13
「それではヴァレッド様、よろしくお願いいたします!」
「あぁ……。というか、本当に乗るのか?」
「もちろんです!」
意気込むティアナに、困惑するヴァレッド。
まだ夜が明けたばかりの早朝に、二人は宿屋の前で互いに向かい合っていた。その後ろではとうに準備が出来た一行が夫婦の微笑ましいような、そうでもないような光景を生暖かい目で見つめている。
「私はこの旅行で立派な妻になりたいのです! ですから、私をヴァレッド様の馬に乗せてくださいませ!」
「……君は一体、誰になにを吹き込まれたんだ?」
ヴァレッドは半眼のまま、夫婦のやりとりを見守る一行を振り返る。そしてニヤニヤとした表情のヒルデに視線を止めると、深いため息を吐き出した。
「まぁ、俺は別に構わないが、昨日のような状態になったらすぐに言うんだぞ。落馬でもしてみろ、怪我じゃ済まないんだからな」
「はい! ありがとうございます!」
そんなティアナのいい返事で、新婚旅行の二日目は始まった。この日もすることといったら移動だけである。
一面に広がる牧草地に、なだらかな水平線。代わり映えのしない空の様子に、たまに現れる牛や羊たち。一日目ならまだしも、二日目になると見慣れてしまい、欠伸が出てしまいそうな風景である。しかし、そんな風景を見ながら、ティアナはどこか緊張した面持ちになっていた。
(ちゃんとヒルデが教えてくれたようにしなくてはっ!)
そう思いながら、ティアナは右手をぎゅっと握りしめた。
ヒルデは昨晩、『恋バナ』と称した事情聴取を終えたあと、ティアナに『ヴァレッド様に慣れる方法』を手取り足取り教えてくれた。
ヒルデ曰く、
「夫婦の正しい触れ合い方をしていないからティアナ様は緊張してしまうんですよ! 夫婦の正しい触れ合い方を学べば、ティアナ様はヴァレッド様に緊張なんてしなくなるはずです! それに、夫の前で緊張ばかりしている妻など、立派な妻ではありません! ティアナ様にはこの旅で立派な奥方様になっていただきたいのです!」
とのことだった。
それからヒルデは馬の上や町を歩いてるときはもちろんのこと、ソファーで隣に座っているときや一緒に食事をしているときの触れ合い方を、それはもう事細かにティアナに伝授してくれたのだ。カロルはそんな二人を眺めながら、「ずいぶんとマセた子ですのね」なんて感想を漏らしていた。
そして今、ティアナはそれを実行しようとしていたのだ。思わず固くなった身体に気づいたのか、背中のヴァレッドが気遣うような声を掛けてくる。
「大丈夫か? やっぱり今からでも馬車に……」
その声を合図にティアナはそっとヴァレッドに背中を預けた。預けたと言っても馬の扱いに支障がない程度にである。背中に感じる体温に頭をする寄せるように動かせば、ヴァレッドの身体が急に跳ねた。
「ティ、ティアナ!?」
「あのっ、……ご迷惑だったでしょうか?」
上ずった声にティアナが申し訳なさそうに上を向く。すると、深いアメジスト色が目前に広がった。それがヴァレッドの瞳の色だと気づいた瞬間、今度はティアナが、頬を赤く染め身体を跳ねさせた。その瞬間、ティアナの身体が馬の鞍からずり落ちそうになる。
「きゃっ!」
「あぶないっ……!」
危機一髪というところでヴァレッドはティアナを支えると、その腹部に腕を回し自分の方へ引き寄せた。
「ヴァレッド様、すみません……」
「何をしているんだ、君は……」
呆れたような口調だが、声はどこまでも柔らかい。別段怒っているというわけでもなさそうだ。多少は呆れているのかもしれないが……
「ヒルデに夫婦の正しい接し方というものを教わったのでやってみようかと思ったのですが、失敗してしまいました。本当はこのあと手を握らないといけなかったのですが……どうやら私は妻としてまだまだのようですね」
「……そんなことだろうと思った」
今度こそ本当に呆れたようにヴァレッドはそう言って、肩を落とす。しかし、ティアナはそんなヴァレッドの様子に気づくことなく、決意を込めたような声を滲ませた。
「安心してくださいませヴァレッド様! 私、次からは失敗しないようにいたしますわ! ヴァレッド様の良き奥方になれるよう、誠心誠意努めていく所存です!」
「……『努めなくてもいい』といっても、君は結局しそうだな」
「はい! お気遣いありがとうございます!」
にっこりと微笑むティアナの横顔に、ヴァレッドはふっと笑みを零した。ヒルデの作戦のおかげかどうかはわからないが、ティアナは昨日より緊張していないように見える。
「まぁ、何をするのかは知らないが、好きにすると良い。……ところで、君は香水でもつけているのか?」
「え? いえ、何もつけていませんが変な匂いでもしますか?」
二人には香水など、強い匂いのするものはつけてはならないという約束がある。なので、ティアナはヴァレッドの屋敷に来て以来そういうものはつけていない。
「いや、変な香りではないんだが……なんというか、こう、甘ったるいような……」
ティアナの頭に少しだけ顔を埋めるような形でヴァレッドは話す。頭上に息が当たるくすぐったさにティアナが身をよじると、更に強い力でヴァレッドは彼女を引き寄せた。
「また落ちるぞ」
実際には落ちていないのだが、そんな言葉でヴァレッドはティアナを制した。
「あの、不快でしたら馬から降りましょうか?」
「いや、別に降りなくてもいい。この香りは別に嫌いじゃない」
その言葉にティアナの頬がじんわりと染まる。首までほんのりピンク色に染まってもヴァレッドはティアナをそばに引き寄せたまま離そうとはしない。
とうとう恥ずかしくなったティアナが腹部に回された手に自分の手を掛けると、その手もろとも抱え込まれてしまった。そうしていつの間にか指を絡め取られてしまう。いつもより体温の高いティアナの手を握り直しながら、ヴァレッドはいつもと変わらない声で「さっきの仕切り直しか?」と聞いてきた。どうやら、ティアナの伸ばしてきた手を勘違いしたらしい。
「なんというか、君は落ち着くな。子供がぬいぐるみを抱えたがる気持ちが、今ならわからなくもない」
「ぬいぐるみですか?」
「まぁ、物の例えだ。気に触ったならすまない」
ふわふわの髪の毛に口元を埋めて、ヴァレッドは口角を上げながらそう言う。
その時だった。ヴァレッドの馬の隣にジルベール馬がぴったりと横付けされる。
「奥方を愛でているところすみませんが、今よろしいでしょうか?」
「……なんだ?」
愛でてはいないっ! と叫び出しそうになるのをぐっと堪えて、ヴァレッドはジルベールにそう答えた。ジルベールは人の良さそうな笑みを一瞬にして消し去り、声を最小限に潜ませる。
「少し森の様子がおかしいように感じます。十分ご注意を……」
ティアナはその声に初めて自分たちが山道に入っているのだと気がついた。辺りはうっそうと木々が生い茂っている。日の光も半分ぐらいしか地面に届いていないようだ。
「この辺りの山賊は前に片付けたと思ったんだがな……」
「新手かもしれませんね。もし、なにかありましたらお二人は先にお逃げください。どうせ狙いは積み荷でしょうし、荷馬車を捨てればあとはどうにでもなるでしょう」
その言葉にヴァレッドが頷いた瞬間、一本の矢が地面に深々と突き刺さった。
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