7

「わぁ! ここが王都パルティールですのね!」

 ティアナがそう感嘆の声を上げたのは、王宮に向かう馬車の中でのことだった。

 王都、パルティール。

 出発の地と呼ばれるそこで手に入らないものはないとされ、パルティールはジスラール王国随一の商業都市と呼ばれていた。

 馬車の窓からのぞく往来には人が多く、道幅も今まで行ったどの都市よりも広い。高くて大きな建物が軒を連ねていて、多くの行商人が背の高さの倍はありそうな大きさの馬車を運んでいた。

 ティアナは目を輝かせながら道行く人を眺める。

 屋敷からあまり出たことがないティアナには何もかもが新鮮で、楽しいようだった。

 いつも乗るものよりも大きめな馬車には、ティアナの他にカロルとヴァレッドと、それとレオポールが乗っている。後方の馬車にはアンドニとダナが乗っていた。

 四人の中で笑っているのはティアナだけで、残りの三人の顔色はいいとは言えなかった。

 レオポールに至っては顔色が悪いどころか、まるで病人のようだ。彼は胃を押さえたまま一言も発することなく、馬車に揺られている。

「ティアナ様、本当にわかっておられますか!? 国王様に呼び出されたんですよ! しかも、議会を通じての正式な書状です! これが何を指すか……」

 さすがのカロルもこの展開には怯えているようで、口元にハンカチを当てながら、身を震わせていた。

 ヴァレッドは、カロルを一瞥すると固い声を出す。

「大丈夫だ。ティアナのことは何としても守る」

「その言葉違えないでくださいね!! 絶対ですよ!!」

「あぁ」

 ヴァレッドの頷きに幾分か安心したのか、カロルは馬車の椅子に深く腰掛けると、まるで肺の空気をすべて出すような長息を吐いた。

 ティアナは窓から視線を外し、気づかわしそうな声を出す。

「カロル、大丈夫? どこかで休んだ方がいいかしら……」

「大丈夫です。……というか、ティアナ様はなんでそんなのほほんとしてるんですか! 状況わかっておられますか!?」

「もちろんわかっているわ。国王様に呼び出されたのでしょう」

「それならなんで……」

「あら、だって。何で呼び出されたかわからないのに、緊張しても仕方がないじゃない! それに、ヴァレッド様と国王様は旧知の仲なのでしょう? もしかしたら、ただのお茶会へのお誘いかもしれないわ!」

 いつも通りの前向き思考でティアナはそう言い、満面の笑みを向けた。

 その表情は少しも無理をしているようには見えない。

 ティアナの楽観的な考えに、カロルは目元に涙をたたえ彼女の肩をむんずと捕まえた。

「ティアナ様は暢気すぎます! もしかしたら、狭い牢屋に押し込められ、尋問に掛けられるかもしれないんですよ! もしかしたら、拷問だって!!」

「さすがに牢屋や拷問はないと思うが、尋問ぐらいは覚悟しておいた方がいいかもしれないな」

「ほら! ヴァレッド様もこうおっしゃっていますし!」

 いつも喧嘩してばかりの二人だが、今日はどうも事情が違うらしい。

 ティアナはそんな二人を交互に見て、それでもやっぱりおっとりと微笑んだ。

「でも、ヴァレッド様も皆様も、身に覚えのない呼び出しなのでしょう? だったら、堂々としてて大丈夫よ。それよりも、今はこの場を楽しみましょう! ねぇ、見てカロル! すごく大きな馬車よ! 行商の方たちかしら!」

「もう、ティアナ様っ!」

 焦れたようにカロルは声を上げた。

 しかし、こんな状況なのにもかかわらず馬車の中がお通夜にならないのは、朗らかに笑うティアナのおかげだ。

 それをわかっているのか、ヴァレッドはティアナを見つめながら表情を緩めた。

「まぁ、ティアナの言う通りかもしれないな。身に覚えのない以上、警戒していてもしょうがない。それに、アイツのことだ、本当に冗談で俺たちを呼びつけたのかもしれないしな……」

「それはさすがにありえないでしょう! そういえば、ヴァレッド様と国王様とは旧知の仲ということでしたよね。どういう方なんですか?」

「どんな……そうだな……」

 ヴァレッドは何かを思い出すように視線を上げて顎を摩る。

「一言で言うなら、『食えないやつ』だ。嘘を見抜くのが異常に上手くて、天才肌。身体を動かすことは苦手だが、その分頭を動かすことにエネルギーをもっていっている感じだな」

