11

「ティアナ様、ヴァレッド様、もうよろしいでしょうか?」

 馬車の外からカロルのそんな声がしたかと思うと、誰も許可していないのに扉が開く。

 顔を覗かせたカロルは二人の顔を比べた後、少しだけ気まずそうに「あ」と漏らした。

「すみません。もう出発するとジルベール様がおしゃっていたものですから……」

 カロルはそう言い、そそくさと扉を閉めた。

 二人はなんとも言えない顔で互いに見つめ合う。そんな気まずい沈黙を破ったのは少し顔色の戻ったティアナだった。

「あ、あの、出発だそうですわ! ヴァレッド様、心配してくださって、ありがとうございます」

「あぁ、俺はもう出る。君はこのまま乗っていろ。もう今日は馬には乗れないだろう?」

 ヴァレッドの言葉にティアナが頷くと、その代わりに困惑顔のカロルが駆け足で馬車に乗り込んできた。


 そのまま馬車は進み。数時間後、ようやく一行は初日の宿に辿り着いた。

 大きな街ではないので宿自体もそこまで大きくない。空いている部屋も多いわけではなかったので、ティアナはカロルと一緒の部屋を選ぶことにした。部屋の広さは十分にあるし、何よりカロルなら気を遣う必要はない。

 ティアナは部屋に到着するなり、疲れた身体を勢いよく寝台に預けた。太陽の香りがするシーツの心地よさに、一瞬にして眠気が押し寄せてくる。

「夕食が届くまでもう少しありますよ。それまで寝られますか?」

 カロルが荷ほどきをしながら聞いてくる。ティアナはそれに小さく首を振った。

「少し疲れただけなので大丈夫ですわ。それに、私も自分の分の荷ほどきをしないと……」

「それなら、私がやりますよ?」

「私がやりたいんです」

 きっぱりとそう言って、ティアナは身体を起こした。そして、荷ほどきを始める。

 明日の早朝には発ってしまう予定なので、必要最低限のものだけ出す。それでも入浴や寝間着の準備、明日の着替えまでクローゼットに出す作業は疲れた身体に鞭を打つようだった。

 いつもはカロルに任せている仕事を自分でして、ティアナはもう一度ベッドに沈んだ。

 そんな彼女を困った顔で見ながらカロルは小さく笑う。

「大丈夫ですか? やはり私がすれば良かったですね」

「それではカロルが休めないですわ。せっかくの旅行なので、カロルも仕事を忘れて一緒に楽しんで欲しいんです!」

 ふふふ、と笑うティアナにカロルはまぶしそうに目を細める。こんなに使用人のことを考える貴族はそうそういない。

 カロルは少しだけいつもとは違った笑みを浮かべ、ティアナの寝台に腰掛けた。

「それでは、今日は久しぶりに一緒に寝ましょうか」

「ほんと!? 嬉しいわっ! 昔はよく一緒に寝ていたのに、カロルったらいつの間にかダメだっていうようになって……」

 昔を懐かしむようにティアナは目を閉じた。そんな彼女に、カロルは呆れたような声を出す。

「私は使用人なんですから、当たり前です。ティアナ様はもう公爵夫人なのですから、少しは私のことを侍女として扱ってください。侍女と同室を希望するなんて、普通はしないものですよ?」

「それなら、普通じゃなくても良いわ。カロルは私の大切な友人だもの」

 その言葉にカロルは苦笑いを浮かべ、「ありがとうございます」と優しくいう。

 その時だった。扉が二度ほど叩かれ、男の声が扉の外から聞こえてくる。

『すみません。夕食をお持ちいたしました』

 カロルはその声に扉を開ける。すると、扉の向こうには三十代ぐらいの男が立っていた。丸いサングラスをかけ、赤いど派手な上着を羽織っている。初夏だからか、袖がなく生地も薄いものだ。しかし、ふくらはぎまで伸びるその上着は、どこかマントのようにも見えた。

 そんな怪しげな男の手には二人分の食事があった。

 あまりの出で立ちにカロルは思わずティアナの姿を隠し、男を睨みつける。

「どちら様でしょうか? この宿の方ではありませんよね?」

「いやー。この宿の方なんですよ」

 へらへらと気の抜けた笑顔を浮かべる男に、カロルは警戒の色を強めた。

「そんなど派手な服を着て、ですか? 従業員の方は皆それぞれに同じような服を着られていたと思いますが……」

「よく見てますねー。実はここに雇ってもらったのは昨日でして、お金がなくて行き倒れていたところを女将さんに救われたんですよー。俺の正体はしがない旅人です」

 人の良い笑みを浮かべてへらへらと彼は笑う。カロルは彼からの食事を受け取りながら、最後の確認をする。

「今の話、女将さんに確認を取っても?」

「どうぞどうぞー。何なら今から呼んできましょうかー?」

「自分で行きますので結構です」

 きっぱりとそう言いながら、カロルは戸を閉めた。元々毒味をするつもりだったが、危険度が一気に上がった気がして、カロルは大きくため息をついた。

 食事をテーブルに置くと、またも来訪者があった。

「ティアナ様、ご一緒に食事をしませんか?」

 手に食事を持ったヒルデが扉の向こうでにっこりと微笑んだ。


◆◇◆


「正直なところ、ヴァレッド兄様とはどこまで進んでおられるのですか?」

「ごふっ……」

 ヒルデの質問にむせたのは、ティアナ本人ではなくカロルだった。ティアナは小さな円卓の向こうで毒味の終わった食事を前に首を傾げている。

「そうですね。遠出はこの旅行がはじめてですわ」

「あ、そういうベタなやつはいいです」

 ティアナの天然をばっさりと切り捨てて、ヒルデは前のめりになる。

「で、どこまで進んだのですか?」

「進む……?」

 きょとんと首を傾げるティアナにヒルデは大げさにため息をついた。

「ヴァレッド兄様と、どこまでしたのかと聞いているんです! キスですか? ハグですか? それとも……」

「ヒルデさん」

 カロルは窘めるように名を呼んで、ヒルデの首根っこを掴んだ。そして、ティアナに聞こえないように部屋の隅に連れて行く。

「気になるのはわかりますが、今そういうことをティアナ様に質問しないでください。微妙な関係なんですっ! 微妙なっ!」

「つまり何も進展してないということですね。了解しました。予想通りです。続いて現状の把握に移ります」

 わかったのか、わかっていないのか、よくわからない返事をして、ヒルデは自分の席に舞い戻る。そして、ティアナに作られたような笑みを見せた。「ティアナ様、恋バナをいたしましょう!」




 

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