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歓迎の意味を込めた食事会も終え、ティアナとヴァレッドはアンドニが用意した部屋に向かっていた。
ヴァレッドの希望により二人の部屋は別々にされていたが、何かあった時にいつでも駆けつけられるようにと、廊下を挟んで向かい合わせに用意してあった。
二人は部屋の前の廊下で、互いに向かい合う。
もう夜もすっかりふけているので、後は湯汲みをして寝るだけである。
「ヴァレッド様、今日はありがとうございました。ヴァレッド様のご両親様に会えて、本当に嬉しかったです! お二人ともお優しそうな方でとても安心しました!」
「君でも緊張することがあるんだな」
胸に手を当て、ほっと肩の力を抜くティアナにヴァレッドは優しく笑う。
いくら彼女であろうと、やはり義理の両親と会うのは緊張するのだろう。そう思っているような表情だった。
しかし、ティアナはヴァレッドの言葉に緩く首を降る。
「あぁ、いえ、緊張は……」
「そうなのか?」
「はい。実は私、あまり緊張したことがなくて」
「では、さっきの『安心』というのは?」
ヴァレッドが疑問をぶつければ、ティアナはいつもよりも少しだけ真剣味が感じられる表情で、薄く微笑んだ。
「いえ。ヴァレッド様が、ご両親からとても愛されていたんだと実感できて、安心しました。でも、考えてみればそうですわよね! こんなにお優しいヴァレッド様をお育てになったお二方ですもの。お優しくないわけがありませんでしたわね」
「ティアナ……」
ティアナの心配が自身に向いているのだと知り、ヴァレッドは胸が温かくなるのを感じた。
彼女は幼い頃のヴァレッドが寂しい思いをしていなかったのだろうかと案じていたのだ。その想いの根底には、ヴァレッドと彼を生んだ母親との確執がある。
ヴァレッドは幼い頃、産みの親から虐待に近い扱いを受けていた。食事や着るものは十分に与えられていたが、彼の母親は彼に関心はなく、たまに話しかけたと思えば、彼を罵るような言葉ばかりを吐いていた。
二人で生活しているはずの屋敷に男を連れ込み、情事に至るのも毎夜のこと。時には小間使いのように扱われ、意味もないままに叩かれることも日常茶飯事だったという。
そうして、ヴァレッドは女嫌いになった。
ヴァレッドが自分から幼い頃のことを話してから、ティアナは彼の幼い頃の話を禁忌としなくなった。むしろ寄り添うような形で、たまにこうやって話題に出してくる。
未だに侍従や使用人の中では、ヴァレッドの出生の話は禁忌になっている。
ヴァレッドだって軽く触れて欲しい話題ではないが、だからといって腫れものに触るように扱われるのは、正直居心地が悪かったのだ。
ティアナはそんなヴァレッドの心境を読み取ったかのような反応をくれる。
それが、たまらなく胸を打った。
ヴァレッドはとても愛おしそうにティアナの頬を撫でる。
「知らない間に心配をかけていたんだな」
「いえ、私が勝手に色々考えてしまっていただけですわ! でも、杞憂だったみたいで、良かったです!」
いつもどおりの明るい反応を見せる彼女を、ヴァレッドはじっと見下ろす。
その瞳は優しげに細められていた。目尻から耳にかけても、ほんのり桃色に染まっている。
じっと見下ろしてくるヴァレッドの視線が気になったのか、ティアナは首をかしげた。
「ヴァレッド様?」
「……いや。幸せだなぁと思ってな」
染み入るようにそう言えば、ティアナは弾けるような笑みを浮かべ、自分の頬を撫でるヴァレッドの手に自らの手を重ねた。
「ヴァレッド様もですか? 私もヴァレッド様のところに嫁いでから、たまにふわぁーんと幸せを噛みしめることがあるのです! 胸が温かくなって、まるで大きな浴槽に浸かっているような気分になるんですの!」
「……そうか」
「ふふ。それにしても、ヴァレッド様の手。あったかい」
ヴァレッドの体温を自分に移すかのように、ティアナは無邪気に頬擦りをする。
可愛い新妻の甘える姿に、ヴァレッドはもう片方の手で己の口元を押さえ、悶絶した。もちろん、ティアナにはバレないように顔は背けている。
家令にも使用人にも気持ちが筒抜けのヴァレッドだが、彼にもまだプライドがある。
幸いなのが、気持ちを向けている相手が、超のつく鈍感だということだった。
「ヴァレッド様。では、そろそろ」
「あぁ」
ヴァレッドの手を堪能し終えたのか、ティアナはあっさりと彼の手を離し、居住まいを正す。
そして、ヴァレッドの服を掴み、踵を上げた。
ティアナの柔らかい唇がヴァレッドの頬に一瞬だけ触れ、すぐに離れていく。廊下に小さなリップ音が響いた。
「おやすみなさいませ。ヴァレッド様」
「……あぁ、おやすみ。ティアナ」
新婚旅行から帰ってきてから恒例になった、お休みのキスをし終えると、ティアナは踵を返し、さっさと部屋に入ってしまう。
ヴァレッドは自分の頬を押さえながら、彼女の背中を見送った。
そうして完全にティアナが目の前から居なくなると、まるで糸が切れたマリオネットのように脱力し、壁に寄りかかった。
そうして赤い顔のまま呟く。
「……これはさすがに脈があるかもしれない……」
「いや。脈もなにも、貴方たち夫婦ですよね?」
「レ、レオッ!?」
突然登場した家令に、ヴァレッドは飛び上がり距離を取った。
背後から現れたレオポールは片眼鏡を直しながらヴァレッドとティアナの部屋の扉を交互に見る。
「そもそも貴方たち夫婦ですよね。今さら脈とか……」
「い、いいだろうが、別に。それよりお前、いつから見ていたんだ……」
恨めしそうにそう言えば、レオポールはさも当然とばかりに、「『ヴァレッド様、今日はありがとうございました』からですよ」と悪びれもなく言う。
最初から全て見られていた事実に、ヴァレッドの頭から湯気が上がる。
そんな羞恥にまみれる主人に、レオポールは溜息をついた。
「いいからさっさとくっついてくださいよ! 城の者達も、結構やきもきしているんですよ?」
「えぇい、煩い! 俺には俺なりのペースってもんが!」
「なめくじ並みの遅さですね!」
「せめて亀と言え!」
レオポールからしてみれば、なめくじも亀も遅いという点では似たようなものな気がするのだが、ヴァレッド的には違うらしい。
「……まぁ、いいでしょう。仲良くしようとしているだけ、以前から考えればすごい進歩です。とんでもなく進歩です。むしろ進化と言っても過言ではありません!」
「お前は嫌味を言いに来たのか?」
何か用事があったんじゃないのか? と視線で問えば、彼はわざとらしく手を打ち、「あぁ、そうでした!」と笑った。そして、手元の資料に視線を落とす。
「ジスさんがいろいろ調べてくれたおかげで〝べワイズ〟について分かったことがあります。今お部屋でお話ししても?」
「……入れ」
先ほどまでの浮ついた顔を収め、ヴァレッドは部屋の戸を開けた。
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