24

「なろほどー。ティアナさんは俺の小説の読者だったんですねー」

 男はあっさりと自分の正体を吐露した。あまり隠す気がなかったのか、焦りも狼狽もその顔には見て取れない。

「はい! 本当に、本当に、面白くて大好きな作品ばかりですわ! 特に魔法使いと異国の姫君シリーズは貸本屋で最初借りていたのですが、自分で買い揃えてしまいましたわ!」

「それは、それは! ご購入いただき、ありがとうございます」

 男はサングラスからでもわかるぐらいに目を細めてにっこりと微笑んだ。

 本は貸本屋から借りるのが一般的だ。活版印刷の技術向上で、手書きだった頃に比べると安価にはなったが、本はやはり高価な代物だからである。

 シリーズ十三冊。その全てを揃えるのは、貴族の娘であれど倹約家であるティアナには、それなりに勇気が必要な買い物だった。

「でも、ジスレーヌ・ジャクロエというのは女性の名前かと思っていましたわ。話の内容も女性向けのものばかりですし、てっきり……」

「作風がこんなんなんで、女性の名前にしたんですよー。本当の名前はジスっていうんです。お好きに呼んじゃって構いませんよー」

 へらへらと笑いながらジスは頭を掻く。ティアナはそんな彼の手を握ると、爛々と瞳を輝かせた。

「それならば、ジス様とお呼びしても?」

「“様”って言うのは生に合わないんで、ティアナさんさえ良かったら、もっと砕けた感じで呼んでいただけませんかねぇ」

 ジスの提案にティアナは彼の手を強く握りしめてぐっと身を寄せた。

「よろしいのですか!? 憧れの方にそんな……っ!」

「構いませんよ。むしろお願いします。ティアナさんみたいな良いところの子女さんに“様”付きで呼ばれた日には、身体がかゆくなってしまいそうですわ! それに旅ばかりしていて、ほとんど善意で生かされているような人間なんでね。まぁ、呼びにくいっていうことなら、無理にとは言わないんですが……」

「それならば、ジスさん、ではどうでしょうか?」

「ぜひ、それでお願いしますわ!」

 からりと笑うジスにつられてティアナもにっこりと微笑む。

 その時、ティアナの後ろから聞き慣れた声が彼女を呼んだ。

「ティアナ」

「ヴァレッド様っ!」

 ティアナが振り返れば、そこにはレオポールを引き連れたヴァレッドがいた。庭園は西棟と東棟、それぞれの廊下に面している。ヴァレッド達はたまたまそこを通りかかったときにティアナを見つけたのだろう。

 ヴァレッドはティアナと手を取り合うジスの姿を見止めると、これでもかと眉間の皺を深くする。

「……何をしているんだ?」

 低く唸るような声でヴァレッドがそういえば、ティアナはジスの手を離し、満面の笑みで彼に駆け寄ってきた。

「ヴァレッド様! ヴァレッド様、聞いてくださいませ!! あの方は……」

「ティアナさーん」

 ティアナがジスの正体を明かそうとすると、彼はのんびりとした声を響かせて彼女を止めた。ティアナが振り返ると、彼は人差し指を口元に近づけ「しー」という。

 その様子にヴァレッドのこめかみがぴくりと反応する。レオポールはヴァレッドのその様子に一つ息を吐いて、首を振った。

「え? ダメなのですか?」

 ティアナは首を傾げながらジスにそう問いかける。

「恥ずかしいからねー。さすがにバレたときはしょうがないとおもうけどさー」

「恥ずかしいことなんて! 素晴らしいお仕事ですのにっ!」

「そう思ってくれて嬉しいんだけど、やっぱりね」

「そう、ですか……」

 感動を誰かと分かち合いたかったのだろう。ティアナはしょんぼりと肩を落とす。そんなティアナを見下ろしながらヴァレッドは鋭い声を出した。

「ティアナ、アイツは誰だ?」

「えっと……ジスさんという方です」

「どういう関係だ?」

「どういう……」

「お友達ですよー。フレンド、フレンド! たまたまティアナさんの読んでる小説を俺も持っていましてねー。それで、その話で意気投合しちゃって!」

 ティアナが口ごもっていると、まるで助け船を出すようにジスがそう言って笑う。そして、ヴァレッドに近寄ると右手を出した。

「ジスといいます。以後お見知りおきをー」

「……ヴァレッドだ」

 渋々といった形でヴァレッドはジスの手を取る。そして、ティアナの肩を抱き寄せるとまるで威嚇するような声を出した。

「俺の妻が世話になっているようで感謝する」

「ヴァレッド様」

 ヴァレッドのその言葉に、ティアナは嬉しそうに頬に手を当てる。そんな二人を見比べて、ジスは満面の笑みを浮かべた。

「ほわー! ティアナさんご結婚されてるんですねー! こりゃいい話が聞けそうだわ! 色々質問しても良いですかい? なれそめとかも聞きたいなぁ!」

「はい! もちろん!」

 ティアナの元気の良い答えに、ヴァレッドの額に青筋がたつ。

「ティアナ」

「はい?」

「一応視察できているんだから身分は隠すようにしろ。貴族というのは隠しようがないだろうが、出来るだけ……」

「わかりました! 十二分に気をつけますわ」

 ヴァレッドとしては『あまりかかわるな』と言外にいったつもりなのだが、もちろん鈍感な彼女は気がつかない。

 ティアナはジスの隣に飛んでいくと「私もジスさんに聞きたいことがありますの!」と弾けるような声を出した。

その後ろ姿を見送ったあと、ヴァレッドは腹立たしげに自分の髪をくしゃりとかき混ぜた。


◆◇◆


 ティアナと別れたヴァレッドは廊下をいつになく大きな歩幅でずんずんと突き進んでいた。レオポールはそんなヴァレッドの後ろを駆け足でついて歩く。ヴァレッドの顔は明らかに不機嫌そうに歪められていた。

