16
「ヴァレッド様! すみませんでした! 謝りますから、どうか機嫌を直してくださいませ!」
「嫌だ!」
ヴァレッドはそう言いながら狼狽えるティアナから顔を逸らす。ツンと顎をあげている様はまるで子供のようだ。
音が良く響く洞窟内で二人はまるで言い争うように声を上げていた。
「大体、君はよく考えずに発言をすることが多すぎる!! 俺は君の体温がこれ以上下がってしまわないようにと必死に処置をしただけだというのにっ!」
「それは本当にすみませんでした! ですが、私もあの時は狼狽えていて……」
「そもそも! 君は俺が女嫌いだと知っているだろう!? 俺は女に対してそういう気持ちにならないんだ! だから君の肌を見ても俺は何も思わないっ!!」
頬を染めていた事実を都合良く忘れて、ヴァレッドはそう声を張る。ティアナはその言葉にはっとした表情になった。
「そ、そうですわよね! ヴァレッド様はまだレオポール様のことが……」
「それも違う!!」
ティアナの言葉を遮るようにヴァレッドはそう吠えた。そして、指先を彼女の鼻先に突きつけると唸るような声を出す。
「いいか? この際だからはっきり言っておくぞ! 俺は男色家でもなければ、レオの恋人でも、元恋人でもない!! これは恥ずかしがっているわけでも、嘘をついているわけでもない! 純然たる事実だ!」
言葉尻はキツいが本当に怒っているという雰囲気ではない。どちらかと言えば、兄妹のじゃれ合いに近い雰囲気である。なのでティアナも彼の剣幕に臆することなく、いつもと変わらない様子で首を捻った。
「女性がお嫌いで、男性が対象外ということでしたら、ヴァレッド様は今後恋人は作られないご予定なのですか?」
「……『作られないご予定なのですか?』って、そもそも俺は君の夫だろう? 俺の妻として、その発言はどうなんだ?」
呆れたような表情になりヴァレッドがそう尋ねれば、ティアナは更に首を捻った。
「ですが、貴族の結婚などほとんどが政略結婚ですし、相手以外に恋人や妾を作るのが普通なのではないですか? 幸いなことに私の両親は互いに想い合って結婚することが出来ましたけれど、実際はそう上手くはいかないと聞いております」
「確かにそういう者は多いが……。だから君は俺とレオの仲をあんな風に誤解したのか」
そもそも自分の夫がどこかで恋人を作ると思い込んでいるティアナである。そんな彼女が女嫌いのヴァレッドに嫁いできたのだから、彼の一番近くにいる男性を彼の恋人として認識してしまうのも理解できないこともない。
「えっと、……本当にヴァレッド様とレオポール様の間には何もなかったのですか?」
「くどいぞ」
最終確認といった具合にそう聞いてきたティアナをヴァレッドは一蹴する。そして、ある事実に気がついて、眉間の皺をこれでもかと掘り下げた。
「……というか、その法則でいくのなら君もいずれはどこかで男を作るつもりなのか?」
「いいえ! まさか! 私はこんなにお優しいヴァレッド様と結婚できてとても幸せですし、満足していますわ! なのでそういうことは一切考えておりません」
「……そうか」
ティアナの断言にヴァレッドの肩の強張りが解ける。そんな小さな変化に気がつかないまま、ティアナは言葉を続けた。
「そもそも私、恋愛というものをよくわかっていないんです。恋愛小説などには共感できるのですが、自分のこととなるとよくわからなくて……」
「そうなのか?」
「はい。たとえば、友情の『好き』と恋愛の『好き』の違いが私にはよくわからないのです。カロルも、レオポール様も、ヴァレッド様も、私は皆等しく『好き』ですわ。確かに付き合った年数や関係で多少は気持ちが違うということもありますが、そのどれが友情のもので、恋愛のものなのか、私には区別がつかないのです。……ヴァレッド様はお解りになられますか?」
きょとんと首を捻りながら見つめられて、ヴァレッドは頬を掻いた。そして、口をへの字に曲げたまま眉を顰める。
「……正直、『解る』『解らない』以前に、そういうことを考えたことがない」