「確か、ヴァレッド様よりも年下でしたわよね? 先代様が無くなるのが早かったとかで、若干十五歳にして王位を受け継いだとか。歴代の国王の中で最年少で王位についた方だと記憶しておりますわ。確か今は……」

「二十二歳だな。いや、先日誕生日を迎えたから二十三か」

「そんな年齢で国王という重責を担われている方とは! 本当にすごいですわ! ますます国王様にお会いしたくなりましたわ!」

「この状況で『国王様に会いたい』とおっしゃられるティアナ様の方が、私的には十分にすごい方ですわ」

 カロルの言葉に、ティアナはやっぱりわかっていない顔で「ありがとうございます!」と笑ったのだった。


..◆◇◆


 ヴァレッドとティアナ、それとアンドニとダナは、王宮に着くや否やいきなり謁見の間に通された。

 服を着替える間も支度もする間も与えられない状況に、カロルとレオポールは心底心配したような顔をしていたが、国王命令に歯向かうことなど到底できず、今はアンドニの屋敷から連れてきた侍従と共に謁見の間の傍にあるサロンで主の帰りを待っている。

 旅装束で謁見の間に通されたティアナは何が物珍しいのかきょろきょろと周りを見渡していた。その隣ではヴァレッドが、後ろではアンドニとダナが難しい表情をして固まっていた。

 ティアナたちがついて数分も経たないうちに、何の前触れもなく後方の扉が開いた。

 そこから出てきた人物にアンドニとダナはぎょっと目を見開く。

「やぁ、ヴァレッド。久しいね」

 麗しい程の艶を有したハニーブロンドが歩くたびにふわりと舞う。

 王族の証であるエメラルドの瞳を細めながら現れた青年は、ティアナの横を通り、軽やかな足取りで舞台に登った。そして、玉座に座り、足を組む。

 ヴァレッドは玉座に座った青年を一瞥した後、頭を下げた。

 その様子にティアナは目の前の青年が国王だと知り、慌てて倣うように頭を下げる。

 ティアナは絵姿でしか国王を知らなかった。なので自分たちと同じように後方の扉から現れた彼を、国王だと認識できなかったのだ。

 通常こういう場合は、迎える側は前方の別の扉から現れるのが常である。

「そんなに畏まらなくていいよ。他の者は下がらせたからね。今ここには私達しかいないから、いつもどおり話そう、ヴァレッド」

 気安く名前を呼び、国王は微笑む。

 ヴァレッドは肩の力を抜くと、明らかに苛ついたような声を響かせた。

「それではお言葉に甘えて。……人をあんな物騒なものでいきなり呼びつけるだなんて、どういう了見だ、エリック!」

「うんうん、その調子。畏まったヴァレッドなんて全く面白くないからね」

 朗らかに、けれどもある種の威厳を持ったまま彼は笑う。

 そして、ヴァレッドの問いには答えることなく、視線をティアナに滑らせた。

「初めまして、ヴァレッドのお嫁さん。メレディス家の娘さんだったよね。名前は確か、ティアナ、だったかな」

「初めまして。ティアナ・ドミニエルでございます。この度は国王様を拝謁する機会をいただけまして、大変光栄に思います。夫に比べ若輩者ですので、至らぬ点が多いと思いますが、なにとぞご容赦いただけますよう、お願い申し上げます」

