亡霊は魔王の娘を持ち上げる

「どうじゃ?何が書かれているのじゃ?」

「…………」

「黙っていては分からぬであろう。声に出さぬか。」


 ベラナベル様は好奇の目で我を見ていらっしゃる。どうやら、内容については一言も知らされていないらしい。


「ベラナベル様。この日記は、本当に聖職者の書いた物ですか?」

「くくく。どうやらよほど可笑しな事が書かれていたと見える。気遣いは不要じゃ。読み上げよ」

「御意」

 我は、ベラナベル様の命に従う。


「……えっ?」

 唖然、いや、呆然と形容すべきか。ベラナベル様が幼子のような瞳を瞬かせた。

「初日の内容は、以上です」

「ま、待て。バルドス。冗談じゃろう?」

「わざわざ偽りを述べる意味がありますか?」

 ベラナベル様は我の手から日記帳をぶん取り、自らご確認なさる。

「……そうか。真か」

「この日記帳が本物ならば、ですが」

「疑いたくもなるが、紛れもなく本物じゃ」

「そのようで」

 ベラナベル様の反応を見れば、悪戯の類いでないことは分かる。サラという聖職者が、よほどの悪女でなければだが。


 ベラナベル様は視線を、奥の小さな洞窟へ――『彼ら』がぐっすり寝ている、隠れ家へと移す。

「そうか。サラもあの子らと同じ、孤児だったのじゃな」

『彼ら』は、先の戦で親を失った、俗に言う戦災孤児である。

 単に親を失っただけなら、人間なら人間に、魔物なら魔物に保護される。『彼ら』がどちらも選べなかったのは、『彼ら』が人間と魔物、両の血を引く、亜人と呼ばれる種族だからだ。

 亜人の中には、人間と交流する民族もある。深い森の奥に住む『森人』や、溶岩の流れる鉱山に住む『穴民』がそれだ。そして、『彼ら』はどちらにも属さず、どちらとも相容れぬ。

 人間、森人、穴民、魔物――どのコミュニティにも自身の居場所を持たないのが、『彼ら』なのだ。


「サラが孤児だったからこそ、『彼ら』に理解もある、と」

「かもしれぬな。それを幸運と喜べるほど、鈍くはないが」

 ベラナベル様は日記帳を閉じられた。読むなと言われた所以は充分に理解した。

「バルドス、礼を言うぞ」

「礼ならサラに」

「とうに何度も伝えてある……が、次に会った時は、少し意味を改めるとしよう」

 我はサラを知らぬ。だが、ベラナベル様の事はよく知っている。

 ベラナベル様は、『彼ら』に注ぐ際限無き優しさと、現実から決して目を背けぬ強さを兼ね備えたお方であらせられる。

 魔王の娘として、これほどの適任は他に居ない。


 感傷に浸る間も無く、ベラナベル様はいつも通りの澄ました顔に戻られた。

「さ、バルドス。朝食の準備じゃ。今日も任せたぞ」

「御意」

「日記は船に隠すのじゃ。くれぐれも、童たちの手の届かぬ場所にな」

「いっそ棄ててしまっては?」

「バルドス、わらわの話を聞いておったか?」

「すみません、耳の調子が悪かったようで」

「亡霊のお主に耳があるとは、初耳じゃのう」

「む、これは一本取られました」

「それほどでもないぞ。言葉遊びは騎士には難しいか?」

「ベラナベル様には劣ります」

「さっきから気になっていたが、お主、どこでそんなおべんちゃらを覚えたのじゃ」

「はて、なんのことやら」




 日記帳の年季を見るに、サラの両親が亡くなったのは、件の戦争よりも前だろう。

 やがて戦争が起こり、多くの人間と魔物、そして『彼ら』の親族が戦渦に飲み込まれた。

 そして、二年前。戦争の終わりに、魔王ギール様が勇者と相討たれた。


 ベラナベル様は、魔王ギール様の娘を名乗っておられる。

 帰る場所がないのは、ベラナベル様とて同じこと。


 我にさえ明かさぬ、一人孤独に抱え込む思いを、少しでも軽くする。ベラナベル様にお仕えする、我の務めの一つである。

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