15

 水が跳ねる音でティアナは目をさました。見上げる先には黒々とした岩。顔を巡らせると隣には煌々と燃える炎があった。そして、その奥にはヴァレッドの姿。彼の上半身は裸で、着ていた衣類は奥の岩に掛けて炎に当てられていた。

 どうやらここは洞窟の中らしい。近くから水の流れる音が聞こえてくるので、おそらく川も近いのだろう。

「起きたか」

 今まで張り詰めていた緊張の糸が解けたように表情を緩ませると、ヴァレッドはティアナの隣へ移動してくる。

「ヴァレッド様……」

 弱々しく掠れた声を出しながらティアナは身体を起こす。すると、濡れて束になった髪の毛が頬を撫でた。身体にかかっていた毛布を取れば、水滴が浮いてはいないもののしっとりと身体全体が湿り気を帯びていた。

「身体は大丈夫か? 痛いところは?」

「えっと、……ありません。大丈夫ですわ」

「何があったか覚えているか?」

「それは……」

 はだけた毛布をティアナにかけ直しながら、ヴァレッドは心配げに顔をのぞき込んでくる。そんな彼に心配をかけるまいと、ティアナは必死に頭の中の記憶を必死に蘇らせた。

「確か馬車が襲われて、それでヴァレッド様と逃げていたら、矢が……矢がっ!?」

 ティアナはまるで弾かれたように顔を上げるとヴァレッドの身体をぺたぺたと触り始める。

「ヴァレッド様、お怪我はありませんか? 大丈夫でしょうか? あぁ、もうどうしましょう! ヴァレッド様に何かあったらと思うとっ! 私っ!」

「大丈夫だ。俺はどこも怪我などしていない」

「で、でも、全身が濡れて……」

「君の方が全身ずぶ濡れだし、怪我もしている」 そう言ってヴァレッドはティアナの頬をゆっくりと撫でた。親指が頬骨の下の辺りを行き来すると、ぴりっと痺れるような痛みが襲う。どうやら矢を避ける際に頬を切ってしまったらしい。

「落ちたところが川で良かった。このぐらいの傷なら残らないと思うが、皆と合流したら一番に医者に診てもらおう。一応、血も吸い出しているし症状も出ていないから大丈夫だと思うが、毒などを塗られていた可能性も捨てきれないしな……」

「血を吸い出した? ヴァレッド様はそんな特技もお持ちなのですね! すごいですわ!」

 いつものように手を打ち鳴らし、ティアナが弾けるように笑う。そんな彼女にヴァレッドは呆れたように小さく肩を落としながらも、口元には笑みを浮かべていた。

「別に特技というわけではない。君にだって簡単に出来ることだ」

「まぁ、そうですの? それなら是非教えてくださいませ! 今後、何か役に立つかもしれませんわ!」

「君が知っていても役に立つとは思わないが……。そうだな……」

 ヴァレッドはティアナの頬を両手で支えると、そっと自身の顔を傷口に近づけた。

「こうやって口で吸い出すだ……け……」

 そしてそのまま固まってしまう。ヴァレッドはティアナを自身から少し離すと、赤い顔を隠すように片手で口元を覆った。

「……こんな感じで直接毒を吸い出すんだ」

「まぁ! 頬に口づけするみたいにしてくださったのですね。うふふ、少し照れてしまいますわ」

 その言葉にヴァレッドは盛大に咽せる。そして、小さな声で「緊急事態だったからな」と答えた。

 ティアナは少し赤くなった頬を両手で押さえながら、少し首を傾げた。

「でもそれでは、もし毒が本当に塗られていた場合、吸った方が危ないのではないですか?」

「もちろん、吸った後はすぐに口を濯がなくてはならないし、口内に傷が出来ている場合はしてはいけない対処法だな。医者が近くにいる場合や、対処できるものが側にいるときは出来るだけしない方が良い」

「そんな危険なことをしてくださったのですね! そもそも川に落ちた私を救ってくださったのもヴァレッド様ですよね。ヴァレッド様は私の命の恩人です! 本当にありがとうございます!」