 ティアナは身体を低くして、最上級の淑女の礼をした。

 その様子に、エリックは目を眇める。

「どう? ヴァレッドとはうまくいってる? 気難しい男だからいろいろと困ってるんじゃない?」

「いいえ。ヴァレッド様にはいつもお優しくしていただいていますわ。いつも先回りして気をつかってくださるので、とても助かっています」

「……へぇ、国王命令のお見合いをことごとく断ってきた、筋金入りのあの女嫌いがねぇ」

 ニヤニヤとした視線を受けて、ヴァレッドは居心地が悪そうに顔を逸らした。

 エリックは心底楽しそうな笑みを浮かべ、小首をかしげた。

「で、夜の方はどう? ちゃんと優しい? 独りよがりとかじゃない?」

「エリック!!」

「はい! 夜もとっても優しいですわ!」

「答えるなティアナ! ややこしくなる!!」

 頬を赤らめ声を荒げるヴァレッドの後ろで、アンドニとダナは息子の意外な一面に苦笑いを零していた。

 ヴァレッドはティアナの前に立ち、エリックと隔てた。

 このままだと話が前に進まないと判断したのだろう。

「エリック、もう一度聞くぞ。なぜ俺たちを呼び出した」

「そうだね、そろそろ本題に入ろうか。でも、実は私もなぜ君たちを呼び出す羽目になったかわからないんだ」

「は?」

 エリックは玉座から四人を見下ろし、先ほどまで浮かべていた笑みを収める。

「つい最近、城の宝物庫から国王の証の一つである玉璽が盗まれた」

 突然の話に、一同は息をのむ。

「そして、盗まれた玉璽の代わりに、こんな手紙が置かれていた」

 エリックの差し出した紙をヴァレッドは受け取り、開く。

 そして、その内容に全員が息をのんだ。


『ドミニエル領主にべワイズから手を引くように伝えろ。

 さもなくば、玉璽はもう二度と王の元には戻らないだろう。

 我々はドミニエル領主の秘密を知っている。

 べワイズから手を引けば、我々の口は堅く閉ざされたまま、

 両者はきっといい盟友になれることだろう』


「書いてある通り。べワイズから手を引け、ということらしい。でなければ、玉璽は返さないし、ドミニエル公爵の秘密も公開する、と。お前に直接送りつけないということは、その秘密は私に知られるとまずことなんだろう? ――ヴァレッド、この私に何を隠している」

 最後は国王の目でエリックはヴァレッドを見下ろした。

 氷のような冷たい瞳に、さすがのティアナにも冷や汗が伝う。

「悪いが、まったく身に覚えがない。おそらく、何かの勘違いだ」

「まぁ、そう言うだろうと思った。ヴァレッドは嘘がつけない男だからね。君の言葉は信じるよ。……アンドニ、ダナ。君たちは何か知らないかな?」

 国王の問いに、アンドニもダナも固まった。

 しかし、それも一瞬のことで、二人は同時に首を振る。

「いいえ。何も、国王様」

「……そう」

 納得がいったのか、いってないのか。よくわからないトーンでエリックは頷いた。

「まぁいい。最初から無理やり聞き出すつもりはなかったんだよ。国に反しないのであれば、秘密あってもかまわない。私は人の心の内側まで管理しようとは思わないからね」

「じゃぁ、なぜ……」

 そうヴァレッドが問えば、エリックは立ち上がった。

「ヴァレッド、私が目指しているものは知ってるな」

「あぁ」

「私は飾り物になりたい。国王などただの飾りにして、民に政治を仕切らせたい。だから、本来玉璽など必要はないんだ。王の証など、そんなものに重きを置く国であってはいけない」

 声は張っていない。

 けれど、その宣言は空気を震わせるような重さを纏っていた。

「けれど、まだその時ではない。私はまだお飾りになるわけにはいかない。その時まで完璧な国王でなくてはならないんだ。――だから、ヴァレッド。玉璽を取り戻せ。欠けた王など飾りにもならん。べワイズの件、元はお前の失態だろう」

「……わかりました」

 その時ばかりはヴァレッドも配下として返事をした。

 頭を深く下げる夫とともにティアナも頭を下げる。

 その返事に満足したのか、エリックは再び椅子に座り直すと、先ほどのまでのような人懐っこい声を出した。

「探し出せと言っても、一からというわけじゃないよ。下手人候補は上げておいた。十中八九、その中の誰かが犯人だろう。私が強制的に身ぐるみ剥いでもいいんだけどね。中には割と有力な貴族もいて、正直反発が怖いんだ。犯人を上げるまでの間、この王宮で寝泊まりしてもかまわない。部屋はもう用意しておいたよ」

 話は終わったとばかりに、エリックは舞台から飛びりる。

 そして、ヴァレッドの隣にいるティアナに駆け寄った。

「ティアナ」

「はい」

「ヴァレッドをよろしく頼むよ。こんな関係だが、彼は俺の良き友人なんだ」

 エリックは今までで一番優しい表情を浮かべ、笑う。

 ティアナは「もちろんですわ!」と大きく首肯した。

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