エピローグ

 帰り道。百物語という当初の企画はどこへやら、結局はタコパという名の酒盛りになってしまった。なし崩しに解散となった後、アパートの近い彼と共に街灯に照らされた道をふらふらと歩く。


「ったく、夏の夜に男二人でよたよたと……悲しい帰路だなぁ」


「……そうだな」


 適当に相槌を打つ。僕は下戸だからあまり飲まなかったが、彼は浴びるように飲んでいた。なんでも、喧嘩した彼女と音信不通なんだと。


 しばらく沈黙が続く。


「なぁ」


 体が強張った。理由はわからない。


「お前の彼女、元気にしてるか?」


 冷や汗が背筋を舐めた。街灯がバチッと音を立てる。


「なんだよ、いきなり。てか、急に止まるなよ」


 彼の目は据わっていた。酔っぱらっているからではなさそうだ。また、街灯が音を立てた。


「……なんで、そんなことを聞く?」


「いや、俺、お前の彼女の名前も知らないなーと思って」


 そう、だっただろうか。名前くらい教えた気もするのだが。


「……彼女とは、別れたよ」


 彼の目がすっと細まった。


「そうか……で、名前は?」


「名前?」


「別にいいだろ? 元カノの名前くらい」


 今更、名前など聞いてどうするつもりか。別に減るものでもないが。そう思いながら彼女の名前を告げようとした。


「……?」


 しかし、言葉は出なかった。街灯が一瞬消えた。


「なぁ、お前さ、二週間くらい前に俺に電話してるよな?」


 覚えがない。しかし、彼の突き出した携帯の画面には、確かに通話履歴が残っていた。


「俺さ、この電話の内容を覚えてないんだ。この日、お前は何をしていたんだ?」


 ぼんやりと思い出してきた。確か、近くのスーパーに買い物に行ったのだ。その帰り道に彼女がいた。誰かと口論していた。相手の顔は思い出せないが、男だったと思う。


 そして彼女は泣きながらこちらへ歩いてきて、僕に気づくとばつの悪そうな顔をした。そして僕は彼女に裏切られたと悟り、激昂して彼女を家に連れ込んだ。それからは……思い出せない。


 汗がひどい。シャツが水分を吸って気持ち悪い。


 街灯の明かりがまた消えた。今度はゆっくりと間をおいて、光が灯る。


「質問を、変えよう。お前、その日、何を食った?」


 全身が震え出した。歯の根がかみ合わない。そうだ、思い出した。あの時の喧嘩の相手を。僕が彼女にしたことを唯一知った奴を。その証拠を消す方法を教えてくれた奴を。電話越しに僕をそそのかした奴を。忘れられない、あの味を。


「お前、やっぱり、食っ――」


 街灯の明かりが、消えた。




 朝、目覚めると口周りに違和感があった。鏡を見ると乾いた血がついている。寝ている間に鼻血でも出たのだろうか。少し、テンションが下がる。

 

それはそうと、何故か無性にカツ丼が食べたかった。今日の昼飯は学食のカツ丼にしよう。


 あの、サクッ、ではなく、じゅわっ、とした至高を今日こそ堪能するのだ。よし、少し気が晴れてきた。


 そんなことを考えながら、僕は家を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

忘却のカーニバル 桑原 樹 @graveground

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る