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 ティアナは広いベッドに寝転がりながら、高い天井を見上げていた。その天井には小さいながらも月の光を浴びてキラキラと光るシャンデリアがある。隣には背を向けたヴァレッドがかすかな寝息を立てていて、彼女はその背中に身を寄せた。背中に触れた頬からはかすかな鼓動と深い呼吸が感じられる。

 ティアナはヴァレッドの温もりに笑みを零した。

 一緒に寝るようになってからわかったことだが、ヴァレッドの側はとても落ちつく。それこそ両親のベッドに潜り込んだ時以上の安心感だった。そのくせ、心臓だけはどくどくと煩く身体を内側から叩く。

「なんなのでしょうか。この感覚は……」

 思わずそう零したとき、その声で起きたのかヴァレッドの背がもぞもぞと動き出した。そして、くるりとティアナの方に向き合うと、彼女をおもむろに抱きしめる。一瞬、垣間見たヴァレッドの表情は眠気眼で、それだけで寝ぼけているとわかるほどだった。

 寝ぼけているヴァレッドはぎゅうぎゅうと彼女を締め付ける。その締め付け具合は、力加減を知らない子供のようだ。

「ヴァレッドさま、くるし……」

 ティアナはやっとのことで胸板から顔を離し、息を吸う。そうして頭上にあるヴァレッドの顔を見上げれば、アメジスト色の瞳がティアナを見下ろしていた。その瞳は半開きである。

「……眠れないのか?」

「そういうわけではないのですけれど、なんだか寝るのがもったいない気がしまして」

 新婚旅行は明日が最終日だ。最終日といってもそこからまた帰るまでの行程があるので、あると言えば、まだ数日はあるのだが、ファインツフォレストで過ごす夜は今日が最後である。

「結局、どこにもつれていてやれなかったな。……悪かった」

 寝起きだからか、いつもよりまったりとした声でヴァレッドはそう言った。しかし、その表情は申し訳なさそうに伏せられている。

 ティアナはそんなヴァレッドの言葉に勢いよく首を振った。

「いいえ! 十分楽しい旅行でした! 歌劇場にも連れて行って貰いましたし、エルサさんともお知り合いになれましたわ! また今度、シュルドーにも来てくださるそうです。お手紙を貰いましたの!」

「あれは連れて行ったうちに入るのか?」

「もちろんです」

 摘発に付き合わせただけの出来事を、ティアナは嬉しそうに話す。怖い思いもしただろうし、嫌なこともさせただろう。なのに彼女にかかれば、全てが良い思い出のようになってしまう。

 ヴァレッドはそんな彼女を再びぎゅっと抱きしめた。そうして、彼女を抱えたままぐるりと仰向けになる。

 ヴァレッドの身体の上に乗せられる形になったティアナは声も上げずに目を白黒させていた。

 普段なら恥ずかしがってこんなことはしないヴァレッドだが、やはり少し寝ぼけているのだろう。いつもより素直に動く身体はティアナを抱きしめたまま彼女の後頭部を撫でる。

「今度、時期を見て別の歌劇場に連れて行ってやる。そこではちゃんとオペラを観よう。新婚旅行の仕切り直しだな」

「それはとても嬉しいのですが、良いのですか? レオポール様が『旅行の日程が延びたから、仕事が溜まって大変だ!』と仰っていましたよ?」

「いい。心配しなくてもその辺はちゃんとやる。……あぁ、そうだ。父の別荘があるところの付近にそういえば歌劇場があったな。父にもちゃんと会わせたいと思っていたし、今度はそこに行くか?」

 ヴァレッドの提案に、ティアナの表情が一瞬にして明るくなる。まるで太陽のような笑顔だ。

「まぁ! 良いんですの? ヴァレッド様のご両親に会うのは少し緊張しますが、とっても、とっても楽しみですわ! ヴァレッド様をお育てになったんですもの! きっと素敵なご両親なのでしょうね!」

