17

「なんでこんなことになっているんだ……」

 そう呟いたのはもちろんヴァレッドである。洞窟の壁を背にして座る彼の前にはティアナの姿。彼女はヴァレッドに寄りかかりながらぐっすりと眠っていた。毛布はヴァレッドの背を中心にぐるりと二人を覆うように掛けられている。

 結局、毛布を譲り合った末の折衷案がこれだった。どうしても渡すと聞かないティアナに、ヴァレッドが自ら提案したものだ。しかし、ヴァレッドはその時の選択を後悔していた。

 どうしようもなく、いたたまれない。

 ヴァレッドの立てた両膝を割るように身を置いているティアナは、まるですり寄るように身体を捩った。ヴァレッドはその度に身を固まらせ、息を詰める。一方のティアナは幸せそうに顔を緩ませながら、何か寝言のようなものを呟いていた。その頬はほんのりと桃色だ。

「まぁ、君が暖かいのなら良いか」

 その言いながら、ヴァレッドは川に落ちたばかりのティアナの姿を思い出した。

 死んでいるのかと思うような低い体温に、浅い呼吸。水を吸った服が彼女を川底に引き釣り込もうとしていたが、ヴァレッドはそんな彼女を必死に岸に引き上げた。

 幸いなことに飲んだ水は少しだったが、ティアナが意識を失っている事実に、どうしようもなく肝が冷えた。

「あの時は生きた心地がしなかったぞ」

 ヴァレッドはそうごちながら、ティアナの小さな頭を撫でる。

 実際にヴァレッドが直後に飛び込まなかったらティアナの命は無かっただろう。そのぐらいの状況だった。

「今日は、疲れたな」

 そう微笑みながら、ヴァレッドは欠伸をかみ殺した。


◆◇◆


「ティアナ様っ!! なんとお労しいっ!!」

 そう言いながら、ティアナをひっしと抱きしめるのはカロルだ。

 ヴァレッドとティアナの二人は捜索に乗り出していたジルベールの部隊に発見され、明朝、無事に本隊と合流することが出来ていた。

 幸いなことに近くに大きな街があり、一行は現状確認と物資補給のため、そこで一泊することとなった。

 ヴァレッドは新しく取った宿のベッドでぐったりと座りながら、ジルベールからの報告を聞く。

「山賊とみられるものたちに取られたものはありませんが、戦闘の時に馬を一匹やられてしまいました。現在、代わりの馬を探しています。それと、ヴァレッド様達を襲った奴らですが、こちらでは詳細はつかめませんでした。しかし、状況からみて、馬車を襲った者達と無関係とは考えにくいです」

「そうか。……馬車を襲った奴らは捕らえたか?」

「いいえ。生きている者は一人も捕まえられませんでした。死体だけでしたら三人分。……今見られますか?」

「……あとでいい」

 ヴァレッドはそう言って、背中からベッドに倒れ込んだ。少しでも目を瞑れば睡魔が襲ってきそうな疲弊ぶりだ。それもそうだろう。川に落ちたティアナを引き上げ、夜は火の番で一睡もせず、靴を流された彼女をおぶって、馬が待つ広い山道まで長い坂を登ったのだから。その疲労は計り知れない。

