12

「ずいぶん奥様にご執心なようですね」

 そう声をかけられて、ヴァレッドは手に持っていた上着を落としそうになる。眉を寄せて後ろを睨めば、一緒に部屋に入ってきたジルベールが優しそうな笑みを浮かべていた。

「何の話だ?」

「道中での話ですよ。まさか、貴方が自分の馬に女性を乗せるとは思いませんでした。それに、あんなに大事にされてるとは……。侍従の方達が噂されていたように、ヴァレッド様はお変わりになられたんですね」

 ジルベールは敬語を使っているが、その口調は兄や父のものに近い。幼い頃からヴァレッドを見てきたジルベールにとって、彼はもう一人の息子のような存在だった。

「あんなに仲睦まじいとはこの目で見るまで信じられませんでしたよ。別に貴方の女嫌いが治ったというわけでは無さそうですし、よほどティアナ様のことがお好きなんですね」

「好き?」

 ジルベールの口調はレオポールのように茶化すようなものではない。なのでヴァレッドもその言葉に何の反発も抱かなかった。

「別に、ティアナのことはなんとも思っていない。確かに、女にしておくにはもったいないぐらい素直でいいやつだとは思し、人間的にも好感が持てる。友人だと言ってもいい。だが、それはお前達の言う『好き』とは別物だろう? 俺は女にそういう感情は抱かない」

「その台詞だと、男は好きになるということになりますが?」

「なるわけないだろう!」

 お前もかっ! と叫び出しそうになるのをグッと堪えて、ヴァレッドは一つ咳払いをした。

 そして、いつものように仏頂面に戻ると、部屋に備え付けてある椅子に腰掛けた。ジルベールは少し離れたソファーに座る。

「それなら、ティアナ様に貴方とは別の好きな人が出来た場合、ちゃんと離縁を考えてあげなくてはいけませんよ?」

「離縁……」

「それが友人に対する礼儀です。友人の望む道を閉ざしてはいけません」

 諭すようにそう言って、ジルベールは立ち上がる。彼は「子供達の様子を見てこなくては」と嬉しそうに顔を歪ませていた。ヒルデではないが、彼は本当に良い父親であり、夫なのだろう。

「ジルベール、一つ良いか?」

 そう声をかけると、彼は厳つい外見とは裏腹に優しい顔で一つ頷いた。

「奥方と結婚を決めた理由は何だ?」

「は? 理由ですか……」

 ジルベールは少し考えた後で、困ったように頬を掻いた。

「もう昔のことなのであまり覚えていませんが……。そうですね。確か、取られたくないと思ったのがきっかけだったと思います」

「取られたくない?」

 ヴァレッドが首を傾げると、ジルベールは恥ずかしそうに首肯した。

「はい。彼女とは幼なじみでして、それこそ歩き出した頃ぐらいからずっと一緒だったんです。私は自分の生活から彼女が居なくなるとは一度たりとも考えたことがなかった。しかし、二十歳を過ぎた頃、彼女にお見合い話が持ち上がったんです。それで……」

 そこで話を切ると、彼は肩を竦めた。

「お見合いそのものを潰してしまったので、お互いの両親からはすごく怒られてしまいました。今考えると若気の至りですね、あれは……」

 ジルベールは、話は終わったとばかりに踵を返した。そして、扉から出る直前、ヴァレッドに声をかけた。

「若気の至り、たまには良いものですよ?」

 意味深な言葉を残して部屋の扉が閉まる。その音を聞きながら、ヴァレッドは難しい顔でなにかを考えているようだった。


◆◇◆


 ジルベールがヴァレッドの部屋を出たその頃、ティアナはヒルデに『恋バナ』という名の尋問を受けていた。

 嫁いで来てからこれまでのこと、ヴァレッドに対してどんな感情を持っているのか、そしてこれからどうなりたいのか。洗いざらい全て吐かされて、恥ずかしいのか、いたたまれないのか、よくわからない感情でティアナの頬は桃色に染まっていた。

 ティアナとしてはなぜそれが恋バナになるのかよくわからない。

「あの、ヒルデ……」

「状況はよく理解できました。ありがとうございます」

 ティアナは「はぁ」と気の抜けた返事をして、首を捻った。その隣の席ではカロルが呆れた顔をヒルデに向けている。

 ヒルデはまるで戦場で作戦を立てるかのような口調で話を進める。

「それでは次の作戦ですが、現状を考えると大胆なアプローチの方がヴァレッド兄様には有効だと思います。なので明日の移動は引き続き兄様の馬に乗ってもらい……」

「あの、そのことなのですが……」

 ヒルデの言葉を遮るようにティアナが声を発した。

「やはり明日は、ヴァレッド様の馬に乗るのは止めときますわ。今日みたいに緊張してご迷惑をかけてしまってはいけませんもの」

「ティアナ様っ!」

 小さな円卓を潰しそうな勢いでヒルデが机を叩く。そして立ち上がると力強く拳を胸に掲げた。

「こういったことは何事も慣れです。慣れればきっと緊張することはなくなります!」

「慣れ、ですか?」

 二人のやりとりをカロルは諦めたように見つめる。

 ティアナは存外に乗せやすい性格だ。熱く語ればそれがどんなに確信がない話でも乗ってしまう気質がある。それ故に彼女は明るく天真爛漫なのだ。

 熱く語るヒルデを見ながらカロルは一つため息をついた。

 付き合いが長いカロルにはこの後の展開が容易に予想がついた。

「ティアナ様、慣れ、ですっ! つまり慣れるまで回数をこなせば良いのです! 兄様に触れて緊張するのなら、沢山触れて慣れれば良いんです」

「まぁ! そうだったのね! その発想はありませんでした!」

「あー」

 カロルは盛り上がる二人の側で項垂れる。

 その隣でティアナは胸に手を置いて、目を輝かせた。

「ありがとうございます、ヒルデ! 私頑張りますわ!」

 どこかでくしゃみをする声が聞こえた。

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