21
「明日も早いんだから、もう寝るぞ」
そのヴァレッドの言葉で二人は床についた。明かりを消して、両側から布団に潜り込む。上掛けのシーツはもちろん一枚だけで、二人の間には申し訳なさげにクッションが二つ並べられているだけだ。
ティアナはヴァレッドの隣で仰向けになりながら、シーツを鼻先まで引き上げた。そして、嬉しそうに笑みを零す。ティアナが笑う気配にヴァレッドは彼女の方に視線だけを向けた。
「君はいつでも楽しそうだな。お泊まり会がそんなに嬉しいのか?」
「もちろんです! ヴァレッド様と夜通しお話が出来るんですもの! あぁ、何を話しましょうか!」
ティアナは興奮したようにそう言いながら、身体を右へ左へ転がした。そんな無邪気な彼女にヴァレッドは思わず笑みを零す。
「何か俺に聞きたいことでもあるのか?」
「それはもう沢山ありますわ! 食べ物だったら何がお好きなのか、とか、どんな趣味をお持ちなのかも聞きたいですし、あぁ、小さい頃はどんなことをして遊んだとかも気になりますわ!」
「小さい頃、か……。あまり聞いても面白い話ではないと思うが……」
ヴァレッドはティアナの言葉に小さく苦笑を漏らした。その笑い方にティアナははっとしてヴァレッドに詰め寄る。その顔は彼女には珍しく若干青ざめていた。
「もしかして私、聞いてはいけないことを聞いてしまいましたか!? あ、あの、先ほどの質問は、ヴァレッド様もかくれんぼや鬼ごっこなどをして遊んだ経験があるのか、とか、そういうことを聞きたかっただけでっ! ヴァレッド様の過去に踏み入ろうと思ったわけでは……」
ヴァレッドの母親のことを思い出したのだろう。ティアナは冷や汗を滲ませたままおろおろと視線を彷徨わせる。そうしてしゅんと身体を小さくさせると、申し訳なさそうな声を出した。
「ご気分を害したのでしたらすみません」
「いや、気分は別に害してはいない。それに、君が俺を生んだあの人のことを、聞きたがっているとは思っていないしな。俺は単純に、なんの変哲もない幼少期だったから話のネタにならないと思っただけだ」
「そうなのですか」
さすがのティアナもその話がヴァレッドのアキレス腱だとわかっているのだろう。彼女は明らかにほっとしたように息をつき、彼に詰めていた身体を元の位置に戻した。
ヴァレッドはそんなティアナの様子に視線を滑らせてから天井を見上げた。そうしてしばらく天井を見上げたあと、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「まぁ、君が聞きたいというのなら、話すが……」
その言葉にティアナは目を丸くする。
「前に怒ったのは勝手に話題になっていたからだ。君が聞きたいというのなら、別に話しても構わない。前にも言ったように、この話は秘密にしておかないといけないというわけでもないのだからな……」
「……ヴァレッド様は嫌ではないのですか?」
おずおずと伺うようにティアナはそう声を出した。暗闇の中にその音が消え入る前に、ヴァレッドの笑い声がその場にこだました。
「どうだろうな。自分からあまり話したことがないからよくわからない。君には怒ってしまったが、俺に堂々とこの話を聞きに来るような剛胆なやつはほとんどいなくてな。レオも俺に出会ったときにはもう知っていたし……。それに、まぁ、君にぐらいは自分から話した方が良いだろう? ……一応、夫婦なんだしな」
その言葉にティアナは全身の毛が逆立つ思いがした。そして、遅れて頬が熱くなる。
「まぁ、もちろん聞いても面白くない話だからな。聞きたくないのなら話さない。もうカロルから概要は聞いているだろうから必要ない話だろうしな」
「……聞かせていただけますか?」
その言葉にヴァレッドはティアナの方を見た。彼女はいつになく真剣な顔をして、ヴァレッドに身体を向けている。しかし、その瞳は本当に聞いて良いのか迷っているような色を含んでいた。
「ヴァレッド様がお嫌でないのなら……」
そう言って伏せるように視線を逸らす。ヴァレッドはそんな新妻の姿に困ったように笑うと、「どこから話せば良いんだろうな……」と視線を天井に巡らせた。
