峙し、無駄に命を散らせることもないだろうと。
しかし、我がベラナベル様の手を離れれば、『彼ら』に危害を加える恐れがある。そのことに、ベラナベル様は言葉の途中で気づいてしまったのだ。
我と『彼ら』のどちらかを選ばねばならない。共に救う選択肢は、ベラナベル様は持ち合わせておられないのだから。
「顔をお上げください、ベラナベル様」
苦渋の決断だったであろう。
己の保身をまるで考えていないところが、実にベラナベル様らしい。
やはり、頃合いである。全てを打ち明ける時が来たのだ。
「ベラナベル様は、魔王について、どれほどのことを知っておられますか?」
「……何も。だって、会ったことも、見たこともないんだもの」
「では、かいつまんでご説明致します。そもそも魔王の座は、親から子に継がれるものではないのです」
すっかり涙で濡れた美しい顔が我を見る。かなり面食らっている様子である。くしゃくしゃの顔でも判別がつくほどに。
「我も実際に見たことはないので詳細は分かりませぬが。深い悲しみを宿す魂を糧に、魔王は蘇るのです。二年前に勇者が討った魔王ギール様は、一体何代目か。オリジナルはそれよりずっと前の時代に、別の勇者の手によって倒れています」
「ちょっ……ちょっと待って」
ベラナベル様は我の解説を制止なさった。一番大切なことは理屈ではないと、ベラナベル様は知っている。
「バルドスは、最初から知ってたの? わたしが、魔王の娘じゃないってこと」
「はい」
「じゃあ、なんで……どうしてわたしみたいな、ただの小娘に」
脳裏に――と言っても、我に脳はないのだが――ベラナベル様と出会った時の事を思い浮かぶ。あれも、およそ二年前。魔王ギール様が勇者と相討たれ、我は死に場所を求め彷徨っていた。そんな折、ベラナベル様と偶然出会ったのである。
「最初は純粋な興味でした。魔王ギール様の威を借る狐が、いつ尻尾を出すかと。それを間近で探るべく、我はベラナベル様に近づき、騙されている振りをしたのです」
あまりに無礼な振る舞いをするならば、その場で叩き切ってやろうとさえ考えていた。出会ってから、ほんの数日の間だけは。
「尻尾に関しては、まるで隠れていませんでした。甲斐甲斐しく『彼ら』の身の回りの世話をし、眠りに就けば次は食材を調達し、時に自らの食事さえ分け与えてしまう。ベラナベル様の振る舞いは、魔王ギール様とは似ても似つかないのです」
魔王ギール様は力による支配を行っていたが、ベラナベル様は対照的だ。力を振るわないどころか、そもそも力がない。しかし、補って余りあるほどの優しさがある。
「ベラナベル様は、魔王の娘としては優しすぎます。それは美徳です。ベラナベル様は、我の命を預け、斧を振るうに値するお方だと実感しました」
「……そっか」
ベラナベル様は、諦めた。へたりと力なくその場に座り込んだ。
「一応、切り札のつもりだったんだけどな。けど、止められないんだね。わたしが魔王の娘じゃなくなっても、バルドスは止まってくれないんだ」
「我がベラナベル様に忠誠を誓うのは、ベラナベル様が魔王の娘だからではありません。『彼ら』や我に接するベラナベル様のお姿が、美しいからです」
ベラナベル様の幼子のようなか弱い手を取り、立ち上がらせる。すっかり力の抜けたベラナベル様は、まさしく年相応の乙女であった。
「それに。ベラナベル様は立派な魔王の娘です」
「えっ?」
だが、それでは困る。
ベラナベル様と本物の魔王に縁があるかどうかなど、我のように、魔王の事情に詳しいごくごく一部の者しか知りえぬこと。
誰にも判別つかぬのならば、真実なんぞに意味はないのだ。
「『彼ら』にとって、ベラナベル様は第二の母であり姉のような存在です。人間どもにはその首に賞金をかけられ、かつて魔王の忠実な僕であった騎士を従えている。これが魔王の娘でなくて、なんだというのです」
確かにベラナベル様自身には、力はないかもしれぬ。
しかし。ベラナベル様の今日までの行いは、ベラナベル様を魔王の娘たらしめる。
「ベラナベル様は、生きて、使命を果たしてください。魔王の娘として」
守るべき未来がある。
我にも、そしてベラナベル様にも。
「……分かったよ。ありがとう、バルドス」
冷たい鎧に、ベラナベル様は幼子のように抱きついた。
「でも、少しだけ……今だけは、普通の女の子でいさせて」
「御意」
金属の手で、潮風にさらされ痛んだ髪を撫でる。ベラナベル様の心臓が跳ねるたび、ベラナベル様が嗚咽を漏らすたび、腰につけた鈴が小さくしゃりんと鳴る。
我に肉体があれば、暖めることもできただろうに。
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