35

 数日後、ヴァレッドはティアナと一緒に歌劇場の前にいた。その後ろにはヒルデとハルトの姉弟がいる。

 ヴァレッドは真新しいドレスに身を包んだティアナをじっと見下ろしながら、疑わしそうな声を出した。

「本当に中に入るまでだぞ? 今回はただの偵察だが、どんな危険があるかわからないんだからな」

「はい、承知していますわ!」

「本当に本当だぞ!? 君は俺たちが中に入ったらすぐにヒルデと共にここを離れるんだ。いいな?」

「もちろんです!」

 にっこりと微笑みながらティアナはそう首肯する。そんな彼女にヴァレッドは盛大なため息をついて頭を抱えた。

 そう、今からヴァレッド達は歌劇場のオークション会場へと侵入するのだ。そこになぜティアナがいるのかというと、それはオークション会場へ入るための方法にあった。

 ノーブル宝石商がオークション会場に出入りしているらしいという情報を得た日、ヴァレッドは数人の兵を連れて、その日のうちにノーブル宝石商に向かった。そして、ティアナのブローチを証拠にノーブル宝石商の取締役を捕まえたのである。もちろん捕まえた理由は、偽物の石を本物と偽って客に売った件についてだ。

 そうして、その捕まえた取締役からヴァレッドは裏オークションが本当に歌劇場で行われている事実と、その会場に入る方法を聞き出した。

 しかし、その方法が問題だったのである。

「まさか、相手の指定した宝石の名前と特徴を当てるのが中に入るための条件だとは思わなかったな」

「しかし、相手の専門知識を求めるというのは警備の面から考えてもいい方法です。宝石商相手には宝石の知識を、それ以外の業種にもその知識を問うだけですから、いちいち何かを覚えなくてもいいですし。通行証のような物とは違い、他の者が入り込むこともない。さらには出題する問題を何度も変えることにより、厳重度が増しますからね」

 ヴァレッドの言葉にそう頷くのはハルトである。今回は女装ではなく、きちんとした男性の正装をしている。逆にいつもと様相が違うのはヒルデの方だった。彼女はいつもでは見られないような可愛らしいドレスに身を包んでいる。

「正直、ティアナ様がこんなに記憶力の良い方じゃなかったら、今回の侵入だって成立しない方法ですしね。まさか、店に置いてある宝石の種類と名前と特徴を一晩で記憶出来るとは思いませんでした」

 ドレスの裾を鬱陶しそうに払いながら、ヒルデはそう零した。そんな彼女にティアナは困ったように笑う。

「そんなたいしたことではないですわ。それに、こういう知識は繰り返し学習しないとすぐ忘れていってしまいますから、実際は付け焼き刃のようなものですし……」

「付け焼き刃でもつけれるだけすごいだろう。君がいなかったら外部から協力者を探すところだ。偵察の段階で外部に情報を漏らしたくはないし、どこに相手の協力者が潜んでいるかもわからない状況だからな。……正直、助かっている」

「そう言っていただけるのなら嬉しいですわ!」

 ヴァレッドの言葉にティアナははにかむように笑った。

 そうしているうちに順番が来て、ヴァレッド達は見事オークション会場へと侵入することが出来たのである。


 内部は想像していたより明るい作りになっていた。歌劇場内の三分の一を使っているためか、人の割に中は広く、作りも歌劇場内と遜色ないほどに煌びやかである。

 ヴァレッド達はオークション会場になっているホールまでの廊下で足を止めると、互いに顔を見合わせて小さく頷いた。

「では、ここで二手に分かれよう。ヒルデ、ティアナを頼むぞ」

「はい、お任せください。ヴァレッド兄様」

 畏まった顔のままヒルデは一つ頷く。

「ヴァレッド様、お気を付けて。ハルトさんも」

「あぁ」

「はい。お気遣いありがとうございます」

 ティアナの言葉に軽く返事をして、ヴァレッドとハルトは踵を返す。そうしてティアナとヒルデを残したまま、二人は先に進んでいった。

「では、私達も」

「はい」

 そうティアナがいつになく真剣な様子で返事をすると、ヒルデは先ほどまで着ていたドレスをおもむろに脱ぎだした。ドレスの下には元々七分丈のパンツを着用しており、いつも着ているシャツはスカートの中に隠してあった。そうしてシャツを着て、カツラを脱ぎ捨て、短い髪を一つに括り上げると、ハルトと見間違うばかりの少年が現れる。

