5
身体も綺麗にし明日の準備も整え、後は寝るだけとなった夜半過ぎ。
「はぁ……」
ティアナは寝台の上で半身を起こしながら、色のついた溜息を漏らした。 部屋の中は薄暗く、寝台の隣にあるランプだけが室内を煌々と照らしている。
オレンジ色に照らされた彼女の頬は、うっすらと桃色に上気しており、その手元にはジスレーヌ・ジャクロエ著の【魔法使いと異国の姫君】シリーズ第二作目、『二人の恋路と王宮探索』があった。
ちなみに、ジスレーヌ・ジャクロエというのは、情報屋ジスの仮の名前である。彼の妹はクロエといい。ジスは明言してないが、恐らく二人の名前を取り入れた著名なのだとティアナは思っている。
仕事の合間にも甲斐甲斐しく病院へお見舞いに行っている姿からして、ジスにとってクロエは大切な存在なのだろう。
先ほどまで甲斐甲斐しくティアナの世話をしていたカロルは、もう室内におらず、彼女は一人、悩ましげな表情でその本を読んでいた。
「やはりこれは……」
ティアナは自身の胸元に手を当てる。
心臓はドクドクと内側からティアナを叩いていた。
最近、ティアナの身体の調子はおかしかった。
動悸に息切れ、発汗に発熱。
胸はたまに締め付けられるように痛むし、かと思えば、まるで甘いだけの蜜を舐めたかのような幸せな気分に浸る時もある。
そして、その症状はどれもヴァレッドといる時のみ起こるのだ。
今だって、先ほど寝る前にしたお休みのキスを思い出して、胸を苦しくさせている。
最初に変化を感じたのは新婚旅行の前。
あの時は突然起こった身体の変化に驚き、よく考えもしないまま『ヴァレッドに対し緊張している』という結論のみを出してしまっていた。
また、自分の心に向き合う時間があまりなかったせいもあるだろう。
新婚旅行中は大捕物があったり、ヴァレッドと喧嘩したりと、ティアナは心身共に忙しく、落ちついて『どうして緊張してしまうのか?』を考えられなかった。
なので、こうして改めて自分の心に向き合う時間があると、ティアナは考えてしまう。
甘い疼きのような胸の痛みの原因を。
ティアナは手元の本を捲る。
第二巻。これは異国の姫であるエミリーヌが、禁断の魔法に手を出してしまった魔法使いジェロに対する気持ちに気付いてしまう巻なのだ。それまで逃げることに必死だったエミリーヌは、自分の手を引いてここまで来てくれたジェロに感謝以上の何かを感じてしまう。それが恋だと知った瞬間に、彼女はジェロの冷たい心に触れ、涙を流してしまう。
ティアナは気持ちに気付いたばかりのエミリーヌに自分の姿が重なる思いがした。
「これは、もしかして、もしかしなくとも……恋なのでしょうか?」
ヴァレッドといると楽しいし、ドキドキしてしまう。
温かい気持ちで胸がいっぱいになるし、新婚旅行で自分以外の誰かとオペラを観に行ったと知った時は、正直、心臓が潰れそうだった。
けれど、ティアナは友情以外の『好き』を知らない。
ヴァレッドのことは確かに特別だが、異性と友情を育めば自然とそうなってしまうのかもしれないとも思ってしまう。
幸いなことに、今は故郷の屋敷にいる時より、多くの男性に囲まれている。
「これは、検証しなくてはなりませんね!」
ティアナはそう決意を新たにした。
◆◇◆
翌日、アンドニの屋敷のとある部屋で、不思議な光景が繰り広げられていた。
「いや、ほんと、ティアナさん。勘弁してくださいって!!」
「ごめんなさい。重いとは思うのですが、もう少し……」
「重くはない! 重くはないんですが! あと一秒でもこんなこと続けたら、殺されちまうんですっ!! どうか、後生ですから!!」
「……」
叫び声を上げるジスの膝の上には、ティアナ。
ジスの首元に手を回し、身体をぴったりと密着させている。
そして、それを睨みつけるヴァレッドの姿。
そんなヴァレッドを見つめるレオポールとカロルがいた。
ことの始まりは、朝食を終えた直後に遡る。
アンドニ達との朝食を終えたティアナは、同じく朝食を終えたヴァレッドに呼び止められた。
要件としては、最近わかった“べワイズ”という組織について、ティアナに話しておきたいということだった。
新婚旅行が終わったあと、ヴァレッドは領地で起こっている問題をティアナに話してくれるようになった。
知ると危険があると判断した部分や、また不確定な情報の時は教えてくれないが、それ以外はわりとなんでも話してくれる。質問をすれば答えてくれるし、本当にたまにだが意見を聞かれることもある。
今まで領地のことは蚊帳の外だったティアナにとって、それはとても嬉しい変化だった。頼りにされているわけではないのかもしれないが、その輪の中に入れただけでも嬉しい。
そして、今回は以前から聞いていた“べワイズ”の話をしてくれる予定だったらしい。
