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アンドニの屋敷は、フュメの中心部から少し離れたところにあった。使われなくなった広い土地を買い上げ、そこに屋敷を建てているので、辺りは鬱蒼と生い茂る木々に覆われている。
大きな屋敷に繋がる道は、細くはないが馬車が一台通れるほどしかなく、まるでその屋敷だけ街から隔離されているかのような様相を呈していた。
日はもう沈みかけ、煌々と燃えるような赤が木々や屋敷を染め上げている。
今回の訪問に参加したのは公爵夫妻と、それに付き従うカロルとレオポール。ジルベール親子の三人に、姿は見えないがジスも密かに同行している。それに数人の兵士と侍従が付き従っていた。
アンドニの屋敷にお世話になるということで、新婚旅行の時よりも少人数になっている。
屋敷の入り口で一行を出迎えたのは、鉄錆色の髪をした優しそうな壮年の男性と、そんな彼に寄り添う麗しい女性だった。彼女の灰色に紫を足したような髪の毛は軽く波打っていて、着ているドレスは落ちついた葡萄色。そんな二人は目尻に皺を寄せ、柔和な表情を浮かべていた。
「ようこそ。長旅で疲れただろう? 私がアンドニ・ドミニエルだ。彼女が妻のダナ」
「初めまして。ヴァレッドのお嫁さんに会えると知ってから、今日がとても待ち遠しかったわ! 仲良くしてくださいね」
年齢を感じさせない少女のような声に、場の雰囲気が和む。
ヴァレッドは前に出ると、気恥ずかしそうに頬をうっすらと染め、手のひらでティアナを指した。
「お久しぶりです。彼女が、その、……妻です」
「初めまして。アンドニ様、ダナ様、ティアナともうします。しばらくの間、お世話になりますわ」
緊張を知らないティアナはいつもの調子で明るく笑う。しかし、それが良かったのだろう。アンドニは可愛らしい義娘に目を丸くさせ、そして頬を引き上げた。ダナの方は彼よりも更に感激したのだろう。身体を小さく震わせたあと、まるで飛びつくようにティアナを力強く抱き締めた。
「まぁ! とても可愛らしいお嬢さんね!! お肌もぷにぷに! 髪の毛もサラサラねぇ!!」
「へぁ?」
「あぁあぁっ! 声も可愛いのねぇ!! 私、こういう娘が欲しかったの! ヴァレッドと結婚してくれてありがとうね、ティアナちゃん! さ、私の部屋で存分にお話ししましょう!」
「ちょ、待ってくださいっ!」
出会って五秒で義娘を部屋に連れ込もうとするダナの奇行に、思わず声を上げたのはヴァレッドだった。
今にも連れ込まれそうなティアナの手を引き、その場に二人を留める。
「彼女を気に入ってくれたのは嬉しいですが、さすがにそれは性急すぎませんか!?」
「止めないで、ヴァレッド! 貴方が貴方を可愛がらせてくれないからいけないんじゃないの! 貴方もダメ、貴方のお嫁さんもダメなら、私の愛情はどこに注げば良いというの!? もう私は、この愛情は義娘に注ぐと決めたのです!」
「何を馬鹿なことを言ってるんですか!? その手を離してください! 彼女が困っているでしょう!?」
「へ? ひゃ? ふぁ? ぴゃ?」
右のヴァレッド、左のダナ。
ティアナはまるで綱引きの綱のように、二人に引っ張られるまま左右に揺られていた。
そんな三人の様子を見ながら、アンドニはにこやかな表情を浮かべている。
「ダナは子供が大好きでな。ヴァレッドがうちの子供になった時なんかはとても喜んでたんだが、アイツは女がダメだったろう? だから、ダナにもなかなか懐かなくてな。それでも熱烈に可愛がりたいアピールをしていたんだが……」
様子を見る限り、ヴァレッドがダナを嫌っていたというよりは、女嫌い故に距離が遠かったというだけなのだろう。しかし、それでもダナは納得が出来なかったらしい。
ようやく見つけた、愛情をかけることができる相手の存在に、彼女はやや興奮しているようだった。
左右に揺さぶられる主人を見ながら、カロルは引き攣った笑みを浮かべる。
「なんていうか、ヴァレッド様の周りには個性的な人が集まられて居られるんですね」
「……カロルさんも十二分に個性的だと思いますけれどね」
「はぁ!?」
いつもの意趣返しといわんばかりのレオポールのぼやきに、カロルは声を荒げた。蛇のように睨めば、まるで蛙のように冷や汗を流しながら彼はそっぽを向く。
そうこうしている間にも、親子の綱引きは続いているようだった。
「ヴァレッドが! ヴァレッドがいけないんじゃないの! 私に懐いてくれないからっ! 貴方が嫌いだというから香水もやめて、化粧も殆どしなくなったのにっ!! 私のことも、実は心の中で蔑んでいたのでしょう!!」
「貴女が希に見る性格が良い
「『かもしれない』って!! そこは普通に『性格が良い女性』で良いじゃない! ヴァレッドなんかっ! ヴァレッドなんかっ!! ……もうこの心の傷は、ティアナちゃんに埋めて貰うしかないのっ!!」
「だからなんでそうなるんですか!?」
綱にされたティアナはもう限界とばかりに目を回している。熱くなっている二人はそのことに気がついていないようだった。
「こら、二人とも! そろそろやめないか! ティアナさんが伸びてしまうぞ!」
見かねたアンドニがそう声をかけて、二人はようやくティアナを離した。
フラフラになったティアナは千鳥足のまま、ヴァレッドの胸元にすっぽりと収まる。
「ヴァレッド、とりあえず部屋に荷物を運び入れなさい。ダナは案内をよろしく頼むよ。もうすぐ夕飯の支度が出来るから、その時に改めて二人は話をしたらいい。くれぐれもティアナさんに迷惑をかけることがないようにな」
「……わかりました」
「そうですわね。……ヴァレッド、部屋を案内しますからついてきてください」
「はい」
ヴァレッドは足腰の立たなくなったティアナを抱き上げ、ダナの後ろを付いて歩く。
屋敷に入っていく三人を見ながら、アンドニは感心したように片眉を上げた。
「レオポールから話は聞いていたが、まさか本当にヴァレッドが拒絶をしない女性がいるとはな。アイツが自分から女性の手を握るとか、この目で見るまで正直信じられなかったぞ。しかも、先ほどは当たり前のように抱き上げて……」
「アンドニ様、これで驚いてたらこの先持ちませんよ」
彼の一歩後ろでそう言うのは、レオポールだ。
彼は片眼鏡を指で押し上げながら、どこか疲れたような顔をしていた。その隣には同じような顔をしたカロルの姿。
「最近あの夫婦のバカップルぶりは、拍車がかかっていますからね」
「恐ろしいのは、あれでお二人が両想いじゃないってところです……」
遠い目をする二人に、アンドニは思わず生唾を飲み下した。
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