「緊張なんかしなくてもいい。父もその奥方もとてもいい人達だ。それに、そもそも君のことを嫌いになるやつがいるとは思えないしな」

 ティアナはその言葉に嬉しそうにはにかんだ。

「うふふ。そう言っていただけて、とても嬉しいです! もしかしてヴァレッド様もですか?」

「あぁ、好きだ」

「え?」

「あ」

 きょとんと目を瞬かせるティアナをその身体の上に置いたまま、ヴァレッドは自分の発言に口を覆う。みるみるうちに顔は赤く染まり、先ほどまで半開きだった瞳はもう完全に見開かれた。

「いや、これは……」

「ヴァレッド様?」

「まぁ、つまり、俺の気持ちはそういうことだ! と言うか、なんで俺は君を上に乗せているんだ!」

「これはヴァレッド様が……」

「わかっている! 覚えている!!」

 ヴァレッドはティアナを抱えたまま起き上がり、目の前に彼女を座らせた。そして、赤ら顔のまま視線を逸らす。

「そういうことだから、君の気持ちが定まったら、また君の気持ちも教えてくれれば嬉しい。焦らせるつもりもないし、俺のことをそういう風には見られないというなら、それでも構わないが……」

「そういうこと? とはどういうことですか?」

「――っ! 俺は君のことが好きだと言ったんだ!」

 その言葉にティアナは一瞬固まり、そして頬をピンク色に染めて破顔した。

「嬉しいです! ヴァレッド様は本当に素敵な方ですわ! 博愛主義でいらっしゃるのですね!」

「……なんでそうなるんだ」

「私も見習えるように頑張りますわ! こんな素敵な方と結婚できた私は、本当になんて幸せ者なのでしょう!」

 胸の前で手を組みながら喜ぶティアナを見て、ヴァレッドはがっくりと首を垂らした。

「俺から言わせれば博愛主義者は君の方だし、俺は世界中の半分を嫌悪しているんだがな……」

「嫌悪しているのに、それでも好きになろうとされているなんて、すごくご立派です!」

「君のそういうところは好きになれない」

 またもや勘違いを炸裂させたティアナは、ヴァレッドに抱きつきながら、ふふふ、と笑みを零した。

「ヴァレッド様、私も大好きですわ!」

 互いの顔が本当に触れ合うのではないかというところでティアナは笑う。

 そんな子供のように笑う彼女の唇に、ヴァレッドは自分のそれを押し当てた。

 意図的にした。というよりは、気がついていたら唇が重なっていた。という状況に、ヴァレッドは狼狽えながら視線を逸らす。

 ティアナは何が起こったのかよくわからないといった表情で自分の唇をなぞった。そして、目尻を赤く染めながら伺うような声を出す。

「ヴァレッド様、これは……」

「つい……」

「つい?」

「――っ、夫婦なんだから、このぐらいは当然だろう。君の両親だってこのぐらいはしていたはずだ!」

 開き直るようにそう言えば、ティアナは納得がいったかのようにぽんと両手を合わせた。

「そうですわね! お父様もお母様も、まるで挨拶のように毎日キスしていましたわ! 夫婦ですものね! 当然ですわ!」

 そう言った後、ティアナはヴァレッドの顔を掴み、ゆっくりと唇を重ねた。先ほどのもよりも少しだけ長い時間重なった唇は、小さなリップ音を残して離れていく。

「おやすみのキスですわ!」

 恥ずかしそうにそう言うティアナに、ヴァレッドは天を仰いだ。

「全く、君の前だと本当に格好がつかない」

「え、何か言いましたか?」

「いや、『覚悟していろ』と言ったんだ」

 よくわからないと首を捻るティアナの額にキスを落として、ヴァレッドはそのまま布団に潜る。

 ティアナもまるで彼に寄り添うように布団に入ると、ゆっくりと瞳を閉じた。

 こうして、二人の新婚旅行は幕を下ろしたのだった。

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