25
「ティアナすまない。明日、歌劇場には行けなくなった」
ヴァレッドがそう言ったのは、約束をしたその日の夜だった。二人っきりの寝室で、二人は膝をつき合わしたままベッドの上に座っていた。
ヴァレッドは眉間に皺を寄せたまま、申し訳なさそうに下を向いており、一方のティアナは、洗いたての髪の毛をタオルで拭きながらその言葉を受け止めていた。
「急に仕事が入ってしまって……。埋め合わせはいつかする。とりあえず、旅行中には難しそうなんだ。あんなに楽しみにしていたのに……すまない」
まるで苦虫を噛み潰したようなヴァレッドの顔をティアナはゆっくりと引き上げた。そして、にっこりと微笑む。
「ヴァレッド様、謝らないでください。こんな素敵な場所に連れてきていただいただけでも私は満足しているのですから!」
「だが……」
「ふふふ、それに埋め合わせをしてくださるのでしょう? 先の楽しみが増えたのに、私がっかりなんかしません! ヴァレッド様とのお出かけはいつも楽しくて……。だから私、いくらでも待てますわ。それに実は私、待っている時間もわくわくドキドキしてたまりませんの! そんな時間が増えのだと思ったら、ちょっと嬉しくて」
いつもの弾けるような笑みにヴァレッドは安心したように肩の力を抜いた。
「俺は良い妻を持ったな」
「まぁ! まぁ! もしかして褒めてくださっていますか!?」
「今のが褒めているように聞こえなかったのなら、俺は今後君をどう褒めて良いのかわからなくなるぞ」
「ふふふ、嬉しいです! とっても嬉しいですわ、ヴァレッド様!」
頬を桃色に染めながらベッドの上で小さく跳ねるティアナを、ヴァレッドは目を細めながら見つめる。
「明日は時間が取れないが、明後日以降は一緒に街の中を見て回れるような時間を作るつもりだ。もし、君が良いなら……」
「本当ですか!?」
ヴァレッドが言葉を発し終わる前にティアナはそう反応した。そして、桃色に染まった頬を恥ずかしそうに両手で覆う。
「とっても嬉しいです! 大好きです! ヴァレッド様」
「あ、あぁ……」
その言葉にヴァレッドは少し身を引きながら目尻を赤く染めた。
◆◇◆
翌日、夕方からの用事がなくなったことにより、一日暇になったティアナはカロルと護衛のヒルデをつれて午後から街に散策に出ていた。観光地としても優秀なファインツフォルストは沢山の観光客と行商人で賑わっている。鉱山が近く色々な鉱石が取れるためか、街のあちらこちらに宝石商が立ち並んでいた。
ティアナはそんな宝石商などには目もくれず、きょろきょろと辺りを見回しながら機嫌良さそうに町中を歩く。
彼女の後ろをついて歩く二人の顔は機嫌の良いティアナとは対照的に曇っていた。カロルに至っては歯ぎしりの音まで聞こえてきそうなほどだ。
「自分から誘っておいて、『やっぱり行けなくなった』はないでしょう……普通……」
「さすがの私も引きますね。ヴァレッド兄様の女心を理解してない様は、もう感嘆に値します」
地を這うようなカロルの声に、冷静なヒルデの声が冷たく重なる。ティアナはそんな二人の様子に振り返ると、頬に手を置いたままおっとりと首を傾げた。
「あら、そうかしら?」
「ティアナ様は優しすぎます! 普通の女性ならば怒りますよ!? ドレスだってもう頼みましたのに、どうするんですかあのドレス!」
「あら? 別に着れなくなるわけじゃないから取っておけば良いんじゃないかしら?」
「そうですけど! そうなんですけど!!」
先日注文したドレスは午、前中には宿の方に届いている。藍色のドレスはやはりあまり似合わなかったので、結局桜色から黄色へグラデーションがかかったドレスをティアナは注文したのだった。
「まぁ、そういうことでティアナ様が癇癪を起こされるような性格なら、ヴァレッド兄様もあそこまで気を許していないんでしょうけどね」
「それもそうなんでしょうが……。それにしてもティアナ様は都合のいい女になりすぎです! もっとこう、威厳を持っていただかなくては!!」
「それは同感です。兄様から夫婦としての主導権を得て貰わなくては、私、ひいては父様が困ります」
凜とそう返したヒルデに、カロルはじっとりとした視線を向ける。
「……貴女は何かにつけて自分のことが一番なんですね……」
「自分のことではなく、父様のことが一番なんです。貴女のように、純粋にティアナ様のことを慕ってお側にいるわけではないので当然です。……まぁ、私もティアナ様が嫌な人間とは思いませんが……」
「当たり前です! ティアナ様を嫌な人間呼ばわりする人がいるなら、私が締め上げますわ!」
カロルは右手の握り拳を反対側の手に叩きつけながらそう唸る。
「確かに私も少し残念に思ってしまいましたが、ヴァレッド様もお仕事で忙しいのですから仕方ないですわ」
「そもそも、新婚旅行に仕事を持ってくるのがおかしいのです! 確かに、道中あんな者達に襲われたので、その芽を潰しておきたい気持ちもわからなくはないですが……」
「兄様は元々仕事人間ですからね」
ティアナのフィローに二人は間髪入れずそう答える。ティアナは二人に少しだけ困ったような笑みを浮かべると、まるで話題を変えるかのように明るい声を響かせた。
「そんなことより、私二人に付き合ってほしい場所があるのですけれど、少し良いかしら?」
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