27
名前の刻印が終わるまで店内に待つことになったティアナとカロルは出して貰ったお茶を飲みながら、女店主と話をしていた。刻印をしているのは女店主の旦那で、彼女とは正反対の細身でおっとりとした男性だった。眼鏡の奥に見える糸目は常に笑っているように見える。着ているものもシャツと薄汚れた茶色のズボンで、どこまでもキラキラと派手な彼女とは正反対だ。
「うちの旦那はねぇ、優秀な職人なんだよ。宝石の加工から時計の調整まで、なんだってやってのけるのさ!」
「エルサ、僕はそんな……」
「良いんだよ。私が優秀っていったら、アンタは優秀なんだ! あんたは自信がなさ過ぎるんだよ!」
開きっぱなしになっている扉の向こうから聞こえてきた弱々しい声に、女店主――エルサは口を尖らせる。彼女の言の通りに、彼は優秀な職人のようだった。店の裏にある作業場には細かい何に使うのかわからない道具が所狭しと置いてあるし、机の上には作りかけの商品が転がっていた。その作りのどれもが精巧で、緻密で、デザインも一級品とわかるものばかりだ。
そんな彼を本当に誇りに思っているのだろう。エルサはまるで自分のことを話すかのように胸を張って嬉しそうに口を開く。
「実はね、『入ってきた』と言ったけれど、あの万年筆もうちの旦那が作ったものなんだよ。ほら見てごらん、このペン先。綺麗だろう? なめらかにインクが出るように試行錯誤を繰り返した結果なんだ。うちの旦那はこの街でも三本の指に入る職人だよ!」
「だから、エルサ……」
エルサは夫のその言葉に眉を寄せた。
「うるさいね! アンタはとっとと名前を彫る!」
「はいはい」
頬を掻きながら彼は作業に戻る。その後ろ姿を見てエルサはにんまりと頬を引き上げた。でこぼこな夫婦だが、でこぼこなりに仲は良いようだ。
「それにしても、貴女のような目利きの出来る方と技術のある職人のお店が、どうして文具屋になったのですか? あなた方のお店なら宝石商としても十分に魅力的でしょうに……」
そう言ったのはカロルだった。入れて貰ったお茶で唇を湿らしながら彼女は本当に不思議そうに眉を寄せている。
「おや? 嬉しいことを言ってくれるお友達だねぇ」
カロルの言葉に機嫌を良くしたのか、目を細め、大きな口を更に上に引っ張った表情で彼女は笑う。
そんなエルサにカロルは身なりを整えて会釈をした。
「私はティアナ様の侍女をしています。カロルです」
「ほぉ。侍女かい! やっぱりアンタは良いところのお嬢さんなんだねぇ。この辺の子なのかい? ここら辺は商人の出入りも激しいからねぇ」
ティアナは向けられた言葉に眉を寄せながら微笑んだ。エルサは、まさか目の前に座っている彼女が領主の奥方とは想像もしていないのだろう。良くて商家の娘程度にしか着飾っていないティアナである。当然と言えば当然だった。
「おっと、そんなことより、うちがなんで文具屋なんかしてるかって話だったね。それは、向かいのヤツに最悪なレッテルを貼られて商売が出来なくなったからさ!」
そう言いながらエルサはパイプの先で向かいの宝石商を指した。窓から見えるその宝石商は上から下まで豪華絢爛といった感じだった。象牙のような柱に緻密な彫り仕事。ショウウィンドウにもなっているのだろう、ガラスがふんだんに使ってある窓の奥には、キラキラとした世界が広がっていた。正面には金の女神像が客を出迎えている。
客入りは上々のようだ
「あそこの商品、本物の石と混ぜて偽物の商品を売ってるんだよ」
「えっ!?」
「精巧に作られたガラス玉なんだが、あんなもの私が見ればすぐにわかるのに素人目はダメだねぇ。簡単に騙されちまう」
そう言いながらエルサは不機嫌そうに紫煙をくぐらせる。
