20

 夜もすっかり深け、星が暗闇の天井を輝かせる刻限。

 浴室の脱衣場にカロルとヒルデ、そしてティアナはいた。その浴室は夫婦の部屋に備え付けられているもので、現在三人のいる脱衣場は寝室と繋がっている。

 ティアナを挟むようにして、カロルとヒルデはまるでいがみ合うかのように、互いににらみ合っていた。彼女たちの手にはそれぞれに薄い布の夜着が握られている。

「ティアナ様、本日は是非こちらの夜着を着てくださいませ!」

「ヒルデさん! ティアナ様になんて破廉恥なものを着させようとしているのですか!? 黒い透け感のあるデザインの夜着なんていやらしいにもほどかありますっ! ティアナ様にはもっと清楚で可愛らしいデザインの方が似合います!!」

 二人は互いの夜着をティアナに押しつけながら屋敷中に響き渡りそうな声で気炎を上げている。もちろん防音対策のしっかりしている宿なのでその心配は不要なのだが、ティアナはその間で困ったように眉を寄せて二人を交互に見ていた。

「そんなただ可愛らしいだけの夜着など、今宵はまったくの不要です!! 事実上の初夜ですよ!? 攻めるべきです! 攻撃は最大の防御とも言いますし!!」

「なんの話をしているのですか!? ティアナ様は今から戦いに赴かれるわけではないのですよ!?」

「なにを言っているのですか!? ティアナ様は今から戦いに赴かれるのです! 今日どうなるかによって夫婦の力関係は微妙に変わってくるのです!! 今後の夫婦関係、兄様に主導権を握られたままで良いのですか!? 良くないでしょう? 私としても是非、ティアナ様に主導権を握って欲しいと考えているのです!」

 ヒルデはわからない子供にまるで言い聞かせるような口調でそう言う。それを言われたカロルは頭一つ分小さなヒルデを見下ろしながら、頬を引きつらせた。

「貴女本当に十二歳ですか!? 早熟にもほどがありましてよ!」

「先日十三になりました! ご心配には及びません! 父と母のやりとりで、男女間のことは割と理解しているつもりです!!」

「あの……」

 二人の会話を遮るようにティアナは声を発した。その戸惑ったような声にカロルとヒルデは弾かれたようにティアナを見た。

「ティアナ様、是非この夜着にしてくださいませ! ティアナ様の可愛らしさを引き立てる素敵なデザインですよ! ほらこのフリルも素敵だとは思いませんか!?」

「ティアナ様、ヴァレッド兄様は昔から黒を好んで着られていたので、この夜着を着たらとてもお喜びになります! 薄い生地なのでティアナ様は肌寒いかもしれませんが、それも兄様に暖めて貰えば……」

 必死な二人の様子に若干おののきながらも、ティアナは恐る恐る口を開いた。

「あの、二人がなにを言ってるのかよくわからないのだけれど、私はいつもの夜着を着ることにしますわ。そちらのは夜着はどちらも生地が薄そうなので寒そうですし、旅行の最中ですから風邪をひいても嫌だもの」

「それはいけませんっ!!」

 その言葉はカロルとヒルデの両方から同時に出た。

 そしてカロルはティアナの両肩をがっしりと掴んで、彼女の身体をガクガクと揺さぶる。

「ティアナ様の初夜に色気もへったくれもない夜着を着させたとあれば、末代までの恥!! せめて! せめて! 私が用意した方の夜着は着てくださいませ!!」

「そうです! ティアナ様が着られている普段の夜着は知りませんが、大体の予想はつきます!! そんな夜着で現れたら兄様もがっかりしますわ! 兄様だってティアナ様のお姿を楽しみに……っ!!」

 ヒルデがそう叫んだ時、少しだけ控えめに扉がノックされた。寝室へと繋がる扉だ。その音にその場にいた全員の視線が扉に集まる。

 そしてその扉の向こうから咳払いが一つ聞こえてきた。

『楽しみにもしていなければ、普通の夜着で現れてもがっかりしない。頼むからお前達はティアナに変な入れ知恵をしないでくれ! ……あと、そういうことを話すなら、もう少し声を控えるべきだと思うんだが……』

 そのままもう一度咳払いをして、ヴァレッドの気配は扉から消えた。

 脱衣室には少し気まずそうに顔を赤らめたヒルデとカロル、そしてよくわからないと首を傾げるティアナだけが残った。


◆◇◆


「ヴァレッド様、お待たせいたしました!」

「あぁ……」

 あれからしばらくして、身を清めたティアナはいつもの夜着を着て脱衣室から寝室へとやってきた。いつもの夜着は足首まであるような半袖のシュミーズドレス一枚だ。冬にはそれに何枚か重ね着をするのだが、現在の季節は夏。身体のラインがよくわかる服にもかかわらず、ティアナはまったく恥ずかしがることなく、ヴァレッドの隣に腰掛けた。その腰掛けた先は部屋にたった一つしか無いベッドである。

