黒幕




「──突然呼び出されて、どうかなされたんですか、勇者さん」


 夕食後、勇者さんの寝室に招かれたワタシたちは、ベッドに腰掛けた勇者さんの前に立って、彼を見ていた。


「もしや体調が優れないのですか? 無理もありませんわ……明日はこれまで以上に過酷な戦いとなるのでしょうから。風の精霊に癒しのハープを奏でさせましょう。朝までぐっすりお眠りになれますわ」


 長きに渡って回復役を担ってきた神官は、勇者さんが不安を感じて眠れないのだろうと思い、詠唱を始めようとしたが、それを勇者さんが止め、その代わりにと、こう言った。


「神官、君の得意な反射の魔法をかけてくれないか」

「え? 反射ですか?」

「そう。おれにではなくて、君が唱えて君に付与させるんだ」

「え? え……あの」


 神官の反応同様、ワタシもわけがわからず首を傾げてしまったが。

 リーダーの願いを拒否するわけにもいかず、神官は従順に銀色のサークルで自分を包み込み。


 物理の全てを拒絶する盾を纏った。


「これで……よいのですか?」


 しかし、これが一体勇者さんがワタシたちを呼び出したことと、なんの関係があるのか。


「明日で全部終わることだし。……少し、面白いものを見せてあげようかと思って」


 面白いもの?


 思った矢先、勇者さんは背負っていた黄金の聖剣を抜き出し、自分の手首を、躊躇することなく、切りつけた。


「勇者さん……!」


 神官が飛び上がったが。

 それは杞憂に終わった。


 勇者さんが傷つけたはずの腕には、傷はおろか痣すらもなかった。


 何故なら、肌と剣先の極僅かな隙間に聖剣と同じ色の粒子りゅうしが漂い、勇者さんの自傷を受け止め、無効化させていたのだ。


「これは……」


「聖剣の加護というらしい。聖剣に選ばれた者は、どんなに辛く苦しい旅路の中でもくじけてはならない。どんな絶望に直面しても、自らを失い、傷つけてはならない。それを防止し、いやおうでも勇者に使命をまっとうさせる……はじまりの村の者たちが安心するためのシステム。いわば呪いだよ」


「呪いだなんて、そんなこと、それは勇者さんが聖剣に選ばれた真の証。生きとし生けるものの願い、希望の体現ですわ」


 神官が困った表情で言うと。勇者さんは悲しそうに笑い。


「神官。君ならもしかしたら……わかってくれると思ったのに――」


 呟くと、神官の腕を掴み、強引に引き寄せ――聖剣で彼女の腹部を貫いた。


 襲い来るだろう激しい痛みに思わず悲鳴を漏らす神官だったが。

 腹部からおびただしい量の赤を噴き出したのは、攻撃した勇者さんの方だった。


 神官が自分に付加した反射魔法が効力を発揮したのだ。


「ゆ――勇者さん……⁉︎」

「やはり、この法則でなら……加護は発動しない」

「いけません‼︎ はっ、早く回復――」


 気を失いそうなほどに顔を蒼白にし、腕を振りほどこうとする神官に、勇者さんは薄笑いしながら首を振った。


 勇者さんの眼は据わっていて、とても悪ふざけをしている様子ではなく。ワタシたちはそこで、彼がなにを企てているのかを悟った。


「やめて……やめてくださいっ、なぜっ、……こんな――世界の希望であるあなたが、こんなことをするなんて、なにがあったというのですか……!」

「なにがあったって、なにというより、全部だよ……」

「全部……」

「君たちにはわからないだろうさ……おれが今まで、なにを考えて生きてきたか――」


 勇者さんは赤色をぶちまけながら、普段の彼と思えぬほどに、言葉を坦々と並べだした。


「ただ少し素質があるというだけで聖剣に選ばれ、生まれ落ちたその瞬間からにさせられて、魔王を倒せとか使命押しつけられてさ、逃げないように監視役つけられるどころか、なんで男となんか婚約させられなければならないんだよ…………。勇者は子孫を残すべからずなんて風習……そんなの、旅が終わっても勇者を縛りつけておけるよう、力を恐れる陰湿な村の大人どもが考えた嫌がらせだろ……おれがっ……戦士なんかと……夫婦めおとになるなんて、気持ち悪すぎてヘドが出る……おれはっ……神官、君のことを、愛しているのにッ――」