「そんなにお嫌だったのなら、ティアナ様を止めたら良かったでしょうに……」

 駆け足にも疲れたのか、レオポールが急に歩幅を緩めながらそういった。その声にヴァレッドも立ち止まる。

 ヴァレッドに追いついたレオポールは彼の隣に立つと、顔は動かさず、視線だけを彼に向けた。

 ヴァレッドは苦々しい顔つきでため息を落とした。

「俺は女に続いて、男まで嫌いになったんだろうか。あのジスという男を思いだすと、ひどく胸やけがする」

「それは一般的にヤキモチと言うんですよ。ティアナ様とジスさんが一緒にいるのが気に入らなかったんでしょう? だからそんなに酷い顔色になっているのでは?」

「別に俺はヤキモチなんてやいていない! あのジスという得体の知れない男と一緒にいる、ティアナのことが心配なだけだ! そうだ。そうに違いない!」

 まるで自分に言い聞かせるように、ヴァレッドはそう口にする。レオポールはそんな強情な主人に肩を竦ませた。

「この宿はちゃんとした身分がないと泊まれないところですよ。ジスさんがどのような方かは知りませんが、少なくとも不審者ということはないでしょう。……って、それぐらいは知っておられますよね?」

「まぁ……」

 ヴァレッドはばつが悪そうにレオポールから視線を逸らす。

「もういい加減、ティアナ様がお好きだと認めたらいかがですか? 別にご夫婦が互いを想い合っているというのは悪いことではないんですよ。むしろ良いことだと私は思いますが。……もうそろそろ、ご自分でも気付いておられるのではないですか?」

「…………」

 なんともいえない嫌そうな顔をしてヴァレッドはレオポールを見た。しかし、その口からは以前なら飛び出していた否定の言葉は出てこない。

 その代わりに出てきた言葉はなんとも淡々としていた。

「それより、先ほど見てきた死体について、お前はどう思った?」

「……また仕事に逃げようとしてますね」

「これは逃げじゃない。ティアナのことはまたちゃんと考える」

 その言葉にレオポールは「ほぉ」と意味ありげに呟いてゆっくりと歩を進め始めた。ヴァレッドもそれに倣うように足を動かす。

「先ほど見てきた盗賊の遺体ですが、肌の色と髪の色、共にティアナ様を以前誘拐した者達と同じものですね。くすんでいたのでわかり辛かったですが、瞳の色も同じものだと思います。恐らく、出身地域が一緒なのでしょう」

「やはりな……」

 先ほど二人は、来るときに襲われた盗賊の遺体を見にいっていた。腐敗の進んだその身体は見るに堪えなかったが、なんとか特徴だけは確認することが出来た。

 銀色の髪に褐色の肌。薄いグレーの瞳。あの時捕まえた神父だけは黒髪に白い肌だったので出身は別だったのだろうが、それ以外の十二人の男達は皆同じような容姿をしていた。

「東北の地域で何らかの犯罪集団があり、そこからやってきた者達でしょうか? 盗賊と麻薬の密造。どちらも秘密裏に売らなくてはならないものばかりですね」

「表だって金銭に変えられるものではないからな……。あの神父は小銭ほしさに町中でも少量売っていたようだが……」

 まるで嫌なことを思い出すかのようにヴァレッドは首を振る。レオポールは口元に手を置いたまま、ひたすらに何かを考えているようだった。

「それと、どちらもヴァレッド様が一度犯罪を摘発をした地域に現れています。これは組織だった犯行の場合、比較的最近出来た犯罪組織ということの証明になります。東北の方というと、一度地域紛争があったところですよね? テオベルク地方はあまり関係なかったと思いますが、もしかしたらその地域紛争が関係しているのかもしれませんね。たしか、あの紛争で追いやられた民族の特徴が褐色の肌に銀の髪と……」

「……」

「……なんですか?」

 じっと見つめてきたヴァレッドにレオポールは少し不機嫌そうな顔をする。するとヴァレッドは顎を撫でながら一つ頷いた。

「いや。やはりお前は庭師にしなくて正解だったと思ってな」

「……いっておきますが、私はあの頃本当に庭師になりたかったんですからね! 貴方が別のところから庭師を見つけて勝手に雇ってしまうから……!!」

「そうじゃないとお前は了承してくれなかっただろう?」

「当たり前じゃないですか!? こちとら平民ですよ!? 今まで庭師を目指していた平民に公爵家の家令をやってほしいなんて、本当に冗談かと思いましたよ!!」

 真剣な顔を一瞬で収めたレオポールはヴァレッドに掴みかかるほどの勢いでそう言う。いつものことなのか、ヴァレッドはどこ吹く風といった表情だ。

「レオ、今日の午後は自由にして構わないぞ」

「当たり前です! これ以上貴重な休日を潰してなるものですか!!」

 そういっている間に二人はレオポールの部屋についてしまう。もはや執務室代わりになっているその扉を開けて二人は中に入った。

 すると、吹くはずのない風が二人の頬を撫でる。風のした方向に目をやれば、両開きの窓が片方だけ開け放たれていた。

 ヴァレッドがその方へ行き窓を閉めようと手を伸ばす。すると、甲高いレオポールの声が彼の名を呼んだ。

「ヴァレッド様! 見てください、これ!!」

 その声にヴァレッドが振り返れば、レオポールは一枚の紙を掲げていた。

『この街の歌劇場は違法なものを取引するオークション会場として使われている』

 その紙は風に煽られてゆらゆらと揺れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る