 入り口付近に立っているジルベールは、小さく息をつきながらも、少しだけ口角を引き上げた。

「お疲れですね。奥様と過ごす夜はそんなに楽しかったですか?」

「茶化すな。……それより、ティアナは診療所から帰ってきたか?」

「はい、先ほど。見立て通りに、矢には毒など塗られていなかったそうですよ。傷も数日から数週間で消えるとのことです」

「そうか」

 どこか安心したように息をついて、ヴァレッドは目元を腕で覆った。

「あとは任せても良いか?」

「はい、大丈夫ですよ。お眠りになられますか?」

「あぁ。……それと、一つだけ頼みがある」

 先ほどとは違い、ヴァレッドは真剣みを帯びた声色を出す。ジルベールもその雰囲気に少しだけ身を引き締めた。

「なんでしょうか?」

「ハルトを貸してくれ。レオを呼び寄せたい」

「了解しました。単騎で迎えに行かせます」

 ジルベールはそう言って頭を下げた。


◆◇◆


「ティアナ様、本当に、本当に、大丈夫ですか!?」

「大丈夫よ、カロル。お医者様もそう言っていたじゃない。最近はずいぶんと心配性なのね」

「それは貴女様が無茶ばかりされるからでしょう!?」

 ティアナのために取られた部屋でカロルは彼女の周りをくるくると回りながら心配そうな声を出す。ティアナはその円の中心でおっとりと微笑んでいた。

「ヴァレッド様のところに来てから、貴女は危険な目に遭いすぎです! 確かにヴァレッド様を庇ったティアナ様の行為は素晴らしいと思いますけれど、これでは私の心臓がいくらあっても足りません! もう少し考えて行動なさってください

っ!」

「あら、でも仕方ないわ。勝手に身体が動いてしまったんだもの」

「そうでしょうけど! 貴女はそういう人でしょうけど!!」

 行き場のない感情にカロルは頭を抱えながらティアナに言い募ろうとする。しかし、そんなカロルにティアナはいつもの笑みを向けた。

「それに、ヴァレッド様と過ごした一夜。とても楽しかったですわ」

 何か大切な思い出を巡らすかのようにうっとりとそう言って、ティアナは頬を桃色に染め上げた。そして、両手で顔を包むと「ふふふ」と楽しそうに笑い出す。

 カロルはそんな楽しそうな主人の姿に顔を青くさせた。

「……まさか。まさか、絶対にあり得ないとは思いますが、ヴァレッド様と何かありましたか!?」

「何かって、なんですの?」

「その……、こう、大人なことといいますか……」

 ティアナの純粋無垢な瞳にカロルは頬を染めながら両手で意味のないジェスチャーをしてみせる。「夫婦なら当たり前のことなのですけれど、あの人に限ってそれはないというか……。そもそもそんな状況じゃないといいますか……」

「なにを言ってるのかよくわからないわ」

 こてんと首を傾げてティアナは困ったように眉を顰めた。カロルはそんなティアナに「あーぅー」と小さく唸る。

「カロルさんは『ヴァレッド様に肌を見せたのですか?』と聞きたいんですよ。ティアナ様」

 まるでカロルの想いを代弁するかのようにそう言ったのは、一部始終を扉の前で見守っていたヒルデだ。一番年下であるはずの彼女が、なぜか一番落ち着いた様子である。

 ティアナはその言葉に「肌を?」と聞き返し、そうしてにっこりと満面の笑みを浮かべた。

「えぇ。私が気を失っている間に、ヴァレッド様が親切にも脱がしてくださりました!」

「……ぬが……」

「へ? 兄様が?」

 ティアナの言葉に、カロルも先ほどまで澄ましていたヒルデもぴたりと固まった。

 ティアナとヴァレッドが見つかった時に、その場に居合わせたのはジルベールだけである。なので二人は谷に落ちたという報告だけ聞いていて、川に落ちたということはまだ聞いていなかったのである。

「初めて男の方の肌に触れたのですが、不謹慎にも少しドキドキしてしまって……」

 ティアナの頬の染めように、カロルは錆びてしまったブリキ細工のような緩慢な動きで一歩後ずさった。

「ティアナ様は、ティアナ様はお受け入れに……?」

「受け入れ? どちらかといえば、私が受け入れてもらった側ですわ」

 ヴァレッドの腕の中で眠りについたことを思い出し、ティアナは照れたような笑みを浮かべた。

 そんなティアナの肩をカロルはわなわなと震えながらひっしと掴む。そして、血走った目を彼女に向けた。その恐ろしい形相に、さすがのティアナも困惑したような顔になる。

「カロル、どうしたの?」

「そんな、外で……。しかも、こんな時に……」

「カロル……?」

「ティアナ様はお嫌ではなかったのですか?」

 まるで泣き出しそうな顔のカロルにティアナは満面の笑みで一つ頷いた。

「えぇ。幸せでしたわ」

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