亡霊は魔王の娘の命令を聴く

「次の月曜日の朝から土曜日の朝までの五日間、伝説の勇者が蘇る。天より啓示を受けたと、人間の王女が公布しておるのじゃ」

「あり得ませぬ。死者が蘇るなど」

「くくっ。亡霊のお主がそれを言うか」


 笑い事ではない。仮にそれが事実なら、我らにとっても人間や他の者にとっても一大事である。

「確かに、我がどうしてここに存在するのか、理屈は分かりませぬが。魔王も居らず、二年も経った今になって、何故――」

「わらわにも理屈は分からぬ。じゃが、大事なのは理屈ではなかろう。王女の狂言であればそれに越したことはないが、今は最悪の事態に備えるべきじゃ」


 ベラナベル様は、常に現実を、そして未来を見据えておられる。

 例えそれがどんなに過酷で、険しい道であろうとも。

「バルドス。童たちのこと、お主に任せる。もし勇者にこの隠れ家が見つかりそうになったら、お主は童たちと共に逃げるのじゃ」


 指名手配までされているというのに、自分の身の心配より『彼ら』を優先なさるとは。

 ベラナベル様は、魔王の娘としては優しすぎる。


「ベラナベル様はどうなさるのです」

「わらわは魔王の娘ぞ。父には及ばぬが、戦いには自信がある。勝てなくとも、時間を稼ぐくらいは出来るじゃろう」

 ベラナベル様は、魔王の娘としては優しすぎる。致命的に。


「お断りします」


 聞けるはずがない。

 我の使命は、ベラナベル様と『彼ら』をお守りすることだ。どちらか片方ではない。『彼ら』を守る為にベラナベル様を犠牲にしては、何の意味もない。


「先程も申し上げた通りです。どんな相手が来ようとも、我はベラナベル様をお守りします」

 ベラナベル様の凛凛しい視線が我の鎧に突き刺さる。静かに燃える怒りを携えて。


「バルドス。勇者は魔王と相討ちになった、すなわち魔王と同等の実力者じゃ。お主は勇者より、かつて仕えた魔王よりも強いというのか?」

「勝てる相手だから挑むのではありませぬ。望みが薄いからと主君を置いて逃げるなど、それこそ騎士の名折れです。多少の実力差など、覆してみせます」

「無駄じゃ。お主では時間稼ぎにもならぬ。犬死にするくらいなら少しは役に立て」

「断固としてお断りします」


  ベラナベル様が何を述べようとも、譲るわけにはいかぬ。

 我には、守るべき未来がある。

「お主は魔王の娘たるわらわの命が聞けぬと申すか! お主の魔王への忠誠心はその程度のものか!?」

「お言葉ですがベラナベル様。命令を忠実に実行することが、忠義を示すことではありませぬ。常に我が主のことを考え、時に命に背いてでも行動することが、我の忠義です」


 仕方がない。ベラナベル様は固い意思をもつお方。言葉で説得するのは不可能である。

 ならば、手段は一つしかない。


「どうしてもと言うならば――力ずくで、我を止めてください」

 実力行使。人間も亜人も魔物も、対立する者同士の間ではしばしば用いられる方法である。


「本気か、バルドス?」

「冗談に聞こえますか?」


 互いに黙したまま、しばしの時が流れた。

 再び口を開く前に、ベラナベル様は一度大きく深呼吸し、喉と心を調えた。


「お主の実力は理解しておる。半端に手を抜けば、わらわの身が危ないじゃろうな」

 ベラナベル様は我の宣戦布告を真摯に受け止め、一言一句丁寧に返してくださる。

「やるなら手加減は無しじゃ。魔王の娘の本気を受けて、無事で済むとは思うまいな。事と次第によっては、二度と武器を振るえなくなるぞ」


 ベラナベル様が選ばれたのは、言葉による威圧。

「それでも、やると言うのか?」

 そして、説得。


 しかし、関係がないのだ。ベラナベル様の強さなど、問題にならない。

「ベラナベル様に、出来ますか?」

 何故なら。

「ベラナベル様に、我を傷つけることが出来ますか?」

 ベラナベル様は、魔王の娘としては優しすぎるからだ。


「……無理に……決まっておろうが……っ」

 諦めと、自身の力不足を嘆くような苦悶の表情と。

 ベラナベル様は感情豊かなお方であらせられる。その表情は感情によって変化し、感情は他への思い遣りによって変化する。

 故に、ベラナベル様はいつだって美しいのだ。


「話は終わりです」

 我は雑務に戻る。食器をシンクに移し、洗う。早く済ませて警護の任に戻らねば。まだ勇者の復活まで時間があるとはいえ、他の敵の脅威はいつも通りにある。押し問答をしている暇はないのだ。



「待って!」

 ベラナベル様の声。

 しかしいつもの古風な口調とは、いささか異なる。

「待って、バルドス! 、本当はっ!」


 それはまるで、若い生娘のようであった。

 振り向くと、ベラナベル様は青い顔をされていた。いけないことを口走ってしまったと、後悔しているようであった。

「な……なんでも、ない……」

 苦痛と恐怖が幾重にも折り重なり、ベラナベル様にのしかかっている。幼子のような体で背負うには、抱えているものがあまりに重すぎる。

 美しい。そう感じるのは、不敬であろうか。



 丁度良い頃合いかもしれぬ。

 真実を明かすには。



「わたしは本当は、魔王の娘ではない――で、ございますか?」

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