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 ティアナが立ち寄ったのは街の中にある小さな文房具屋だった。こじんまりとした店内には歩きにくいほどの品物が置かれている。羊皮紙やインク、羽ペンや紋章を彫る前のシーリングスタンプ、ガラスの箱に入った高級そうなペーパーナイフに桃色に着色された可愛らしい封筒。手の出しやすいパピルスやコンパスなど。その他いろいろなものが詰まったその店内は、雑多というよりおもちゃ箱のようだった。

 天井から吊り下げられている球体の照明は、赤や緑など色とりどりの光を店内に映し出し、また鉱石の街らしく店内にはオブジェのように色々な宝石の原石が置かれていた。

 店主は派手なドレスを着た年配の女性で、入り口付近のいすに腰掛けながら紫煙をくぐらせていた。白髪を隠すためだろうか、髪も真っ白に染め上げて高く結い上げている。パイプを持っている手には派手な彼女にふさわしい大きな宝石が輝いていた。

「ここに欲しいものがあるんですか?」

 ドアベルを鳴らしながらためらいもなく店の中に入っていくティアナに、カロルは不安げにそう聞いた。

 ちなみに、ヒルデは警護のためにと店の前で待っていてくれている。

 ティアナはカロルの方を振り向くと、一つ頷いた。

「ヴァレッド様にこれのお礼をしたくて、プレゼントを買いに来たんです! 出来れば日常でも使ってもらえるものがいいと思って……」

 ティアナがそう言って取り出したのは、ヴァレッドからもらった指輪だった。金色の台座には彼の瞳と同じ紫色の宝石が輝いている。鎖に繋がれているその指輪に店主が声を上げた。

「あんた、良いもの貰ったんだねー。ちょいと見せてごらんよ」

 人の好さそうな笑みを浮かべる店主にティアナは鎖を首から取り外し、指輪を手渡した。店主はその指輪についている石をルーペで覗き込んだあと、指輪の裏についている刻印を確かめる。

「いやー、ホント良い石だ。大きくはないが、純度の高いヴァイオレットサファイアだね。この色の濃さはここらへんで取れるものじゃない。輸入物かな。土台に使われている金もいい代物だ。内側はジルコニウムでちゃんと補強もされてるしね」

「わかりますの?」

 女店主の言葉にティアナは大きく目を見開いた。彼女はティアナに指輪を返すと、機嫌が良さそうに目を細める。

「私をただの文具屋の女店主だと思っちゃだめだよ! 今はこんなんだが、元は腕のいい石の鑑定士だったんだからね。ま、色々あって今はこんな感じになっちまったんだけどねぇ」

 彼女は狭い店内を見渡しながらそういう。そして、ティアナの方を見て赤い唇を引き上げ、にっこりと笑った。

「その石に見合うものというのはなかなかみつからないだろうが、男にプレゼントならこんなのはどうだい? 最近入ってきたものなんだよ。綺麗だろう?」

 彼女は目の前のガラスケースをパイプの先で軽く叩く。そのガラスケースの中には一本の万年筆があった。黒っぽい柄に金の装飾、蓋の先端には赤みの強い宝石が誂えてある。

 羽ペンのようなインクをつけるペンが一般的な中で、最近普及し始めた万年筆は高級品だ。

 持ち歩けるペンということで需要がある割には、精巧なペンの先を作れる職人が少ないからである。

「少し高いけどね。見るからにいいところのお嬢さんなんだ。これくらいは買えるだろう? それにこの先端のルベライト、あんたの瞳の色にそっくりじゃないかい」

 わざわざ鍵を開けて、女店主はペンを彼女の前に出してくれる。ティアナはその万年筆を手にとって石をじっと見つめた。

「確かに、ティアナ様の瞳にそっくりですわね。奥の方にピンク色の輝きがあるのも似ていますし……」

 少しだけ感心するような口調で、カロルもティアナの持つその万年筆を覗き込む。

「男ってことはお嬢ちゃんの恋人か想い人だろう? まぁ、この辺なら渡しても恥ずかしくない代物だ。ここら辺の懐中時計とかもおすすめだけどね」

「文具屋なのに時計まで置いていますのね」

「まぁ、ほとんど趣味でやってるような店だからねぇ」

 カロルの呟きにも女店主は律儀に返す。見た目はど派手で性格もきつそうに見えるが、中身は気のいい女性と言った感じだった。

「昔から宝石や石はお守りのように扱われてきたんだよ。人にやるならなおさらそういう側面は強くなる。このルベライトはね、物事の繁栄を願うお守りとして重宝されてきたんだよ。心の傷を癒すなんて効果もあるらしい」

「心の傷……」

「ま、医学的に効果があるってわけじゃないし、ほとんど願いとか祈りみたいなものだけどね。でも、誰かにそう願われているという事実は、人によっては医者よりも役に立つかもしれないだろう?」

 女店主はふーと煙を吐き出した。そして、肘をつきながらゆったりと笑う。

「まぁ、好きにしな。そこら辺の紙でも、羽ペンでも、こっちは売れればいいだけだからさ。それに、贈り物は値段じゃないしねぇ」

「……私、これにしますわ!」

 ティアナはそういってじっと見つめていた万年筆を女店主に差し出す。女店主はティアナのその言葉に「まいどあり」と機嫌よく返した。

「どうする? 少し時間をもらえるなら相手の名前を刻印してやれるけど。もちろん料金は前払いの上乗せだけどさ」

「お願いしますわ!」

 ティアナの即決に女店主の眉が上がる。

「料金も提示しないうちから即決かい。これは相当金に余裕があるのか、お馬鹿なのか、どっちかだねぇ」

 ティアナのことを『世間知らずなお嬢さん』とでも思ったのだろう、少しだけ嘲るような口調で女店主は唇を引き上げる。ティアナはそんな女店主をまっすぐ見つめてほほ笑んだ。

「どちらでもありませんわ! だって、こんな親切にしてくださってる店主さんが、料金をふっかけてくるなんてありえませんもの!」

 ティアナの視線は女店主を試しているようなものではない。彼女の瞳はどこまでも純粋に、言葉のままに目の前の女性のことを信じていた。

 そんなティアナに女店主は噴き出した。そうしてひとしきり笑った後、目じりの涙をぬぐいながらにやりと笑う。

「本当に世間知らずなお嬢ちゃんだね。……でもまぁ、嫌いじゃないよ、そういうの。今回だけは特別だ。追加料金は取らないでおこうじゃないか!」

 そう言った彼女にティアナは弾けるような笑みを浮かべた。

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