3 思い切って旅人になったが、後悔はしていない(乃州)

「思い切って旅人になったが、後悔はしていない。妙なものだな、人の心は」と、ユクシは言った。

「なんだ、偽体カブリモノなのかよ。だったらそんなに待たせることはないだろう」と、トクサは覚醒飲料サマシケイを飲みながら言った。

 三階しかない宿の屋上は高級餐庁イザカヤで、宿は中央広場よりほどよく離れたところにあって、見晴らしはいささか悪いが、外部から覗かれることも少ないであろう。トクサは窓ぎわに席を取り、この地の名産と思われる飲食料を積み上げて、携帯端末ケータイを見ながら時間を潰していた。

 現れたユクシは青のツブ燐光キラリで、当代流行の偽体カブリモノとして、町を歩く素顔を知られたくない女性の、十人に一人はそれに近いものをまとっている。伝聞では数十年も前に行方不明となった乃州ノシュウの女王を模しているという話で、さり気ない気品とくどすぎない上品さ、親しみやすい喜怒哀楽の表情・動作の演出づけは、整った顔の造作とあいまってもはや普遍的な人気偽体のひとつになっている。

「そんなに自分の姿形に自信がないのか。暗殺者コロシヤにでもしょっちゅう狙われるような、特定組織の上位指導者エライヒトなのか」

「瞳と髪の毛の色は、この体を使う場合は変えてはいけないことになっているけどな。この旅は隠密シノビのところもあるので、見られたくないヒトには本体を見せたくないのだ」

「なるほど、旅の目的は自己販売ウリコミではない、と。待ってる間、お前の動画を堪能させてもらった。南方では相当の歌い手、ということであれば、まあ、お前を浄化して名を残そう、という者もいるんだろう。しかし、知らぬ国の歌は、節回しや歌詞がなかなか面白い。なんか、にゃあにゃあ言ってるようにおれには聞こえる」と、トクサは口の端で笑った。

「んにゃことにゃあも! ではなくて、だな。私をあまりからかわないで欲しいものだ」と、ユクシは少しあわてたように言った。

 なるほど、その古語めいた言い回しも、方言を隠すためのものだったのか、とトクサは思った。

「私も、お前の演奏カナデを自室で見ていたのだが、実に不思議だ。あまり掲載点数も再生数も多くはないようだが、一度見ると何度でもつい見てしまう即興演奏ニワカグラだな」と、ユクシは話を続けた。

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