 ティアナが隣に座った瞬間、まるで距離を取るかのようにヴァレッドは立ち上がると、おもむろにソファーの上にあったクッションや互いの枕などをベッドに並べ始めた。それはまるで一つのベッドを二つに分けるように置かれている。

「最初は俺がソファーで寝ようかとも考えたんだが、どうせ君のことだから『私もそちらで!』とか言い出しかねないだろう? だからこうしてみようとおもうんだが……」

 赤ら顔で眉間に皺を寄せたまま言葉を続ける。

「君が右側。俺が左側だ。俺は君の方には絶対に近寄らないと約束しよう」

「『近寄らない』というのは、もしかしてヴァレッド様は寝相が悪いのですか? お気遣いありがとうございます! しかし、そんな風にお気遣いいただかなくても、私は大丈夫ですわ! 実はローゼも昔は相当に寝相が悪かったのです! 一緒に寝ていた頃は蹴飛ばされないように端っこで寝るのが得意でしたの! それにせっかくのお泊まり会ですし、私はヴァレッド様のお顔を見ながらお話がしたいですわ」

 ベッドを分けていたクッションをソファーに戻しながらティアナは朗らかに笑う。ヴァレッドはティアナの手からもどしかけのクッションを取り上げると、赤ら顔のまま彼女を見下ろした。

「俺は別に寝相が悪くこういうことを言ってるんじゃない!」

「あら? じゃぁ、どうしてですか?」

 本当にわからないと首を傾げるティアナにヴァレッドは小さく唸り声を上げた。

「君は俺が男だということを忘れているんじゃないのか? 君はもう少し慎み深い人物だと思っていたのだが……」

「ヴァレッド様が男性だということはもちろん忘れていませんわ。……もしかして、ヴァレッド様は私と寝るのがお嫌だったのですか?」

「いや、他の女性となら考えられないが、まぁ、君となら……って、そういう話じゃないだろう!? 君は危機感ないのか、といいたいんだ!?」

 ヴァレッドが思わずそう吠えると、ティアナはやはりわかっていないように首を傾げた。そのティアナの表情にヴァレッドは思わず頭を抱える。

「危機感ですか? お父様とお母様もいつも同じベッドで寝ていますし、それとは違うのですか?」

「……違わない……が……。まぁ、君と俺がどうこうなるはずがないのだから、気にするだけ無駄ということか……」

 それ以上の反論が許されない言葉に、ヴァレッドは諦めたように頭を振った。そして、ベッドに腰掛ける。

 ティアナも後を追うようにその隣に身を寄せた。そして、少し恥ずかしがるような声を出す。

「それに、私もいつかはヴァレッド様との子が欲しいですし……」

「はぁ!?」

 今日一番の大きな声に空気が震えた気がした。

 ティアナは染まった頬を両手で包みながらヴァレッドを見上げている。

「き、君はどこでそんな……。いや、夫婦なのだから当然と言ったら当然なのだが……」

 じりじりとティアナから距離を取りながら、ヴァレッドは生唾を飲み込んだ。冷や汗が輪郭を伝い、手の甲に落ちる。

 ティアナはそんなヴァレッドの様子に気付くことがないまま、小さなガッツポーズを胸の前に掲げた。

「お母様は詳しくは教えてくれませんでしたが、男性と寝れば、その人との子供を授かると聞きました。ですからこれはチャンスだと思いまして!」

「チャンス!? 君がそれを言うのか!? 普通、そういうことは男性側が言うものだろう!?」

「あら、そうなのですか?」

 常識がなくてすみません、とティアナは笑う。ヴァレッドは視線を彷徨わせながら言葉を選ぶ。

「き、君は子供がどうやって出来るのか知ってるのか!?」

「お母様からは、男性に身を任せれば……としか。もしかして、なにか儀式のようなものをすれば良いのですか?」

「儀式……。まぁ、儀式。そうだな、儀式だ」

「じゃぁ、ヴァレッド様! 今日はその儀式を……」

「今日はダメだ!! 絶対にダメだ! 心の準備が出来ていない!!」

 心臓を押さえながらヴァレッドはそう吠えた。あまりにも必死なその形相にティアナはしょんぼりと肩を落とす。

「ダメなのですね。……わかりました」

「べ、別に君とそういうことが出来ないとか、したくないというわけではないからな!! ただ、こういうのは互いにちゃんとした了承がなくてはならないものだと思っているし、一時の感情で行って良いものでもないと思っている!! いや、別に君に対する感情が一時のものだと言っているわけではないのだが……って、俺は何を言っているんだ……」

 早口でそうまくし立てたあとに、ヴァレッドはがっくりと肩を落とした。ティアナはヴァレッドのその言葉に少し考えるようなそぶりを見せたあと、彼の顔を覗き見た。

「その儀式を今行うべきでないということはわかりました。……それでは、しかるべき時、いつかその儀式をしてくださいますか?」

 ティアナの上目使いヴァレッドは一瞬固まって、、そうしてティアナに聞こえるか聞こえないかぐらいの声を吐き出した。

「……あぁ、まぁ、いつかな……」

 その約束にティアナは「楽しみにしていますね!」と笑ったのだった。

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