 勇者さんは、そう吐き捨てて神官の頬を撫でた。


「死ぬことも許されず、戦い続けることを望まれ、勇者だから頑張ってとか、救ってだとか……救われたいのはこっちなのに、みんながおれに当たり前のように期待する。なにが聖剣だ、なにが希望だ、なにが願いだ……。他人の命も、この世界も……おれにとってどうなろうと関係ない、どうだっていい――、おれは勇者になんてなりたくなかった。なりたいとも、ならせてくれとも望んだ覚えもない……ただ、普通に、暮らしたかった。それだけなのに…………それでももう、仕方がないと諦めていた、どうにもならないなら、旅をしていくしかないと思っていた。自分を奴隷だと認識することで感情が死んで余計なことを考えずに済むとわかったから……今までそうしてきた」


 けれど、一日前の出来事が、彼の死んだ心を動かしたという。


 あの日、勇者さんは魔王が仕向けた分身と、一人対峙し、なにかを話していた。


「おれは、あの時……この世界の《しくみ》に気づいてしまった」


 だからもう終わりにした方がいいと思った。


 この旅も。


 自分も。


 仲間たちも。


 そこまで言って勇者さんは、再び神官の腰部を聖剣で攻撃し、そのありったけのダメージを身に刻んだ。


 神官は、受け止めきれない光景の連続に、今度こそ意識を失い、床に崩れた。


「滅びればいいこんな世界……。勇者だけに全てを押しつけのうのうと生きている人間たちも、君たちもだ……。なにも疑わず、本心も見抜けず、依存して、崇拝してきたんだ。時戻ときもどしと忘却の魔法で演出された勇者の死を目の当たりにしても、誰も当の本人がをしただなんて思えないだろうね。……なあ、そうなったら、なにが起こると思う、ものまね師……」


 ワタシは声も出さず首を何度も横に振った。


 そうなったら、いるはずのない犯人探しをすることになる。


 いるはずのない犯人がみつかるまで、犯人を探し。


 かなめである勇者さんが死んだことにより、絶望に呑まれ、あるいは自棄をおこす者が出て、疑心が膨らみ、ぶつかり合い、悪ければ――。


「おれも見たかったよ……みんなが潰しあって、壊れていくところ」


 想像して、ぞっと背筋が凍った時。


 勇者さんは一番最初に出会った頃の、眩しい笑顔で、気絶した神官の胸部に聖剣を立て、思い切り突き刺した。


 今までの比ではない。

 神官が背負うはずの致命傷が、勇者さんに跳ね返されて。


 笑顔のままの勇者さんが倒れて。


 ワタシは、もう、立っていられなくなった。


「神官を呼んだことに理由があったように、君を呼んだのにもちゃんと訳がある。というより、この時のために、おれは君を仲間にしたんだよ……同じ奴隷の身であり、おれと同じ目をしていた君を……ここで、有効利用するためだけに」


 変わり果てた姿になった勇者さんはアンデットのように蠢き、力なく聖剣に指をかけ、自身の方に引きずり戻し、そして床を這いながら、腕を伸ばし、聖剣の切っ先を、壁に張りついて動けなくなったワタシに向けた。


 最後の役目を果たすように。


「君は勇者の影武者にふさわしい。無限の可能性を秘めたキャラクターだ……あらゆるスキルをコピーし、様々な武器をも扱うことができる」


 だから、この意味がわかるね――。




 記憶の再生は、そこで終了した。

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