 ティアナはその一瞬の早着替えに、思わず言葉を失ってしまっていた。

「女性を連れ出すというのに、男性がいないというのは話になりませんからね。本当なら私がヴァレッド兄様についていき、ハルトが貴女を案内すればこんな苦労はないのですが、最近兄様は私にも距離を置きたがるんですよね。嫌悪感というよりは、一種の条件反射みたいなものなのでしょうけど……」

 元々着ていたドレスを脇に隠しつつ、ヒルデは呆然とするティアナにそう説明をする。

「それでは、ティアナ様が体調を崩したので帰るという設定でお願いします。ティアナ様は何もなさらなくて良いので、お腹を押さえたまま俯いていてください。後は私がなんとかします」

 てきぱきとそう告げるヒルデにティアナはしっかりと一つ頷いた。

「わかりました! よろしくお願いいたしますね、ヒルデさん!」

「はい、お任せください。ですが、そんなに元気にされると嘘もまかり通りません。少しは体調を崩したような演技をして貰わなくては」

 苦笑いを浮かべながらヒルデがそういえば、ティアナは「そうね!」と元気に言い、腹部を押さえながら壁により掛かった。

「こ、こんな感じかしら? って、きゃぁぁっ!」

「ティアナ様!?」

 ティアナが壁により掛かった瞬間、その壁がくるりと一回転した。そして、ティアナは一瞬にしてその壁の隙間に吸い込まれていってしまう。

「か、隠し扉!?」

 ヒルデのそんな焦った声を聞きながら、ティアナは明かりのついていない真っ黒な空間に、身を投じてしまっていた。

 明かりないその空間は、どこまでも静かで、ひんやりとした空気を纏っていた。ティアナは地面にぶつけた鼻の頭を撫でながら辺りを見渡す。

「ここは……」

 縦に長いその空間はどうやら歌劇場とオークション会場の間に作られた空間のようだった。片側には壁があるが、もう片側には鉄格子。それは何区切りかに別れていて、まるで牢屋のようだった。いや、きっと実際に牢屋として使われているのだろう。その鉄格子の入り口とは反対側に、金属で出来た足枷が鈍く光っている。

 ティアナがそんな風に観察をしていると、突然、ガチャン、という金属同士が当たる音が聞こえた。ティアナはその音に顔を跳ね上げ、すかさず音のする方向へと駆け寄った。そして、息を詰める。

 そこにいたのはティアナよりは少し年上の女性だった。彼女の肌は病気のように白く、手足はまるで木の棒のように細い。ぬばたまのように黒くて長い髪は、頬に張り付いてしまっていて、その様子だけでは生きているのか死んでいるのかも判別できないほどだった。

 そんな彼女は一瞬だけティアナを視界に入れると目を見開いた。そして消え入りそうな声を出す。

「……ジス」

 幻覚を見たのだろうか、そう言った瞬間、彼女はまるで事切れるかのようにその場で気を失ってしまった。

「ちょ、あのっ!! 大丈夫ですか!? 返事をしてください!!」

「ティアナ様!」

 ティアナがまるで叫び声のような声を上げた瞬間、彼女の肩をヒルデが掴んだ。どうやらあの後すぐに飛び込んできてくれたらしい。

 そして、ヒルデも牢屋の中にいる女性の凄惨な姿を見て固まってしまう。

「ヒルデさん、彼女を助けます! 手伝ってください!」

 その言葉に、ヒルデは一瞬躊躇を見せた後、渋々ながらに一つ頷いてくれた。

「それ、後で絶対兄様に怒られるヤツですよ! 覚悟しておいてくださいね!」

「怒られるのは仕方がありませんわ! さぁ、鍵を探しましょう!」

「あぁ、もう! 脱出のプランが大幅に変更じゃないですか!」

 そう苛々と頭を掻きながらも、ヒルデはティアナと一緒に牢屋の鍵を探し始めた。


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