女性が嫌いで、男色家でもない。そんなヴァレッドが恋愛ごとそのものについて考えたことがないのは当たり前のことだった。
ティアナはヴァレッドのその答えに、嬉しそうに柏手を打った。
「まぁ! ではヴァレッド様も私と同じで恋愛初心者なのですね!」
「俺と君を一緒にするな。君がどうだか知らないが、『恋愛』なんていうのは俺から一番縁遠い言葉だ。だから俺は『解ら』なくても問題ない」
そういいながらヴァレッドは小さくなり始めた火に薪をくべる。その横顔は本当に興味が無さそうに見える。
「たとえばの話なのですが、ヴァレッド様はどういった女性でしたら恋人にしても、いいえ、側にいても良いとお考えになるのですか?」
「そもそも『女性』という時点で論外だ」
「それでは男性や女性というのは関係なく、人として良いなと思うのはどんな方ですか?」
「……そうだな……」
少しだけ顎に手を置いて考えるようにした後、ヴァレッドはティアナの顔をじっと眺めた。そして、表情を緩める。
「脳天気で、お気楽で、なにも考えてなさそうなのに、度胸だけは一人前で。……何があっても、いつも笑っているようなヤツなら……。まぁ、一緒にいても楽しいかもしれないな」
その言葉にティアナはほほう、と神妙に頷く。そしていつになく表情を引き締めると、大きく一つ頷いた。
「ヴァレッド様は変わった方がお好きなのですね! わかりましたわ! 私、ヴァレッド様に愛想を尽かされないよう、そのような完璧な女性になって見せます!」
そう宣言する彼女にヴァレッドは可笑しそうに肩を揺らした。
「ま、頑張ってくれ」
「はい! もちろんです!」
そう答えた時、ティアナが小さくくしゃみをした。その様子にヴァレッドは気遣うような視線を向ける。
「大丈夫か? 寒いのか?」
「大丈夫ですわ。少しぞわっとしただけですから!」
「……今までの経験上、君の大丈夫はいまいち信用に欠けるんだが。あいにく毛布も一枚しかないし、俺の服も君の服も乾いていないからな……」
悩ましげにヴァレッドは眉を寄せる。
夏の初めといっても水に濡れたままで過ごすには寒い季節だ。
ティアナはヴァレッドの言葉に目を見開く。
「え? 毛布一枚しかないんですの?」
「あぁ。もう二、三枚あれば良かったんだが……」
その言葉をヴァレッドが言い終わるか言い終わらないかで、ティアナは立ち上がった。そして自らを覆っていた毛布をはぎ取ってしまう。
「ヴァレッド様、これをっ」
「き、君はっ! 何をしているんだっ!」
突然下着姿になったティアナにヴァレッドは赤ら顔で仰け反った。口元を手の甲で隠し、視線をティアナに合わせないようにしている。
そんなヴァレッドにティアナは容赦なく詰め寄った。
「私は十分に暖まりましたから、こちらをっ! そのままではヴァレッド様が風邪を引いてしまいますっ!」
「いや、結構だ! 大丈夫だ! 遠慮しておく!! 俺はもう十分に、十二分に暖かいから、それは君が使ってくれっ!」
「ヴァレッド様、ご無理をなさらないでくださいっ! そんなに身体が濡れたままで暖かいわけありませんわ!」
ぐいぐいと押しつけてくる毛布をそれ以上の力で押し戻しながら、ヴァレッドは必死にティアナから目を背ける。
下着姿といっても元が町娘の格好だったので、ティアナはコルセットのようなしっかりとしたものは付けていない。ティアナが現在身につけているのは、薄いワンピースのようなシュミーズと、下履きのドロワーズだけ。そのシュミーズは濡れて身体にぴったりと張り付いていた。
「大丈夫だ! 本当に大丈夫なんだっ! というか、君はさっきその姿を恥ずかしがっていなかったか!?」
「ヴァレッド様がご無理をなさっているのに、恥ずかしがっている場合ではありませんわ! さぁ、遠慮なく毛布を使ってくださいませっ!」
「俺の精神の安定のためにも、その毛布は君が使ってくれっ!! というか、君はもう少し女性としての危機感をっ!!」
「だめですわ! さぁ、ヴァレッド様お覚悟をっ!」
それから、その攻防は小一時間ほど続いたという。
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