「エルサはそれを指摘して、逆恨みした向こうの主人にあることないこと言われちゃったんだよね? 『この店の商品の方が偽物だ』やら、『ぼったくり』やら。それが噂になっちゃって、客足がぱったり。あとから聞いた話なんだけど、どうやら奴らはサクラを使ってこの店の悪い噂を吹聴したらしいんだよね……」
その言葉は彼女の夫からのものだった。名前を掘り終わったのか、その手にはティアナが買った万年筆が握られている。
「うちはねぇ、良い商品をちゃんとした価格で売ってたんだよ! あいつらみたいにガラス玉を宝石と偽って安く売りたたいていたわけじゃない!」
荒々しくそう言いながらも彼女は出来上がった万年筆を綺麗にラッピングしてくれる。最後にリボンを付けた箱をティアナに渡しながら、エルサは苦笑いを浮かべた。
「ごめんねぇ、愚痴っぽくなっちゃって。まぁ、この店も嫌々やってるわけじゃないから、また来てくれたら嬉しいよ」
「はい! また来させていただきますわ」
エルサの手を握りながらティアナはにっこりと笑った。
◆◇◆
「先ほどの件、ヴァレッド様に報告しますか?」
「そうね。一応報告しておきましょうか。もし本当にガラス玉が宝石だと偽られて売られているのだとしたら、大変だし、買った方やエルサさん達が可哀想だわ」
店を出たあと、大通りを歩きながら二人はそんな話をしていた。午後から宿を出たためか、もう夕焼けの赤が地面の上を滑りはじめていた。三人の影はもう本人達の身長を飛び越えてしまっている。
「それでは報告は私がしておきます。ティアナ様の報告書を上げるついでにでも書いておきましょう」
二人の話を聞いたヒルデが、そう答えた。その少し大人びている雰囲気はとても十三歳のものとは思えない。
「お願いいたしますわ! 私もヴァレッド様に直接話してみるつもりです」
そう言ってティアナが微笑むと、先ほどまで大人びた雰囲気を纏っていたヒルデは一変した。彼女はティアナの手を取ると瞳を爛々と輝かせて詰め寄ってきた。
「それにしても、このタイミングでプレゼントとはさすがですね、ティアナ様! この調子で兄様をとことんメロメロにしてやってください! そして、あわよくば父様の解放を――っ!」
「ふふふ、気に入ってくださると良いのだけれど……」
「気に入らないとかほざいたら本当にもう絞めてやりますわ! ティアナ様との約束を蹴った挙げ句、プレゼントに文句をいう男なんてこっちから願い下げです!!」
カロルが願い下げでもあまり関係がないのだが、彼女はそう言いながら気炎を上げる。
そんなやりとりをしているとき、一行はちょうど歌劇場の前を通りかかった。前と言っても、歌劇場の敷地内はとても広いのでそれなりの距離がある。歌劇場の入り口では沢山の人が列をなしていた。皆それぞれに着飾って色めき立っている。
「本当だったら、ティアナ様もあそこに並んでいたかと思うと、あの仕事馬鹿の首を絞めてやりたくなりますわ!」
「カロル、もうそれは良いって言ったじゃない」
いきり立つカロルを、ティアナは苦笑を浮かべながら鎮める。そんな時、前をじっと見据えていたヒルデが「あ」と零した。その声にティアナとカロルもヒルデの視線の先を見る。
そこには紺色のドレスを着た美しい金髪の女性がいた。受付をしているのか、入り口付近で付き添いできた男性と腕を絡ませながら立っている。その横顔はとても可愛らしい。
ティアナの妹、ローゼが妖艶な美しさだというのなら、彼女は無垢な純粋さをその身に纏っているようだった。
そんな可愛らしい女性の隣にいたのは――……
「……ヴァレッド様……?」
仕事をしているはずのヴァレッド・ドミニエル、その人だった。
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