◆◇◆
「……まぁ、そういうことがあって、俺はそれ以来女が嫌いなんだが……」
ヴァレッドの口調は、その話の内容からはとても考えられないぐらい淡泊なものだった。もう何年も前のことでヴァレッドの中では区切りがついている話ということもあるのだが、まるで箇条書きにした内容をそのまま口にしているような、淡々とした話し方だった。
その淡泊さに普通の者は『大変だったんだな』ぐらいの印象しか持たないだろう。
しかし、彼女はそういう“普通”に当てはまらない人物だった。
「……なんで君が泣くんだ?」
「すみ、ません」
ヴァレッド側のシーツまでくるくると身体に巻き付けてティアナは丸まって泣いていた。その様子にヴァレッドは呆れたようにため息を一つ零す。
「泣かせるつもりはなかったんだがな」
「私も、泣くつもりなどなかったのですが……」
くるくると巻いたシーツの上から顔だけ出して、ティアナはずっ、と鼻を啜った。その姿はまるで蓑虫のよう。
ヴァレッドはティアナに身体を向けると、肘をつき、その上に頬を乗せた。そして、空いた手で彼女の目尻を拭う。
「悪かった。同情を引きたいわけではなかったんだが、結果的にそんな感じになってしまったな」
「謝らないでくださいませ! 私が勝手に泣いているだけなのですわ! ヴァレッド様が幼い頃、そんな辛い目に遭われていたなんて思いませんでしたから……」
「辛い目に……と君は言うが、何年も前の話だから実はあまり覚えていないんだ」
苦笑を漏らしながらヴァレッドがそう言うと、ティアナは身体に巻き付けていたシーツを勢いよくはぎ取り、二人の間に置いてあったクッションを脇に追いやった。そして、ヴァレッドにぐっと身を寄せ、彼の手をぎゅっと握りしめた。その赤茶色の瞳には決意の炎がゆらゆらと揺れている。
「……私、決めました! 私はヴァレッド様のお母様代わりになります!!」
「必要ない。父の奥方には良くして貰ったと言っただろう。それに自分の妻に母親役をやらせるなんて、乳離れの出来てない貴族のバカ息子みたいじゃないか。せっかく君と結婚したことで『男色』だの『女嫌い』だの『結婚できない偏屈屋』だの噂されなくなったんだ。これ以上別の噂を流されても敵わない」
「それでは、これは二人だけの秘密にしましょう」
きっぱりと断ったヴァレッドをさらりとかわして、ティアナは彼の頭を抱え込んだ。その思いも掛けない挙動にヴァレッドは息を飲んで固まる。彼の額には、ささやかながらも女性らしい二つの膨らみがしっかりと押しつけられている。
ティアナはヴァレッドの頭を撫でながら、ゆったりとした声を響かせた。
「幼い頃、私が寝れないときにお母様は毎晩こうしてくださいました。私、いつもそれでぐっすり眠ってしまって……」
「良いと言っているだろう! 何をやってるんだ君はっ!! もういい! いい加減寝ろ! 頼むから寝てくれ!!」
ティアナの思い出話が始まる前にヴァレッドはティアナから無理矢理頭を引きはがした。そして、ゆでだこのように赤く染まった顔を隠すことなく、そう声を張る。
ティアナはそんなヴァレッドに臆することなくおっとりと頬に手を当てた。
「でも、まだ眠たくなくて……」
「……じゃぁ、こうだ!」
そして今度はヴァレッドがティアナの頭を抱え込んだ。そして、彼女の木欄色の髪の毛をまるで梳くように撫でる。
「君はこれですぐ寝ていたんだろう? それならこれで……」
「…………」
「……ティアナ?」
急に静かになったティアナに胸板にある頭をのぞき込めば、もう彼女の瞳はしっかりと閉じられていた。薄く開いた唇からは深い呼吸が一定のリズムを刻んでいた。
「秒殺だな」
あまりのあっけなさにヴァレッドは思わず肩を揺らして笑ってしまう。
「……なんだか、俺も眠たくなってきたな……」
腕の中にある心地良い体温に瞳を閉じれば、あまりにもあっけなくヴァレッドは夢の中に落ちていってしまった。
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