べワイズというのは、ティアナが誘拐された麻薬密造の事件や、新婚旅行での山賊、闇オークションを主催していた犯罪組織だ。
ジスの協力もあり、ここのところヴァレッド達はべワイズ対策に力を入れていた。
べワイズの規模は大きく、各地に小さな犯罪組織を置いて、そこからの上納金でその大きな組織を潤わせているようだった。
子組織を潰してもきりがないのだが、放っておくわけにもいかない。
それに捕まえれば捕まえるだけ、大元の組織は弱体化していくのだ。
これは取り締まらないわけにはいかない。
なので、先月もヴァレッドはジルベールと共に東北の地へ視察に行き、人身売買をしていたベワイズの子組織を捕まえたというのだ。
そのべワイズの新情報を……という場面で、どうしてジスの膝の上にティアナが座ることになったのかといえば、最初は彼の軽口が原因だった。
よりちゃんとした情報を、と思ったヴァレッドはティアナを呼び出した場に情報元であるジスを呼んでいた。そうして席についた瞬間、ジスがからかうような口調でこう言ったのだ。
『そんなに旦那にくっついて、二人はもうラブラブですねぇ。あ、それともソファーが狭いんですか? もしそうならティアナさん、この膝にでも座りますか? ……なぁーんてね!』
その言葉にティアナは『それは良い案ですわね! 検証にもなりますし!』と、本当にジスの膝の上に座ったのである。
そして、今に至るというわけなのだが……
「ちょ、本気で! 本気で殺されますから!! 俺、前科があるんで余計になんですよ!! 最初に言ったことは取り消しますから、今すぐ降りてください!」
「ごめんなさい、ジスさん。もう少しだけ! もう少しで何かわかりそうな気がするんですの!」
「……」
心臓の音を確かめるように、ティアナは胸元に手を置きながら瞳を閉じている。ヴァレッドは無言でまるで般若のようにジスを睨みつけていた。
「ティアナさんっ! おふざけが過ぎたのは謝りますから! ちょ、ちょっと、頬を擦りつけてこないでください!!」
「すみません。もしよろしかったらこのままお話を! ちゃんと聞いていますから!」
「こんな状態で冷静に話なんて無理ですってば!!」
「……ジス、あとから二人っきりで話がある」
「ほんとすみませんって!! 以後、気をつけますからっ!!」
ジスももう涙目だ。
一向に話が進まないのを見かねたレオポールは、未だに膝の上に居座り続けるティアナにそっと声をかけた。
「ティアナ様、お膝の上が居心地良いのかもしれませんが、そろそろ降りたほうが。ジスさんもヴァレッド様もこのままでは落ちついて話が出来ませんし……」
「そうですわね。なんとなく、わかりましたので……」
そう言ってティアナがジスの膝の上を押した瞬間、全員がほっとした表情を浮かべた。
しかし、それも一瞬のこと。
ティアナはレオポールに向き合い、キラキラとした笑顔を向けた。
「それでは、お次はレオポール様のお膝にお邪魔しても……」
「ダメです!!」
今にも泣き出しそうな声を出しながら、レオポールは即答した。
純真無垢な瞳を瞬かせながら、ティアナは「どうして?」といわんばかりに首を折る。
「……ティアナ、今日はどうしたんだ?」
そう、訝しげな声を出したのは幾分か表情が穏やかになったヴァレッドだ。
彼はティアナを側に寄せると、ソファーに座ったまま彼女を見上げる。
「いえ。実は検証を……」
「検証?」
オウムのように繰り返し、ヴァレッドは目を眇めた。
「なんだかよくわからんが、人の膝に座るぐらいならこっちに来い」
「はい? ――ひゃ!」
ヴァレッドはティアナの腰を引き寄せ、自らの膝に座らせる。その瞬間、彼女の顔が真っ赤に染まった。
「膝の上で話を聞きたいのなら、ここで話を聞けば良いだろう?」
「ヴ、ヴァレッド様っ!?」
いきなりのことに身体を硬くするティアナをのぞき込みながら、ヴァレッドは不機嫌そうな声を出した。
「なんだ、俺の膝では嫌なのか?」
「い、いえ! ヴァレッド様は最後に、と思っていましたので……その……」
「どうした?」
「やっぱりヴァレッド様の膝の上はドキドキいたしますね。あったかい」
ふふふ、とティアナが嬉しそうに笑った瞬間、今度はヴァレッドの顔が赤くなる。そして、何を詰まらせたのか盛大に咳き込みはじめる。
そんな今時子供でもしないような恋愛模様を見せつけられ、カロルは呆れたような半笑いを浮かべた。
「なんか、うちはいつも平和ですね」
「あの夫婦がちゃんと夫婦してたらですけどねぇ」
同意するようにレオポールも頷いた。
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