 ティアナは胸に手を置いたまま頭を下げる。そんな彼女の顎を掬って顔を上げさせると、ヴァレッドは少し困ったように眉を寄せた。

「先に命を救ってくれたのは君だろう? 今回は助かった。それと、すまなかった」

「『すまなかった』? なにがでしょうか?」

「俺が気付かなかったばかりに君に傷を負わせてしまった」

 頬の傷を撫でながら、ヴァレッドはどこか悔しそうにそう言う。実際、ティアナがあの矢を庇わなかったら、ヴァレッドの肩は矢に射貫かれていただろう。ティアナがとっさの判断で頭を抱えたので上体が低くなり、矢がヴァレッドの肩の上、ティアナの頬を掠めたのだ。

「まぁ! それは仕方ありませんわ! ヴァレッド様といえど、後ろには目はついておられないでしょうし! 何より、夫婦は助け合いが大切なのだとお母様とお父様に教わっていますから! 私がヴァレッド様を助けるのは当然のことですわ!」

「……いいご両親の元で育ったんだな、君は」

「はい!」

 自分のことを褒められるより嬉しそうにティアナは笑う。そんな彼女を眩しそうに見た後、ヴァレッドは視線を洞窟の外へ向けた。

 洞窟の外は薄暗く、小雨が降っている。鬱蒼と茂る木々の奥にはティアナとヴァレッドのが落ちたのだろう川が見えた。

「君が目覚めたらここから出ようと思っていたが、この調子では無理そうだな。今日は一晩ここで夜を明かすか……」

 二人が使っている洞窟は元々この辺の猟師が休憩所として使っているものだったらしく、毛布やロープ、火付け石などは元々準備されていた。緊急用なのか木の箱には干し肉も入っており、夜を明かすだけなら十分に可能だった。

 ヴァレッドが淡々と今後の予定を考えていると、突然ティアナの声が耳朶を打った。

「大変ですわ! ヴァレッド様!!」

「どうかしたか? 何かあったか!?」

 その声にヴァレッドはとっさに周りを警戒する。しかし、帰ってきた答えはあまりにも緊張感の無いものだった。

「私、服を着ていませんわ! 下着姿です!!」

「今更か!!」

 先ほど自身の身体を確認していたのでヴァレッドはティアナが自分の状態に気付いていると思っていたようだ。

 ティアナはたった今自分の状態を理解したようで、頬を真っ赤に染めて毛布で身体をくるりと覆った。

「どうしましょう! いつの間にこんな姿に! 私、気絶すると脱いでしまう悪癖でもあるのでしょうか!?」

「あるわけないだろう! なんだその悪癖はっ! もうそうなると一種の病気だぞ!!」

「えぇ!? 私病気なのですか!?」

 自分の手のひらで額の熱を測ったティアナは「どうしましょう! 熱いかもしれません!!」と赤い顔で狼狽える。

「なんでそうなるんだ! 俺が脱がしたに決まっているだろうが! 君が自分で脱いだんじゃない! 俺が脱がしたんだ!!」

「え? ヴァレッド様が?」

「あぁ、当然だろう! どうして君はそう……いつ……も……」

 そのまま二人は見つめ合ったまま固まった。ティアに負けず劣らずの勢いで赤くなったヴァレッドは「見てないというべきか? いや、実際まったく見ていないわけではないし、そもそも見ないと脱がせないわけだし……」とぶつくさ呟いている。

 ティアナは背中に回した毛布を胸の中心にかき集めるように抱くと、視線を地面の小石に滑らせた。

(あぁ、もう! どうしたら良いのかしら! こんな貧相な身体をヴァレッド様に見せてしまうなんてっ! ヴァレッド様も困っておられるし何か言わなくてはっ!)

 あまり使わない頭をフル回転させて、このいたたまれない雰囲気を何とかしようとティアナは試みる。

(あぁ! そうだわ! 確かヒルデに夫婦の正しい触れ合い方というのを学んだのでした! こういうときは……確か……)

「ヴァレッド様の、えっち」

「…………」

 ヴァレッドは思わず両手で顔を覆った。

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