3
アンドニの屋敷にあるディナールームで、そのやりとりは繰り広げられていた。
「ヴァレッド様、これもお願いできますか?」
「別にいいが、君は本当に少食だな」
「そうでしょうか? 自分ではよくわからなくて……。はい。では、あーん」
『あーん』と共に差し出された一口大の肉を、ヴァレッドは躊躇うことなく口に入れた。そのまましばらく咀嚼してから飲み込むと、少しだけ赤い顔をティアナに向ける。
「何度も言ってるが、その『あーん』というのはやめてくれ。恥ずかしい。普通に差し出せば食べてやるから……」
「でも、こっちの方がお互いにタイミングが掴みやすいですし! はい、もう一切れです。あーん」
文句を言いつつも、ヴァレッドはティアナの差し出してきた肉を口に運ぶ。そうしてもごもごと口を動かすと、赤らんだ顔を彼女から背けた。
「もう、はってにひろ」
呆れたようにそう言うが、ヴァレッドは明らかにまんざらでもない表情をしている。
ヴァレッドとティアナ、アンドニとダナは四人で食卓を囲んでいた。囲むといっても、机はあと十人ぐらいは座れそうなほど長いテーブルである。 四人の席は女嫌いのヴァレッドを気遣ってか、どれだけ暴れてもお互いにぶつからない広い距離を保って設けられていた。にもかかわらず、ティアナはヴァレッドの隣に椅子を寄せ、皿を片手にニコニコと微笑んでいた。
ことの始まりは、三十分ほど前に遡る。
夕食時、アンドニとダナは歓迎の意味を込めて豪勢な食事を用意していた。しかし、元々少食であるティアナは、その量の多い食事が思うように進まず苦戦を強いられていた。それを見かねたヴァレッドはわざわざティアナの席を移動させて、食べられなかった分は自分が食べてやると言い出したのだ。
これにはアンドニもダナも驚いた。更にヴァレッドが、なんの抵抗もなくティアナが差し出したものを口で受け取る姿を見て、二人とも瞳が零れんばかりに目を見開いていた。
そんな両親を後目に、二人は暢気に食事を続けていた。
「あ、ヴァレッド様。ソースが」
ティアナが自分のナプキンでヴァレッドの口元を拭う。するとヴァレッドも親指で彼女の口の端を拭った。
「君もついているぞ」
「あっ、すみません。ありがとうございます!」
そのまま何事もなく親指を舐め、ヴァレッドは食事を再開する。ティアナも隣で肉についてきたポテトをにこやかに頬張った。
二人としては本当にいつも通りに食事をしているだけなのだが、それを見ながら震える姿があった。――アンドニだ。
「俺は何を見ているんだ⁉ まさかあれは息子の皮を被った別人⁉」
「いえ。正真正銘、ヴァレッド様です」
アンドニの言葉に応えたのは側に控えていたレオポールだ。彼はアンドニの側に立つと、身をかがめ、彼にしか聞こえないぐらいの小さな声を出す。
「最近は、城の中でもずっとあんな感じですよ。もう、体中が痒くなりそうですよね」
「ヴァレッド様はご自分の気持ちに気付いてから、あまり躊躇いがなくなりましたよね。私的にはもう少し恥ずかしがると思っていたのですが……」
そう会話に参加してきたのは、侍女のカロルだ。二人の声を背中で聞きながらアンドニは食事をする手を止め、まじまじとヴァレッドの姿を見つめる。
食事が美味しいと笑うティアナに、そんな彼女を愛おしそうに見つめる息子。何度目を擦ろうが、そこには別人のようなヴァレッドがいた。
「まぁ、ヴァレッド様は元々、ご自分の気持ちに正直な方ですからね。そうじゃないとあんなに女嫌いを大っぴらにしませんよ。普通はどんなに嫌いでも、ある程度は隠しますからね」
「確かにそうですね。私達に見られているとわかると急に距離を取ったりしますが、指摘をすると「何が悪いんだ。夫婦なんだから、仲が良いのは良いことだろうが……」と、顔を真っ赤にして怒りますものね」
「カロルさんって、最近ヴァレッド様の扱いが上手になりましたよねー」
「環境適応能力は、高いと自負していますわ」
仲の良さげな二人の会話を聞きながら、思った以上に息子夫婦が仲良くしているのを改めて実感する。
レオポールからの報告で、息子夫婦の結婚生活は順調だと聞いてはいたのだが、まさかここまでだとは思わなかったアンドニである。
今までの会話を耳聡く聞いていたのか、少し離れた位置でダナは目元を拭いながら「ヴァレッドよかったわね……」と零していた。そして「あぁ、ティアナちゃんとヴァレッドの昔話をいっぱいしたいわぁ」とも。
未だに周りの視線に気がつかない二人は、微笑ましい甘い雰囲気をまき散らしていた。今度は何がどうしてそうなったのか、ヴァレッドはちぎったパンをティアナに食べさせている。
その光景にアンドニはほっと胸をなで下ろす。
「この調子だと、案外早く孫の顔が見れそうだな」
「……と、思うじゃないですかー」
先ほどとは打って変わって、元気のない声を出したレオポールに、アンドニは振り返る。そこには引き攣った笑みを浮かべる彼の姿があった。
「先ほども言いましたが、あの二人両想いじゃないんです。……ティアナ様。あんなに可愛い顔をしていますが、割と凶悪な天然娘でして。直球だろうが変化球だろうが、ヴァレッド様の気持ちが全く伝わらないんです。……あんなに女嫌いのヴァレッド様があそこまで優しくしてるというのにっ! あんなに全力で俺の嫁可愛いなぁオーラ出していると言うのにっ! もうちょっと『もしかして、私のこと……』とか思ってもいいと思いませんか!?」
「ティアナ様の悪口ですか? もしそうでしたら、締め上げますわよ」
カロルが低い声でそう唸ると、レオポールはぶるりと身を震わせる。そして、鳩尾の辺りを摩りながら遠い目をした。
「ですので、お二人の部屋は未だに別々なんです。つまりお子様なんて夢のまた夢ですよ」
「そ、そうなのか……」
レオポールの勢いにアンドニは身を引く。
アンドニがいた頃のレオポールはここまで激しい性格をしていなかった。ヴァレッドの側で家令として働くことが彼に相当なストレスを与えているのかもしれない。アンドニは、心の中でそっと彼に頭を下げた。
そんなアンドニの心の内を知ることのないレオポールは、深い溜息を吐き出した。
「私もね、何度か一緒の部屋にしたらどうか、と提案してみたんです。最初は、ヴァレッド様も前向きだったんですよ。でも、色々と思うところがあったんでしょうねぇ、最近は『気持ちも通じ合っていないのに、何か間違いが起こってもいけないから……』とはね除けるようになってしまいまして。ティアナ様がヴァレッド様の気持ちに気付くことは一生なさそうですし、このままだと茶飲み友達一直線ですよ。本気で……」
レオポールはそのまま遠くを見据えた。
「あーぁ、早く間違いが起こればいいのに……」
その呟きは本当に心からのように感じた。
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